世界の髪型美術館〜髪型の歴史〜

いままで語られてこなかった日本史と世界史の『髪型』を徹底的に解説、考察していきます!

室町、安土桃山時代 1

室町時代安土桃山時代南北朝時代、戦国時代)は、1333年~1603年まで270年間続いた時代になっていますが、この辺の時代は、たくさんの「説」がありすぎて、時代の区切りがとても難しいので、足利尊氏らが開いた室町幕府から徳川家康が江戸時代を開くまでの270年間を一つの括りとして解説していきます。

 

〇〇の乱がとにかく多い、荒れに荒れた激動の「戦国時代」。

改めて、この時代の髪型を研究してみて、本当に驚きました。

これまでにあまり語られず、表舞台に出てこなかった髪型が、こんなにたくさんあったなんて…

この辺の時代になってくると、たくさんの資料があります。

面白い髪型、不思議な髪型…変な髪型している人がたくさん出てきます!

文化や思想が多様化してきた変革の時に、人々の表現は明らかに変わりました。

『髪型が示す意味』を皆さんに感じていただければ幸いです。

絵画や資料も多いので、この室町、安土桃山時代編は各分野ごとに分けてお伝えしていきます。

 

とりあえず、ざっと室町時代のおさらいと髪型の説明をしていきます。

この時代は、足利尊氏により始まり、3代将軍足利義満によって南北朝が統一され武家が優位という形でとりあえずは、安定したそうです。いや〜、天皇家のいざこざの戦いは長かった…

義満の死後、応仁の乱一揆など混沌としはじめます。やはり圧倒的リーダーを失うとこうも簡単に崩れてしまうのが儚いですね…

その後、織田信長ら戦国武将達による群雄割拠の時代へと突入していくんですね〜!

そして、豊臣秀吉が天下統一し関ヶ原の戦いへと続いていきます。

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だいぶざっくりしていますが、内容が濃すぎて説明しきれません!本当にすごい時代背景ですね。

 

社会的な部分では、貿易も盛んに行われるようになり、農業や工業等の技術力があがり生産量も圧倒的に増えたそうです。

1549年ヨーロッパよりフランシスコザビエルらによってイエズス会キリスト教が伝えられ、圧倒的広がりを見せました。

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仏教は、武家にも広がりを見せ、宗派間での衝突や合併をするなど随分ゴタゴタしたようですね。果ては宗教間での争いもあったそうです。

 

世界中では、海賊ブームが到来し、大航海時代へと突入したそうです。アジア近郊では、「倭寇」が幅を利かせていたみたいですね!(完全にONE PIECEの世界ですね!モデルとなってるのもこの時代だそうです。)

 

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倭寇

 

この時代にされていた髪型は、

男性は鎌倉時代からちらほら見られ始めていた、烏帽子などをほぼ被らなくなりました。

この時代の肖像画によくみられる「茶筅髷(ちゃせんまげ)」や束ねて折りまげるスタイルの「折り髷(おりまげ)」が多く見受けられるようになりました。

 

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茶筅髷(ちゃせんまげ)結った髷の先っぽがお茶をたてるときに使われる茶筅のようだからだそうです。

 

f:id:camdentown2012:20190525105405j:plain織田信長

f:id:camdentown2012:20190525125429j:plain浅井長政

チョリッとしてる感じですね。
概ね、武将の方は折髷にされる方が多かったようですね。戦国という時代も相まってか、髪型は自由にしてる人が多いですね!以前の時代の様に髻(もとどり)にしなければカッコ悪い!みたいな価値観はだいぶ無くなりました!

柴田勝家のようにわざと?ボサボサにしたオールバック風スタイルの絵も多くあります。

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柴田勝家(絶世の美女、お市の方の旦那さん) 

 

女性は、この頃からついに、ついに!「結い髪」が登場し始めます。

初期の頃は、垂髪などの流行もまだ残っていますが、徐々に「束ね」から「束結び」なども流行り始めます。

f:id:camdentown2012:20190526092156j:plainお市の方、平安風の垂髪ですね。

f:id:camdentown2012:20190526092233j:plain束結び

 

室町時代後期~安土桃山時代ぐらいから「結い髪」が登場し、「唐輪髷(からわまげ)」など、結い髪のバリエーションもどんどん増えてくる時代に突入していきます。

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唐輪髷 

 

庶民の間では、現代の三角巾のような頭巾をかぶり、仕事や生活をしている様子が伺えます。庶民の間でも髪は長かったので、まとめて邪魔にならないようにしていたんでしょうね。

そんなん切ればいいじゃん!と思われるかもしれませんが、そうではありません!髪型があまりなかったこの時代に、髪を切るなんて事になれば女を捨てるぐらいの事。

髪は女の命なのです!!

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↑何かを被っているのか判断しかねますが、髪はすごく長そうですね。

七十一番職人歌合絵巻(室町時代中期に描かれた職業絵巻)

 

しかしこの時代も、夫に先立たれ出家した女性は短く切っていました。現代で言えばボブくらいでしょうかね!?

まあ、逆に若い女性は老けて見られないためにも、意地でも伸ばしてたかもしれませんね。

 

そして、最後はこちらの方!

朝日姫(秀吉の妹で徳川家康の奥様)

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以前ご紹介した、おすべらかしに似てますよね!もはや完全に「おすべらかし」の原型!

私の知識不足かもしれませんが、この形態になった初の絵画ではないでしょうか?

前髪、左右の鬢(びん)、襟足の髱(たぼ)のブロックに髪型に構成されています。

 

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現代の美容技術では当たり前の構成、考え方ですが、パーツごとに意識したスタイルとしてはここから始まったのではないのかなと思います。

垂髪のような、ボリュームのない女性的なスタイルから、ボリュームを出して華やかに見せたいという美的感覚に変わっていったのが、この作品から読み取れますね。

このボリュームのある髪型が、後の日本髪の「結う」スタイルへと変化していく大きなスタートだったのかもしれませんね。

朝日姫に関しては、襟足の毛が垂髪になっていますので、長さを出して女性らしさも残したいという、いいとこどりの欲張りハイブリットスタイルです!

前から見たらボリューム!後ろから見たらスーパーロングの美しさ!

この髪型をしている人は、後にも先にも朝日姫だけですので、とても貴重な絵画ですね!

いや~素晴らしい。後ろから見たら、どう見えるのかとても気になるところです!

