世界の髪型美術館〜髪型の歴史〜

いままで語られてこなかった日本史と世界史の『髪型』を徹底的に解説、考察していきます!

奈良時代 1 時代背景と髪型

奈良時代 710年〜794年まで続いた84年間(784年〜794年、長岡京

 

奈良時代の主な事としましては、平城京に都が移りましたね。その街も、中国の首都「長安」を真似させて造らせたほどだったそうです。憧れの都だったのでしょうね〜。

そりゃあもう、遣唐使もバンバン行ってましたし、中国と日本の文明の差は歴然だったことでしょう。

文学に関しても、「万葉集」や「日本書紀」や「古事記」など後に『日本』を語る上では欠かせない永遠のベストセラーが発表されました。

 

そしてこの時代のシンボルでもある東大寺が建造され、大仏様も造られました。

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諸説あり、謎が多いのが、「 蝦夷(えぞ)」(関東地方や東北地方、北海道など東日本の総称)歴史の情報が少ないようで、歴史の授業の表舞台にはあまり出てこないですよね。

奈良や京都を中心に西日本が『日本』とされる中で、蝦夷は他国とされるほどお隣の国感が強かったようです。

 

私自身は山形県出身で、山形はさほど深い歴史とは無関係という思いで育ってきました。しかし不思議なもので、家の近所に古墳やら土偶やらが出土されています。

とても古い文化もあるんだろうなぁ〜と思ってはいましたけど、教科書にでてくるわけではないので、山形の歴史にはさほど興味を持つ事はありませんでした。

が、しかし今回歴史を整理するにあたり山形の歴史をおさらいすると、とても興味深い繋がりが見えてきました。後ほど詳しく説明していきます!

 

 本題の髪型はと言いますと、この時代本当に面白いんです!とてもおしゃれなんです(女性)!!

なんなら全ての時代(現在も含む)の中で一番オシャレさんと言っても過言ではないのかなと思います!!

中国との国交だけでなく、仏教の影響もありインドとも国交が盛んになっていった時代でもあるようです。 そのインドから伝わって来たエキセントリックなメイクなどが奈良の若者達を虜にしたそうです。

 

男性の髪型は、前回の飛鳥時代でも御紹介しましたが、『髻(もとどり)』です。

 一応もう一度書いておきます。

髻を簡単に説明させていただくと髪の毛を頭頂部(トップ)で一本にまとめるスタイルですね。

この髻は、宮廷に仕える人々の髪型であるのですが、烏帽子(えぼし)を被った時に崩れないようにするための土台として、利便性のためにされていたとするのが現在の解釈です。笄(こうがい)などでガチッと固定していたようですね。

ちなみに烏帽子を人前で取るのは、恥ずかしいとまで思われていたようです。烏帽子を取るくらいなら裸になるほどだったそうです。

男性の髪型は、この先もさほど変わりません。つまらん男達だな(笑)

基本的には、貴族の人以外でも髪は長いです。一般人は、お団子スタイルにすることが多かったようですね。

 

女性は、頭上一髻と頭上二髻(ずじょういっけつ、にきつ)

頭上一髻は、単髻(たんけい)で頭頂部でお団子にするか、変則的に周りの毛は下ろしつつトップのみお団子にするパターンがあったようです。

 

頭上二髻は、双髻(そうけい)で頭頂部にお団子2つ作るようなスタイルですね。こちらも少し変則的な双髻もあります。

この2つは、仏像の髪型でもご紹介しましたが、似たような感じのスタイルですね。

では、変則的な方の頭上一髻、二髻をご紹介していきます! 

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こんな感じだったそうですね。

 

頭上一髻は、頭頂部のみをお団子にしているようで、おそらく位の高い人や宮女の方がされていた髪型でしょうね。トップをお団子にして土台として冠などを乗っけていたのではないかと思われます。

頭上二髻のほうは、巫女さんなどがされていた髪型です。なんと現代でも神社のお祭りなんかでは、このヘアセットで催しされているところもあります。

この髪型はトップに遊びを効かせており、かわいらしさもありますね!

巫女さんだけではなく当時のオシャレ女子の間でも流行っていたのではないかなぁとも思われます!

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注目していただきたいのが、ヘアアクセサリーやメイクも斬新で、とても深いこだわりが垣間見えますね!なんなら今でも流行りそうな予感すらします!

メイクは、この時代からとても盛んで上の写真を見てもらうとわかるのですが、口紅やおしろいを塗るのはもちろんのこと、顔に絵を描くのが流行りだったんですね〜!他にも花や蝶々等、模様を描くのが流行りだったようですね!

なんだかすごいかわいいですよね!

額の赤い模様みたいなやつは完全にインドの影響でしょうね。

遊び心満載すぎます!

 

きっとこの時代は、外交もうまくいっておりインドや中国の最新のオシャレ文化がいい感じで流通していた、華やかな時代だったのでしょうね〜!

なんか当時のオシャレ女子達がキャッキャやってたのが目に浮かびます。

吉祥天画像(きちじょうてんがぞう)薬師寺 国宝

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この時代の数少ない絵画です。麻布に描かれているようですね。美しい。

髪型をアップで

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若干見えづらいですが、双髻(そうけい)に結われているようですね。

仏像の時にも紹介しましたがまさに、コレですね。

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さらに注目してもらいたいのが、ヘアアクセサリーがたくさんついてますね!かわいく、そしてきらびやかに見せたいというのが、この作品から伝わってきますね。

花やヘアクリップ?のような物が本当にオシャレですね!

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現代(平城京若い女子達もこんな感じだったかもしれませんね!)

 

んん!?あっ!!なんだかおもいだしてきた!

コレってもしかして…

シノラーじゃないですか!?もはや!! 

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世代を感じずにはいられないですね…

この時代の篠原ともえさんの写真を探すのが意外と一苦労でした!(笑)

ということで、奈良時代が一番オシャレと言いましたが、現代の「最後の砦」シノラーには負けますね。

奈良時代の女子はシノラーになりたかった!いやいや、シノラー奈良時代を意識してのこのファッション、キャラだった説。

深い…

ということでオチとさせていただきます。シノラー最強説。

そして今の篠原さんはというと、 

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とてもロングですね。

 

はっっっっ!!!そして時は、平安時代へと進みます。

黒髪、スーパーロング…

この人は、もしかして…自分の人生を賭して 歴史を表現しているのではないか…

時代とともに、髪型ファッションさえも進化し続ける。

「ともえ」だけに…

深いです…

 

山形の話とその他出来事は次項で!