世界の髪型美術館〜髪型の歴史〜

いままで語られてこなかった日本史と世界史の『髪型』を徹底的に解説、考察していきます!

平安時代

平安時代

 

794年~1185年まで約400年間続いた時代

近代では、一番長い時代ですね。

 

歴史もそうですが、髪型の変化も大きく動く時代でした。

 

f:id:camdentown2012:20190512144150j:plain

平等院 鳳凰堂 1053年建設)

 

 

平安時代と言えば、「源氏物語」、「枕草子」といった文学や和歌などが流行り、「鳥獣戯画」など日本最古の漫画もできたほど表現の幅が大きく多様化していきました。

 

f:id:camdentown2012:20190512095311j:plain

遣唐使の廃止もあり(今の留学的なもの)、日本独自の「ひらがな」や様々な文化が生まれはじめました。

 

 

 政治や権力の観点では内乱が多発し始め、平安時代末期には平清盛源頼朝などの有名な武将達による群雄割拠の戦が行われていきます。

 

 

歴史好きとしましては、このあたりの時代、文化はとても楽しいですね!

 

 たくさんの絵画や当時使われていた物がたくさん残っていますので、髪型もわかりやすくなってきます。

 

 

  

平安時代に、されていたとされる髪型はと言いますと、

 

 

 女性の髪型の代表的なスタイルは、『垂髪(すいはつ)』

 

 

奈良時代後期から、ちらほら見られたスタイルですが、ここにきて綺麗な女性は髪が長いという流行があったようです。

 

 

この美的感覚は、現代になっても黒髮のストレートに憧れる女性が多いのも名残りを感じますね!

 

 

この時代の、女性達の髪の毛に対する意識はとにかく高い。

 

 

宮中で女性たちが、自分が一番髪が長く、綺麗な髪だと競い合うほどだったそうです。

ここからドロドロの女どうしの熱き戦いが、絶対に負けられない戦いがはじまっていきます。

 

ちなみに髪の毛の長さは、自分の身長くらいの長さがあり、米のとぎ汁などで髪を洗っていたそうで、洗えない日は枕にお香などを入れて匂いを付けていたようです。

もちろん乾かすのに時間がかかるため洗髪休暇があったほど宮女は髪を伸ばすのが義務(仕事)だったそうです。ほとんど切る事はせず、ちょびっとだけ毛先を削ぐ程度だったようですね。

 

 

髪質やくせなどは人それぞれですが、毛量が少ない人は、他人の毛を使ってボリュームをだしたり髪型を作ったりしていたそうです。

あとは抜けた毛も大事に取っておいて、いずれ使うだろうというもったいない精神もあったそうです。

 

 

いつの世も髪の毛は貴重です。

 

 

 そして『ボリューム』

 

これが人類の髪型において、世界中の歴史を見渡しても、とても大きなキーワードになります。これまでの世も、これからも、常に髪型の中心であるでしょう。今後ちょいちょい解説していきますね。

 

 

 一般の庶民の女性も垂髪であったそうですが、そこまでは長くはなく、束ねている事が多かったそうです。いまのセミロングくらいの長さでしょうかね。

 

 というよりも長い髪を維持するのが大変だったと考えるのが自然な気がします。

 

 

f:id:camdentown2012:20190507143848j:plain

(長さのイメージ。もちろんこんなに綺麗な髪ではないでしょうね。)

 

前項のシャンプーの話でもご紹介しましたが、貴族の女性達にはお付きの人達がいたので綺麗な髪を維持する事が出来たと思うのですが、一般庶民には到底難しいでしょうし、洗髪(シャンプー)すらする事は無かったと思います。

 

もちろんある程度、櫛で整えたりもしていたでしょうし、結んだり、まとめたり、生活の中でアレンジはしていたと思いますが、髪の毛の性質上、どうしても切れ毛や抜け毛など頭皮や髪のコンディションは、結構悪かった思うので、実際にはスカスカで細めなセミロングぐらだったのではないかと思われます。

  

f:id:camdentown2012:20190507135442j:plain

イメージ的にこのくらい傷んでたんじゃないか説。(平安の一般人)

 

ちなみに、この時代に主に使われていた整髪料は、椿油だったそうです。これは今の時代も使われているので、とても長いロングセラーですね!1000年以上使われるトリートメントってなんかすごすぎます!

 

平安時代の風習で女性は、16歳になった616日に鬢削ぎ(びんそぎ)をし髪の毛を揃える儀式をしていたそうです。

(鬢削ぎ=現代で言うとこの「姫カット」) 

f:id:camdentown2012:20190509104657j:plain

(ちなみにこれが姫カット。現代の姫ラー中川翔子さん)

 

婚約者がいれば、その夫となる人が髪を削ぎます。

 

いなければ父か兄が削いでいたようです。

なんとも不思議な儀式ですが、現在の成人式にあたるような大イベントだったんでしょうね!

しかも「千尋~、千尋~~」と言いながら(歌?)切ったそうです!

どういう意味やねんっ!!ツッコみたくなっちゃいますね!

 

 

あとは本人の好きな長さで、鬢削ぎをして、自分なりのおしゃれヘアを楽しんでいたそうです!

姫カット誕生の瞬間でしたね!