 

室町、安土桃山時代のざっくりまとめでした!

次回は、細かい部分にスポットを当てて解説していきます!

 

 

鎌倉時代 2 武将の髪型と冠

今回は、鎌倉時代の武将達の髪型をより深く考察していきます。

 

一説によると、この頃から月代(さかやき)が始まったんじゃないかと言われていますが、まだまだこの時代には、月代の「さ」の字もなかったんじゃないかと思います。

そもそもハゲた頭を晒す事が自体が恥ずかしいから、みんな帽子を被っているという側面もありますし、それをわざわざ、自ら剃ってハゲて見せたいなんてありえません。

 

また月代に関しては詳しく書きますね!

 

この時代の、有名な武将達の髪型をかいつまんで見ていきたいと思います。

 

鎌倉時代の最強兄弟といえばこの人達!

源頼朝源義経!!

2枚の肖像画を見ていただければ一目瞭然ですが、お二人共、晩年は薄毛に悩まされていたようですね。絵だけを見ると義経の方が薄そうに見えますね。なけなしの髪を集めて一髻(ひとつもとどり)にしています。

 f:id:camdentown2012:20190517154423j:plain源 義経(牛若丸)

 

f:id:camdentown2012:20190519095936j:plain源 頼朝

 

※ちなみに肖像画は、死後描かれる事がほとんどです。早ければ1週間後〜1ヶ月後くらい、遅ければ1年後など様々ですので多少…いや、結構美化されている可能性大ですね。よくあるのが、そもそも実は違う人だった説も多々あるので、気持ち半分くらいで見てもらえればと思います。

 

お次は、鎌倉時代の英雄 

北条時宗

あの、最強軍団モンゴル帝国軍の奇襲をリーダーとして圧倒的戦略、武力で跳ね返しましたね。当時20歳だったそうです!スゴすぎ!

鎌倉時代は仏教が大衆化し大きく広まりました。幕府内でも天皇家内でも宗派や思想の違いで揉めたりと色々あったようです…

 しかし幕府のリーダーがここまで剃り上げるのは、珍しい気がします。熱心だったのでしょうね。

 

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 鎌倉時代に描かれた絵を見ていても、たくさんのお坊さんが登場します。

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それほど信仰が熱かったのかなと思います。この絵を見ても農民らしき人達も手を合わせていますので、救われたかったんだろうなぁ〜と想いを馳せてしまいますね。

戦乱の世の中ですもんね〜。大変でした。

 

最後はこの方!

鎌倉時代ロミオとジュリエットこと

ジュリエット北条政子

(20歳の時、周囲の反対を押し切って頼朝と結婚しました。)

 

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北条さんの肖像画って、なぜかないんですよねぇ〜…歴史の教科書もこの写真だった気がします。出家した後のこの木像しかないのは違和感しかないです。(僕が知らないだけかもしれませんが…)

ちなみに、この時代では珍く69歳でお亡くなりになられています。現代の感覚なら100歳くらいでしょうね!42歳で尼さんになられたようなので、おそらくそれ以降の木像なのでしょうね。

これだけの超有名人で、頼朝を生涯献身的に支え、亡き後もとてもがんばっていらっしゃったのに肖像画が一つもないなんて、もはや謎です。

頼朝が惚れただけあって昔は超絶美人だったはず!今後肖像画見つかるのに期待したいところですね!

 

先ほどの写真のお坊さんの部分をアップにしてみました。

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お坊さんの皆さん髪を剃っていますよね。よーく見ると、うっすら髪が生えているようにも見えます。(すごい短い坊主のような感じ)

一人一人の生え際や頭の形もみんな違うように描かれているのが、本当に素晴らしいですよね!当時の画家さんの熱いこだわりを感じます!

 

男性なら想像がつきやすいですが、髭を剃ったりするときに電気シェーバーだったりシャービングフォームをつけてT字カミソリで剃ったりするかと思うのですが、当時はもちろんそれらの物はありません。

 当時は、小さい小刀の様な物で剃ったりもしていたそうですが、多くの人は抜いていたそうです。(頭髪約10万本)

イィィィィーーー痛そぅぅぅ〜。髭よりも太く多い髪をやるんですから…

剃るにしても、水のみで濡らして剃っていたので、それはそれは痛かったでしょう…

みんな剃った後は血まみれだったそうです。怖い。怖過ぎる!!拷問以外の何物でもないですね…

北条政子さんもその拷問を経て出家したわけですから…強い女性でしたね…

 

本当に現代でよかったぁぁーーー!!

 

 

続いては、この時代に被っている冠、烏帽子(えぼし)の種類について軽くご紹介していきます。

 

前回もこの2枚の絵をご紹介しましたが、役職や地位によっても被っている物が違うのがわかります。

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3種類くらいの形状の違う烏帽子を被っているのがわかります。

右下の上級職っぽい武士は、ちょっと横に折れている「引立烏帽子」を被り、鉢巻きも巻いていますね。

左側の弓を持っている人達は、縦長の長めの烏帽子「立烏帽子」を被っています。

その他の武士達は、三角の「侍烏帽子」?らしきものを被っています。

f:id:camdentown2012:20190518130136j:plain侍烏帽子

 

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右側の着物を着ているお偉いさんらしき方は、冠を被っていますし、牛車を引いている武士達も侍烏帽子を被っている人達もいれば、被っていない人もいます。

牛車の後ろにいる武士は、長めの烏帽子(引立烏帽子)を被っています。

 

冠位のような役職による違いは、飛鳥時代から引き継いでいたんでしょうね〜。

 

なんだか鎌倉時代は、髪型の変化が徐々にではありますが「個性」が出てきた様な気がします。

この後の室町時代から、本格的に髪型が『おもしろく』なっていきます!!

その序章の種を植えた鎌倉時代

更なる激動の戦国が始まります…

 

  

鎌倉時代 1

鎌倉時代

 

1185年(1192年)~1333年までの約150年ほど続いた時代

 

ほんとこの時代は、激動ですね〜。

幕府VS朝廷という図式ができあがり、貨幣経済や政治的な部分で、現代の政治や経済に大きく影響を与え、根幹的な部分が出来上がってきた時代です。

幾度となく大きな戦争が起き幕府が朝廷を倒すという日本史において大きな分岐点を迎えていきます。

鎌倉時代が一番好き!」という方もたくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか?

 

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それくらい面白い時代ですね!!

 

髪型は平安時代から、型自体はさほど変わりはないものの「見せ方」の部分で大きく変化していきました。

 

男性の髪型は、この時代も一髻(もとどり)でした。

そう考えると奈良時代あたりからさほど変わってないので、髪型に気を使うなんてかっこ悪い!!と考える生真面目な男性が多かったのか。(※結び方や結ぶ位置等、微妙には変わっています。)

もしくは階級社会がゆえに、それ以外の髪型にするなんて、もってのほかだったのか…はたまた、これ以外に髪型を変えようなんて思いもしなかったのか…

 

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源義経
 

ただ一つ、当たり前だったのは「髪を伸ばす」という事だけは変わっていないので、まあ上げてまとめちゃうのが楽だったのかな?

 

一番の変化だったのは、明らかにこの時代から見受けられるようになった、烏帽子や冠をかぶらない人たちが絵画等にちらほら登場するようになった事でしょうね。

平安時代までは、被らないなんて恥ずかしい!下半身をさらけ出しちゃうほどの屈辱的な事だったのに、さらけ出しちゃってる人(武士、庶民)がちらほら増えてきます!

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紙本著色平治物語絵 六波羅行幸巻 国立博物館 13世紀

 

やはり荒れ始めた世の中がゆえに、荒々しさや、男らしさ、強く見せたいという願望なのか、平安時代までの平和な余裕のある環境とは随分違ってきたように見えます。

武士の時代になったんでしょうね〜。ハゲてて何が悪いっ!って感じでしょうね。

 

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足利尊氏?(実は全然違う人説、有力みたいです。)

 

この頃の髪型に対する捉え方が、のちの室町時代へと続いていきます。織田信長肖像画なども有名ですが、信長クラスの武将でも何もかぶっていません。

この鎌倉時代から室町時代にかけて、被らないのがかっこいい、むしろ被る意味がわからん!という捉え方になっていった分岐点だったのでしょう。

髪型として、それが現代へと続いていく「当たり前」が大きく変わった瞬間でした。

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女性の髪型も少し変化していきました。

平安時代の垂髪で黒髪で大きく長く魅せる時代から、1〜3箇所で髪を結ぶ(アレンジ)がされるようになりました。もちろんスーパーロングですが、平安時代よりは少しだけ短いようにも見えます。

長いだけの髪型に飽きてアクセントをつけたいと思ったのか、リボンで結ぶようにまとめられているので、可愛らしさを追求したいと思ったのか…まあ大変だったんですかね。

とりあえず、オシャレに目覚めたのは間違いないですね!ワンメイクアレンジとてもかわいらしいです!!

 

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餓鬼草紙 鎌倉時代初期 奈良博物館

 

f:id:camdentown2012:20190517190608j:plain紙本著色平治物語絵 六波羅行幸巻 

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後ろ姿なんかは、前回ご紹介した「おすべらかし」の原型とも言える感じですね。

 

しかし動乱の世の中で、日本全土を巻き込んでの戦の時代ですので、ライフスタイルや髪型に対する感覚も大きく変わっていったのは言うまでもないでしょう。

なんなら海外勢の元寇(げんこう、現在のモンゴル等勢力)にも攻められるほど、戦に明け暮れていました。

 

400年続いた平和な平安時代の中心でもある朝廷が、敗北しました。天地が引っくり返るような出来事だったことでしょうね。のん気に髪伸ばしてる場合でもなかったかもしれませんしね。笑

 

いつの時代も変革の時には、政治も変われば、文化も変わるし、髪型さえも変わります。流行りってのは、とてもおもしろい。

髪型やファッションが進化するのは、常に社会に不安や不満がある時でもあります。

世界中見渡しても、いつでもそんなもんです。

みんな反抗したいんだよ!

 

いつの時代も、何が起こるかわからないね…

 

 

皇族の髪型 大垂髪(おすべらかし)編

ついに令和になりましたね!

 

ゴールデンウィーク中は、「天皇陛下即位の儀」等いろんな儀式が執り行われましたね。

 

この度、雅子皇后が儀式の際に「大垂髪(おすべらかし)」という髪型をされていました。

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雅子皇后

 

皇族の方の結婚式などでも「おすべらかし」をされますので、もしかしたらニュースなどでも聞いた事ある方も多いかと思います。

 

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昨年ご結婚された絢子様

 

しかし実際はどういった髪型なのか、なんであんな変な髪型なんだ!?などなど…

気になる方もいらっしゃるかと思いますので熱く解説していきます!

 

現在のこの「おすべらかし」という髪型の形態になったのは、江戸時代前後以降じゃないかと言われています。

 

それ以前までの、平安時代からされている「おすべらかし」は、漢字のごとく「大垂髪」ほとんど下ろしているだけの髪型の名称でした。

 

なかなか同じ髪型の名称で、ここまで変化のあるものはないですよね!

 

もちろんお雛様もおすべらかしです!

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後ろの写真は

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 こんな感じで幾つかの場所で結んでますね!

 

どれくらい長いかというと

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髪が床に着いて引きずるくらいの長さですね。

 

もちろん地毛ではなく、完全に被るタイプのカツラになっています。

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最近の雅子様は髪の毛をまとめていらっしゃる事が多い為、実際の長さはわかりませんが、コンパクトにまとまっている為、おそらく肩下くらいのセミロングくらいの長さではないかなと思われます。

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ここで気づいた方もいらっしゃるかと思いますが、単におすべらかしと言ってもいくつかパターンがあります。

上の写真の皇后雅子様のように冠を被っているパターンと最初の方で紹介した典子様の冠の被っていないバージョンがあること。

最初は、位の高さもあるのかなぁ?なんて思っていましたがそれがそうでもないようです。

 

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このご結婚された際の絢子様の髪型を見たときに本当に衝撃を受けましたね!

ここまで地毛を使い、冠を被られていない「おすべらかし」を見たのは初めてでした。

完全にハート型ですね。

 

ほとんどの場合は全頭を覆うカツラを被るものなので、本当に新鮮でしたし、おそらく絢子様に「この型にしたい!」という強い意向があったのではないかと思われます。

この「おすべらかし」の髪型にする為に、髪を伸ばし、髪を綺麗に見せる為にケアも頑張っていたのでしょうね。なんだか情熱が伝わってきます。

 

個人的には過去に作られた「おすべらかし」の中でも、一番クオリティが高く、一番カッコよく、一番美しい作品じゃないかなぁと思っています!