 

f:id:camdentown2012:20190512100459j:plain

姫カットの髪型の解説をさせていただくと、

 

本当にこの髪型は効率のいい髪型で、これ以上ない小顔効果が得られ、ロングヘアからショートヘアまで長さを選ばずに、アクセントをつけられます。

とにかく『可愛く見える!』を最大限まで追求した髪型になっています。

 

 

当時の髪型を読み解くと、スーパーロングヘアに鬢削ぎ(姫カット)を入れるというのは、圧倒的な髪の長さで美しさやセクシーさを表現しつつ、正面からの見た目の印象は、小顔に見えて可愛らしさも演出できるハイブリットな最上級スタイルだと思います。

 

 

後に続く歴史の中で、一時はこの姫カットが消えかかったものの、現代にまで永く愛される髪型なのは、女性が美を追求する上で、避けては通れない「かわいい」の欲求だったのかもしれませんね。

 

 

一番初めにやった方が誰なのかはわかりませんが、とてつもない印象学や美を徹底的に追求した方なんだろうと思います。

(もしくは間違えて切ってしまったが、意外といいねぇ~!ってなったか。笑)

 

本当にこの時代に想いを馳せると、とても洗練され、美しく、そして髪への愛を感じる良い時代だったと心から想います。

 

 

また、夫に先立たれた女性は尼削ぎ(あまそぎ)といって肩くらいで切りそろえ出家したそうです。

なんだかイメージ的に、出家といえば全部剃る感じしてましたけど、この時代は意外とボブみたいな感じでよかったんですね!よっ!オシャレっ!!

 

 

 

あと、この時代の常識では「耳に髪をかける」という行為は、行儀が悪いと言われていたそうです。

今の時代では、当たり前で普通のことでもダメだったんですね~。

f:id:camdentown2012:20191228094209j:plain
アウトでしたね。ホント現代でよかった〜!

 

 

男性の髪型は、一髻(ひとつもとどり)

奈良時代あたりでも紹介しましたが、さほど変わってなさそうです。

長さは肩より下くらいのミディアム~ロングくらいの長さで、髻(もとどり)の上から烏帽子や冠をかぶっていたそうです。

雛人形のお内裏様の髪型です。

(絵画などもたくさんあるので、確実に言えますが平安時代からは間違いなく一髻が主流になっています。飛鳥、奈良時代は本当にやっていたかは結構曖昧です。)

 

f:id:camdentown2012:20190507160508j:plain

冠を外したバージョン

 

 

f:id:camdentown2012:20190507160919j:plain

冠を被っているバージョン

 

この頃の子供の髪型にまつわる話で、3歳までは子供はみんな坊主頭だったそうで、(男女共に)3歳になった時に、髪置きの儀をもって髪を伸ばし始める事が習わしだったそうです。

その由来も、産毛(子供の柔らかい毛)を切る、剃ることで綺麗で元気な髪の毛が生えてくるとの願いからそういった風習になったそうな。

なんだか素敵な願掛けですよね!

 

そこから、だいぶ時が経ち、少し変化して『七五三』が始まったようです。

 (こないだ、お客さんから聞いた話で、ある地域ではまだその坊主にする「しきたり」が残っているようで、赤ちゃんの産毛を全部バリカンでバーッとやっちゃうらしく、とても驚きました!多少意味は違えど意外とたくさんそういう「しきたり」ってあるんですよね~。ローカルルールを知る旅いつかしてみたいです!笑)

 

ちなみにこの時代の女性の「美人の条件」というのは、また現代とも違ったようですね。(それぞれ好みもありますので一概にちがうとも言い切れないのですが…)

 

外見は、色白な肌、切れ長の一重の目、ややぽっちゃり系、ふっくら頬、できるだけ髪が長くて髪も綺麗、背が低くて、見るからにおとなしそう、女性らしい雰囲気の佇まい。

 

 

内面は、文を書くのが得意で教養があり、字が綺麗

 

f:id:camdentown2012:20190512143336j:plain


 

いや…意外と現代でもこういう女性モテてるな…以外と変わらないかもしれないですね!

 

しかし、今じゃ考えられない習慣としましては、女性はほとんど外には出なかったようです。

できるだけ白くいなければいけないために外出はほとんどなし、眉は抜き、黒で眉の上あたりに丸く書く、口紅は小さく赤、そして歯は黒(お歯黒)。

この白黒赤の3色が「美的」とされる感性がこのころからはじまるんですね~。

 

この美的感覚は江戸時代終わりまで、庶民までをも巻き込むほどの大流行になっていきました。

 

f:id:camdentown2012:20190512142658j:plain

ちなみに一夫多妻制で、実際には、男性と直で顔をあわせる事はなかったようです。(暗がりの寝室のみOK)昼間会う時は、すだれ越し、もしくは扇子で顔を隠すという絶妙な駆け引きがあったようですね。

 

 

よくわからん世界ですね…現代でよかった!!

 

 

 

お雛様などでも有名な十二単衣(じゅうにひとえ)は、この頃から着られるようになり、何重にも重ねて着ていたそうですが10キロをゆうにこえる着物を纏いますので、さぞかし重かったでしょうね~!

この当時の女性の身長などを考慮してもとても重労働だったことでしょう…

(130cm~140cm)

 

 f:id:camdentown2012:20190512143031j:plain

 

ということで、激動の平安時代でした。文化が変わり、新しい価値観が生まれ、この当時の髪型が現代の基礎にもなっているのを思うと、1000年続く髪型って改めてスゲーなぁと想いを馳せてしまいますね。

 

 当時よりは恵まれた現代に生きる我々は、もっとデカイ夢見なきゃダメだよな。