もちろん前の毛をすべて地毛で上げてしまうと、冠をのせる土台を作れないので典子様はあえて冠を被らなかったのかなと思われますね。

フォルムを強調させたかったのではないかと思います。

 

この髪型を担当された髪結い師さんには心から感服いたします。

最上級に『形』というものにこだわった「至高」の作品ですね。

 

先ほどの絢子様の写真の地毛の中側は一体どうなってるかといいますと、「かもじ」という物をいれてボリュームアップさせています。

「かもじ」とは、つけ毛ですね。義毛です。エクステを塊にした感じでしょうね!

ようは、でかいカツラのような毛の塊を後頭部にくっつけて、そして前髪とサイドの毛で覆いかぶせています。

 

近年ですと、香淳皇后様がされていました。(昭和天皇の奥様)

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当時14歳、昭和天皇とのお見合い時の写真だそうです。

 

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昭和後期、くせ毛でいらっしゃいますが、いい感じに仕上がっておりますね!

 

さすがに江戸時代まで遡ってもこの髪型を、「かもじ」なしで作った事ってないんじゃないかなぁ〜とは思いますが、江戸時代の結い髪の技術をみると恐ろしくレベルが高いので、ありえなくはないかもしれませんね。

後に江戸時代の髪型ご紹介しますが、現代とはレェヴェェルが違うんですよ!

 

ということで、最後に雅子皇后様のご結婚式の時の冠ありのおすべらかしスタイルをご紹介していきますね。

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いや〜、美しいですね!

当時髪の毛がロングだったからなのかこちらは、地毛でのおすべらかしですね。

そして冠も着けていらっしゃいますね!

近年、地毛を使っての冠スタイルは、雅子様紀子様のご結婚時くらいしか見た事ないので中々レアですよね!?

前髪のみ少〜しだけお団子にして簪(かんざし)型の冠を固定している感じでしょうね。

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写真 紀子様ご結婚式

 

どうしても冠をつけると前髪の髪を使えないため、形を作るのが難しくなりそうですが、トップのボリューム、フォルム共に綺麗に作られていますね。とてもクオリティが高いです!

 

そして、いかに典子様のおすべらかしがボリュームがハンパないかがわかると思います!

 

そもそも、この「おすべらかし」はなぜこのような形態になったのかは、諸説ありますが、今の所謎です。

おそらく中国やアジアの近隣の女帝が、このようにモリモリのボリュームヘアをやっていたのも影響があったのではないのかなぁ〜と思われます。

ボリュームこそが権力の象徴ッッ!!ホントこれにつきます。

 

ということで、最近話題の気になる「大垂髪(おすべらかし)」特集でした!

これから眞子様愛子様達のご結婚式に、どんな「おすべらかし」をされるのかがとても楽しみです!

 

 

 

平安時代

平安時代

 

794年~1185年まで約400年間続いた時代

近代では、一番長い時代ですね。

 

歴史もそうですが、髪型の変化も大きく動く時代でした。

 

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平等院 鳳凰堂 1053年建設)

 

 

平安時代と言えば、「源氏物語」、「枕草子」といった文学や和歌などが流行り、「鳥獣戯画」など日本最古の漫画もできたほど表現の幅が大きく多様化していきました。

 

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遣唐使の廃止もあり(今の留学的なもの)、日本独自の「ひらがな」や様々な文化が生まれはじめました。

 

 

 政治や権力の観点では内乱が多発し始め、平安時代末期には平清盛源頼朝などの有名な武将達による群雄割拠の戦が行われていきます。

 

 

歴史好きとしましては、このあたりの時代、文化はとても楽しいですね!

 

 たくさんの絵画や当時使われていた物がたくさん残っていますので、髪型もわかりやすくなってきます。

 

 

  

平安時代に、されていたとされる髪型はと言いますと、

 

 

 女性の髪型の代表的なスタイルは、『垂髪(すいはつ)』

 

 

奈良時代後期から、ちらほら見られたスタイルですが、ここにきて綺麗な女性は髪が長いという流行があったようです。

 

 

この美的感覚は、現代になっても黒髮のストレートに憧れる女性が多いのも名残りを感じますね!

 

 

この時代の、女性達の髪の毛に対する意識はとにかく高い。

 

 

宮中で女性たちが、自分が一番髪が長く、綺麗な髪だと競い合うほどだったそうです。

ここからドロドロの女どうしの熱き戦いが、絶対に負けられない戦いがはじまっていきます。

 

ちなみに髪の毛の長さは、自分の身長くらいの長さがあり、米のとぎ汁などで髪を洗っていたそうで、洗えない日は枕にお香などを入れて匂いを付けていたようです。

もちろん乾かすのに時間がかかるため洗髪休暇があったほど宮女は髪を伸ばすのが義務(仕事)だったそうです。ほとんど切る事はせず、ちょびっとだけ毛先を削ぐ程度だったようですね。

 

 

髪質やくせなどは人それぞれですが、毛量が少ない人は、他人の毛を使ってボリュームをだしたり髪型を作ったりしていたそうです。

あとは抜けた毛も大事に取っておいて、いずれ使うだろうというもったいない精神もあったそうです。

 

 

いつの世も髪の毛は貴重です。

 

 

 そして『ボリューム』

 

これが人類の髪型において、世界中の歴史を見渡しても、とても大きなキーワードになります。これまでの世も、これからも、常に髪型の中心であるでしょう。今後ちょいちょい解説していきますね。

 

 

 一般の庶民の女性も垂髪であったそうですが、そこまでは長くはなく、束ねている事が多かったそうです。いまのセミロングくらいの長さでしょうかね。

 

 というよりも長い髪を維持するのが大変だったと考えるのが自然な気がします。

 

 

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(長さのイメージ。もちろんこんなに綺麗な髪ではないでしょうね。)

 

前項のシャンプーの話でもご紹介しましたが、貴族の女性達にはお付きの人達がいたので綺麗な髪を維持する事が出来たと思うのですが、一般庶民には到底難しいでしょうし、洗髪(シャンプー)すらする事は無かったと思います。

 

もちろんある程度、櫛で整えたりもしていたでしょうし、結んだり、まとめたり、生活の中でアレンジはしていたと思いますが、髪の毛の性質上、どうしても切れ毛や抜け毛など頭皮や髪のコンディションは、結構悪かった思うので、実際にはスカスカで細めなセミロングぐらだったのではないかと思われます。

  

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イメージ的にこのくらい傷んでたんじゃないか説。(平安の一般人)

 

ちなみに、この時代に主に使われていた整髪料は、椿油だったそうです。これは今の時代も使われているので、とても長いロングセラーですね!1000年以上使われるトリートメントってなんかすごすぎます!

 

平安時代の風習で女性は、16歳になった616日に鬢削ぎ(びんそぎ)をし髪の毛を揃える儀式をしていたそうです。

(鬢削ぎ=現代で言うとこの「姫カット」) 

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(ちなみにこれが姫カット。現代の姫ラー中川翔子さん)

 

婚約者がいれば、その夫となる人が髪を削ぎます。

 

いなければ父か兄が削いでいたようです。

なんとも不思議な儀式ですが、現在の成人式にあたるような大イベントだったんでしょうね!

しかも「千尋~、千尋~~」と言いながら(歌?)切ったそうです!

どういう意味やねんっ!!ツッコみたくなっちゃいますね!

 

 

あとは本人の好きな長さで、鬢削ぎをして、自分なりのおしゃれヘアを楽しんでいたそうです!

姫カット誕生の瞬間でしたね!

 

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姫カットの髪型の解説をさせていただくと、

 

本当にこの髪型は効率のいい髪型で、これ以上ない小顔効果が得られ、ロングヘアからショートヘアまで長さを選ばずに、アクセントをつけられます。

とにかく『可愛く見える!』を最大限まで追求した髪型になっています。

 

 

当時の髪型を読み解くと、スーパーロングヘアに鬢削ぎ(姫カット)を入れるというのは、圧倒的な髪の長さで美しさやセクシーさを表現しつつ、正面からの見た目の印象は、小顔に見えて可愛らしさも演出できるハイブリットな最上級スタイルだと思います。

 

 

後に続く歴史の中で、一時はこの姫カットが消えかかったものの、現代にまで永く愛される髪型なのは、女性が美を追求する上で、避けては通れない「かわいい」の欲求だったのかもしれませんね。

 

 

一番初めにやった方が誰なのかはわかりませんが、とてつもない印象学や美を徹底的に追求した方なんだろうと思います。

(もしくは間違えて切ってしまったが、意外といいねぇ~!ってなったか。笑)

 

本当にこの時代に想いを馳せると、とても洗練され、美しく、そして髪への愛を感じる良い時代だったと心から想います。

 

 

また、夫に先立たれた女性は尼削ぎ(あまそぎ)といって肩くらいで切りそろえ出家したそうです。

なんだかイメージ的に、出家といえば全部剃る感じしてましたけど、この時代は意外とボブみたいな感じでよかったんですね!よっ!オシャレっ!!

 

 

 

あと、この時代の常識では「耳に髪をかける」という行為は、行儀が悪いと言われていたそうです。

今の時代では、当たり前で普通のことでもダメだったんですね~。

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アウトでしたね。ホント現代でよかった〜!

 

 

男性の髪型は、一髻(ひとつもとどり)

奈良時代あたりでも紹介しましたが、さほど変わってなさそうです。

長さは肩より下くらいのミディアム~ロングくらいの長さで、髻(もとどり)の上から烏帽子や冠をかぶっていたそうです。

雛人形のお内裏様の髪型です。

(絵画などもたくさんあるので、確実に言えますが平安時代からは間違いなく一髻が主流になっています。飛鳥、奈良時代は本当にやっていたかは結構曖昧です。)

 

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冠を外したバージョン

 

 

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冠を被っているバージョン

 

この頃の子供の髪型にまつわる話で、3歳までは子供はみんな坊主頭だったそうで、(男女共に)3歳になった時に、髪置きの儀をもって髪を伸ばし始める事が習わしだったそうです。

その由来も、産毛(子供の柔らかい毛)を切る、剃ることで綺麗で元気な髪の毛が生えてくるとの願いからそういった風習になったそうな。

なんだか素敵な願掛けですよね!

 

そこから、だいぶ時が経ち、少し変化して『七五三』が始まったようです。

 (こないだ、お客さんから聞いた話で、ある地域ではまだその坊主にする「しきたり」が残っているようで、赤ちゃんの産毛を全部バリカンでバーッとやっちゃうらしく、とても驚きました!多少意味は違えど意外とたくさんそういう「しきたり」ってあるんですよね~。ローカルルールを知る旅いつかしてみたいです!笑)

 

ちなみにこの時代の女性の「美人の条件」というのは、また現代とも違ったようですね。(それぞれ好みもありますので一概にちがうとも言い切れないのですが…)

 

外見は、色白な肌、切れ長の一重の目、ややぽっちゃり系、ふっくら頬、できるだけ髪が長くて髪も綺麗、背が低くて、見るからにおとなしそう、女性らしい雰囲気の佇まい。

 

 

内面は、文を書くのが得意で教養があり、字が綺麗

 

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いや…意外と現代でもこういう女性モテてるな…以外と変わらないかもしれないですね!

 

しかし、今じゃ考えられない習慣としましては、女性はほとんど外には出なかったようです。

できるだけ白くいなければいけないために外出はほとんどなし、眉は抜き、黒で眉の上あたりに丸く書く、口紅は小さく赤、そして歯は黒(お歯黒)。

この白黒赤の3色が「美的」とされる感性がこのころからはじまるんですね~。

 

この美的感覚は江戸時代終わりまで、庶民までをも巻き込むほどの大流行になっていきました。

 

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ちなみに一夫多妻制で、実際には、男性と直で顔をあわせる事はなかったようです。(暗がりの寝室のみOK)昼間会う時は、すだれ越し、もしくは扇子で顔を隠すという絶妙な駆け引きがあったようですね。

 

 

よくわからん世界ですね…現代でよかった!!

 

 

 

お雛様などでも有名な十二単衣(じゅうにひとえ)は、この頃から着られるようになり、何重にも重ねて着ていたそうですが10キロをゆうにこえる着物を纏いますので、さぞかし重かったでしょうね~!

この当時の女性の身長などを考慮してもとても重労働だったことでしょう…

(130cm~140cm)

 

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ということで、激動の平安時代でした。文化が変わり、新しい価値観が生まれ、この当時の髪型が現代の基礎にもなっているのを思うと、1000年続く髪型って改めてスゲーなぁと想いを馳せてしまいますね。

 

 当時よりは恵まれた現代に生きる我々は、もっとデカイ夢見なきゃダメだよな。

 

 

 

フラダンスの髪型 ハワイ USA

ハワイ フラダンス

 

先日『フラダンス』をされている方から、とても興味深いフラダンスにまつわる髪の毛のお話をお聞きしたので、勝手に調査し、まとめさせていただいちゃいました。

 

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フラダンスといえば、ハワイ人気も相まってかよく聞くワードでもありますし、私の回りでもフラダンス習ってるよ~なんていう方もちらほらいるくらいです。

 

現地ハワイでも、ハワイアンが当たり前のように踊れるほど身近なんですね~。東京音頭的な感じでしょうか。

 

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そんな身近で、気軽なフラダンスには深~い鉄の掟があるようです!

 

 

 

 

それは、、、髪を切ってはいけない!!

 

(フラダンスを本気で追求しているガチ勢)

※もちろん趣味の範囲でやられている方は基本自由です。

 

 

 

そう髪の毛を伸ばしっぱなしなのである。

 

 

 

そもそもなぜ髪を伸ばし、切らないかというと、フラダンスの教えでは、

髪の毛には『マナ(エネルギーや気)』が宿ると言われ、経験や教えも髪や爪に蓄積されると考えられているらしい。

 

刃物で髪を切るというう行為は、愚行以外の何物でもないらしいのです。

 

 

なんだか素敵な教えであり文化ですね~!

 

「想いを込める」ってこういう事なのでしょうね。

 

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フラダンスの起源を調べているとさらに興味深いことがわかってきました。

 

フラダンス自体は、神に捧げる神聖な踊りで、神に仕える儀式の一つだったそうです。

具体的な年号等は、記述として残っているわけではなく、とても古くからタヒチポリネシアのエリアで踊られてきたそうです。(1795年ハワイ王国樹立)

たしかに素人の僕には、あの辺のダンスの違いがわかりません…

 

 

 

この神にあたるものは、『自然』だそうです。

すべてのものに神(精霊、マナ)が宿るという信仰をハワイアンは大切にしていた歴史があるようですね。

 

 

海や山など世界一美しいと言われる、自然豊かなハワイならではの素敵な信仰なんですね~。

このハワイの信仰は、日本古来の「神道」の考え方にとても近いですよね!

同じ島国で、結局辿り着く答えは『森羅万象』の自然なのかもしれませんね。

 

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日本でフラダンスをされている方が100万人以上いるそうです。

それは、こういった自然を愛する心や島国に生まれ育った考え方などが似ているからかもしれませんね。

 

日本では女性が踊るダンスという印象が強いですが、現地ハワイでは男性も踊るそうです!

たしかに、世界中の歴史を見ても、神に仕えるといえば、昔は男性のダンスだったかもしれませんね。

 

 

 

だいぶ脱線しましたが…

 

なかなか日本人の髪の毛を伸ばし続けるのはとても大変なことなんです。

 

日本人の髪質は、直毛で固めなので、伸ばし続けるとなかなかまとまりずらく、生活にも支障をきたすほど邪魔になりやすくなります。

 

対してハワイアンの髪の毛はとてもクセが強く伸ばし続けても、まとまりやすく、さほど長さが気になりづらいのです。

 

 

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なので、多少経験値マイナスになっちゃうかもしれませんが、日本人はある程度切っちゃった方が、髪も綺麗にみえますし生活の邪魔にもならなそうです。

 

 

もしくは、ハワイアンによせてゴリゴリにパーマかけちゃうのもアリですね!

 

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 以上、番外編島国あるあるのほとんど口伝のみで伝わり続けるフラダンスの歴史でした!

 

 

 

奈良時代 1 時代背景と髪型

奈良時代 710年〜794年まで続いた84年間(784年〜794年、長岡京

 

奈良時代の主な事としましては、平城京に都が移りましたね。その街も、中国の首都「長安」を真似させて造らせたほどだったそうです。憧れの都だったのでしょうね〜。

そりゃあもう、遣唐使もバンバン行ってましたし、中国と日本の文明の差は歴然だったことでしょう。

文学に関しても、「万葉集」や「日本書紀」や「古事記」など後に『日本』を語る上では欠かせない永遠のベストセラーが発表されました。

 

そしてこの時代のシンボルでもある東大寺が建造され、大仏様も造られました。

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諸説あり、謎が多いのが、「 蝦夷(えぞ)」(関東地方や東北地方、北海道など東日本の総称)歴史の情報が少ないようで、歴史の授業の表舞台にはあまり出てこないですよね。

奈良や京都を中心に西日本が『日本』とされる中で、蝦夷は他国とされるほどお隣の国感が強かったようです。

 

私自身は山形県出身で、山形はさほど深い歴史とは無関係という思いで育ってきました。しかし不思議なもので、家の近所に古墳やら土偶やらが出土されています。

とても古い文化もあるんだろうなぁ〜と思ってはいましたけど、教科書にでてくるわけではないので、山形の歴史にはさほど興味を持つ事はありませんでした。

が、しかし今回歴史を整理するにあたり山形の歴史をおさらいすると、とても興味深い繋がりが見えてきました。後ほど詳しく説明していきます!

 

 本題の髪型はと言いますと、この時代本当に面白いんです!とてもおしゃれなんです(女性)!!

なんなら全ての時代(現在も含む)の中で一番オシャレさんと言っても過言ではないのかなと思います!!

中国との国交だけでなく、仏教の影響もありインドとも国交が盛んになっていった時代でもあるようです。 そのインドから伝わって来たエキセントリックなメイクなどが奈良の若者達を虜にしたそうです。

 

男性の髪型は、前回の飛鳥時代でも御紹介しましたが、『髻(もとどり)』です。

 一応もう一度書いておきます。

髻を簡単に説明させていただくと髪の毛を頭頂部(トップ)で一本にまとめるスタイルですね。

この髻は、宮廷に仕える人々の髪型であるのですが、烏帽子(えぼし)を被った時に崩れないようにするための土台として、利便性のためにされていたとするのが現在の解釈です。笄(こうがい)などでガチッと固定していたようですね。

ちなみに烏帽子を人前で取るのは、恥ずかしいとまで思われていたようです。烏帽子を取るくらいなら裸になるほどだったそうです。

男性の髪型は、この先もさほど変わりません。つまらん男達だな(笑)

基本的には、貴族の人以外でも髪は長いです。一般人は、お団子スタイルにすることが多かったようですね。

 

女性は、頭上一髻と頭上二髻(ずじょういっけつ、にきつ)

頭上一髻は、単髻(たんけい)で頭頂部でお団子にするか、変則的に周りの毛は下ろしつつトップのみお団子にするパターンがあったようです。

 

頭上二髻は、双髻(そうけい)で頭頂部にお団子2つ作るようなスタイルですね。こちらも少し変則的な双髻もあります。

この2つは、仏像の髪型でもご紹介しましたが、似たような感じのスタイルですね。

では、変則的な方の頭上一髻、二髻をご紹介していきます! 

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こんな感じだったそうですね。

 

頭上一髻は、頭頂部のみをお団子にしているようで、おそらく位の高い人や宮女の方がされていた髪型でしょうね。トップをお団子にして土台として冠などを乗っけていたのではないかと思われます。

頭上二髻のほうは、巫女さんなどがされていた髪型です。なんと現代でも神社のお祭りなんかでは、このヘアセットで催しされているところもあります。

この髪型はトップに遊びを効かせており、かわいらしさもありますね!

巫女さんだけではなく当時のオシャレ女子の間でも流行っていたのではないかなぁとも思われます!

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注目していただきたいのが、ヘアアクセサリーやメイクも斬新で、とても深いこだわりが垣間見えますね!なんなら今でも流行りそうな予感すらします!

メイクは、この時代からとても盛んで上の写真を見てもらうとわかるのですが、口紅やおしろいを塗るのはもちろんのこと、顔に絵を描くのが流行りだったんですね〜!他にも花や蝶々等、模様を描くのが流行りだったようですね!

なんだかすごいかわいいですよね!

額の赤い模様みたいなやつは完全にインドの影響でしょうね。

遊び心満載すぎます!

 

きっとこの時代は、外交もうまくいっておりインドや中国の最新のオシャレ文化がいい感じで流通していた、華やかな時代だったのでしょうね〜!

なんか当時のオシャレ女子達がキャッキャやってたのが目に浮かびます。

吉祥天画像(きちじょうてんがぞう)薬師寺 国宝

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この時代の数少ない絵画です。麻布に描かれているようですね。美しい。

髪型をアップで

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若干見えづらいですが、双髻(そうけい)に結われているようですね。

仏像の時にも紹介しましたがまさに、コレですね。

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さらに注目してもらいたいのが、ヘアアクセサリーがたくさんついてますね!かわいく、そしてきらびやかに見せたいというのが、この作品から伝わってきますね。

花やヘアクリップ?のような物が本当にオシャレですね!

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現代(平城京若い女子達もこんな感じだったかもしれませんね!)

 

んん!?あっ!!なんだかおもいだしてきた!

コレってもしかして…

シノラーじゃないですか!?もはや!! 

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世代を感じずにはいられないですね…

この時代の篠原ともえさんの写真を探すのが意外と一苦労でした!(笑)

ということで、奈良時代が一番オシャレと言いましたが、現代の「最後の砦」シノラーには負けますね。

奈良時代の女子はシノラーになりたかった!いやいや、シノラー奈良時代を意識してのこのファッション、キャラだった説。

深い…

ということでオチとさせていただきます。シノラー最強説。

そして今の篠原さんはというと、 

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とてもロングですね。

 

はっっっっ!!!そして時は、平安時代へと進みます。

黒髪、スーパーロング…

この人は、もしかして…自分の人生を賭して 歴史を表現しているのではないか…

時代とともに、髪型ファッションさえも進化し続ける。

「ともえ」だけに…

深いです…

 

山形の話とその他出来事は次項で!

  

飛鳥時代 2 インタビュー記事

飛鳥時代といえば、奈良県の明日香村にあります「飛鳥資料館」!

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こちらの専門家の方へ、いくつか質問させていだきましたので記事にさせていただきます。

謎が多すぎたために、ど〜しても気になった烏帽子らしきものについて。

 

1、高松塚古墳に描かれた男性が被っている物はなんですか!?

 

2、あれって烏帽子的なやつっすか!?

 

3、現在までに、この時代に被っていたと思われる烏帽子や髪飾りなどの装飾品が古墳等から発見されたりしましたか?

 

4、もしあればどんな物だったのか教えて下さいっっ!!

 

とまあこんな感じで質問させていただきました。

本当にお時間ない中でとても丁寧にご返答いただけましたのでご紹介させていただきます。本当にありがとうございました!

 

1、現在考えられているのが、漆紗冠(しつしゃかん)という物だそうです。

漆塗りの薄い冠のようで、後の平安時代に被られる冠の原型ですね。

 

2、烏帽子は、私服の時に被る用で冠は公用というふうに、当時は使い分けされていたようです。なので近いものっちゃ近いものだし、違うっちゃ違う物みたいですね。

貴族だけでなく、庶民の間でも麻製のものを被っていましたが、中世末期頃には、庶民は被らなくなり、貴族が被っていた物も、紗製から紙製へと変化していったようですね。

 

3、4、完形としては今の所出土していません。

 

 飛鳥資料館にある「石人像」もこの帽子を被っているようです。

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 アップで

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ん〜。なんとも印象派な作品ですね。

確かに壁画の男性にとても似ている帽子ですね。

まあ結局わかりません!(笑)

 

後の長岡京の時代に使われていたとされる漆紗冠は、2013年に出土されたようです。参考までに。

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こんな感じに似てたのかな〜。

やっぱドゥーラグではないけどドゥーラグみたいなもんですね!(笑)

 

飛鳥資料館様本当にありがとうございました!!

 

 

飛鳥時代 1

飛鳥時代とは、592年〜710年間で続いた約120年間

現在の奈良県高市郡明日香村付近だったとされています。

やっとこの時代あたりから歴史的な記述や文献なども多くはないですが残ってきます。

この頃から、日本にも仏教が浸透していき多くの人々が信仰を深めていったそうです。

果ては、神道との宗教戦争までに及んでしまうほど、熱かったんでしょうね〜…

 

この時代の、主な事としましては、

最近話題の、元号が始めて制定されました。その名も『大化(たいか)』646年

はい。大化の改新ってやつですね!新元号なんでしょうね〜!(平成31年2月筆)

法隆寺も建設され、この時代に作られた仏像なども現代まで残っています。

そして有名人もたくさん出てきますね!

最近、歴史の教科書からも姿を消したと噂される「聖徳太子」本当にいたかどうかわからないらしいです…

天皇が仏教に帰依した事から、戦争まで発展した2大巨頭、「蘇我氏」、「物部氏

飛鳥時代中期から続く名家の始祖「藤原鎌足

MR.交渉人といえばこの人、遣隋使「小野妹子」などなど。

冠位十二階や十七条憲法など政治的にも随分発展しましたね。

 

面白いのがこの時期の、天皇がとにかく変わる!120年間で18回?(女性天皇が8回)

寿命も相当早かったようで、平均20代くらいじゃないですかね!?(2回天皇になった方もいるようです。)

とはいえ、歴史に名の残っている方々は、ほとんどが天皇家一族。

言ってしまえば、身内同士の権力争いの時代でもあるのです。親戚の喧嘩ですわ!

大変でしたね…

 

ということで、この時代の髪型はと言いますと、現在わかっている事としては、2点。

・冠位十二階に伴って被りはじめた冠の中はどうなっているかという事

高松塚古墳壁画から見る当時の人々の髪型

 

まだまだこれから先、新たな絵が出てくるかもしれませんが、とても参考になるこの2点を解説していきます。

 

冠位十二階

 日本で初めて冠位で、階級を12段階に分けた地位を表す色付きの冠で表した制度。

(何色だったかはわかっていない。)

冠の下の髪型は、『髻(もとどり)』と言います。

しかし注意していただきたいのが、この時代の髻が、後の奈良時代平安時代以降にしていた髻と一緒かどうかは、まだわかっていません。(おそらくちがうかなぁ〜。)

 

基本的に政治の実権を握る位置には、男性が多かったようなので、男性がしていた髪型とされています。貴族の男性ですね。

もしかしたらこの時代、女性の天皇も多かったので、女性が役職に就いていた可能性も無きにしも非ずですが。

まあ実際のところは、何もわかっていません…

 

髻を簡単に説明させていただくと髪の毛をトップで一本にまとめるスタイルですね。

この髻は、宮廷に仕える人々の髪型であるのですが、烏帽子(えぼし)を被った時に崩れないようにするための土台として、利便性のためにされていたとするのが現在の解釈です。笄などでガチッと固定していたようですね。

ちなみに烏帽子を人前で取るのは、恥ずかしいとまで思われていたようです。烏帽子を取るくらいなら裸になるほどだったそうです。

この髻は、この先もずっとされる髪型になっていきます。

宮廷だけに関して言えば江戸時代までされていたと言われています。

 

以前のブログでもお伝えしましたが、仏像の髪型の、垂髻(すいけい)のスタイルです。日本で仏教が始まった時期もこの時期なので、なにか仏像からヒントを得たかもしれないですね!

 

そしてこの時代の髪型などが描かれた高松塚古墳の壁画がこちらです!

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左側が男性、右が女性で四人くらいずつ描かれていますね。

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上の写真の反対側の対に描かれた壁画

左側が女性、右側が男性らですね。このほかにも龍や虎などが古墳内壁面に描かれているようです。

本当に数少ない、この当時を描かれた飛鳥時代の貴重な絵です。

そしてこちらが女性達の壁画の拡大図になります。

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 髪型がなんとなく見えますね!

 よ〜くみると、オールバックに髪の毛を後ろに流しているような、もしくは前髪をポンパドールにまとめているようにも見えますね。

拡大して見てみましょう。(白黒ですが)

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後ろは、髪の毛を折り返して、紐でグルグル巻きにして結んでいるようです。髪の毛をおろした状態であれば、おそらく腰くらいの長さくらいはありそうですね!相当長そうです。

 毛先は結んでいる部分からあえて逃して、遊びを効かせているようにみえますね。

なかなか手が込んでいて素敵ですね!

しかしすごい難しそうです…

またもやこの図式

飛鳥時代の美容師(髪結い師)>>>>>>現代の美容師(私)

 

お次は、男性を見てみましょう! 

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んん〜〜〜。。。。ちょっとわかりずらいですね〜。アップにしてみましょう。

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ギリギリ分かりそうな、御二方をピックアップしてみました。
2枚の写真とも、髪の毛の生え際がしっかり描かれていますね。

そして明らかに帽子らしきものを被っています。烏帽子ですかね!?
この時代に、しかも古墳に絵を描かれるというのは、やはり貴族、豪族など、とても地位の高い方達だったでしょうし。

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まあ、一番近そうなのは、これなんでしょうけど…

随分馴染み深い方なのですが、聖徳太子ではないようです。実際はこの人が誰なのか、どこで描かれたのかなど、まだはっきりとは分からないようで、平安時代以降に描かれたんじゃないかとまで言われています。あげくに、このヒゲは落書きだそうです。

 

ちなみに、これらの髪型を解説していきますと、頭頂部(トップ)に髪の毛を集めて、お団子にしている状態でしょうね。

もちろん男性も肩下くらいまで髪の毛は長いです。いつの時代も。

そして何かを被っていますね。壁画の写真を見ると結構タイトめな帽子に見えるので、薄手の布性の物で、後ろの方で紐で縛っているのか…もはや水泳キャップにも見えます(笑)

ん〜、なんとも言えませんね。

 

あ!思い出しました!これの原型なんじゃないですか!?

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ドゥーラグ

ラッパーの人がよく帽子の下に被るやつ!

お団子にしてドゥーラグ被ったらこの上のふくらみも説明つくし、意外にこんな感じの物だったかもね!(笑)

 

うん。なんか壁画の人たちもラッパーに見えてきたな。

ということで、烏帽子といえばこんなんイメージしていましたので、なんかちがうなぁ〜なんて思ってました。

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ずいぶん謎は残りますね…

 

まあ、今後の発見に期待ということで!

なんだか飛鳥時代になってくると、古墳時代のカケラも無くなってきますね…

どちらかというと、中国の民族系から中国王朝の色が強くなった気がします。

服装や髪型というのは、政治や国内、国際情勢によって大きく左右されます。

おそらくこの頃から、中国王朝への憧れがすごく強くなってきたのではないのかなと思います。

今もですが、中国は本当にでかい国です。