飛鳥時代とは、592年〜710年間で続いた約120年間
やっとこの時代あたりから歴史的な記述や文献なども多くはないですが残ってきます。
この頃から、日本にも仏教が浸透していき多くの人々が信仰を深めていったそうです。
果ては、神道との宗教戦争までに及んでしまうほど、熱かったんでしょうね〜…
この時代の、主な事としましては、
最近話題の、元号が始めて制定されました。その名も『大化(たいか)』646年
はい。大化の改新ってやつですね!新元号なんでしょうね〜!(平成31年2月筆)
法隆寺も建設され、この時代に作られた仏像なども現代まで残っています。
そして有名人もたくさん出てきますね!
最近、歴史の教科書からも姿を消したと噂される「聖徳太子」本当にいたかどうかわからないらしいです…
天皇が仏教に帰依した事から、戦争まで発展した2大巨頭、「蘇我氏」、「物部氏」
MR.交渉人といえばこの人、遣隋使「小野妹子」などなど。
冠位十二階や十七条憲法など政治的にも随分発展しましたね。
面白いのがこの時期の、天皇がとにかく変わる!120年間で18回?(女性天皇が8回)
寿命も相当早かったようで、平均20代くらいじゃないですかね!?(2回天皇になった方もいるようです。)
とはいえ、歴史に名の残っている方々は、ほとんどが天皇家一族。
言ってしまえば、身内同士の権力争いの時代でもあるのです。親戚の喧嘩ですわ!
大変でしたね…
ということで、この時代の髪型はと言いますと、現在わかっている事としては、2点。
・冠位十二階に伴って被りはじめた冠の中はどうなっているかという事
・高松塚古墳壁画から見る当時の人々の髪型
まだまだこれから先、新たな絵が出てくるかもしれませんが、とても参考になるこの2点を解説していきます。
冠位十二階
日本で初めて冠位で、階級を12段階に分けた地位を表す色付きの冠で表した制度。
(何色だったかはわかっていない。)
冠の下の髪型は、『髻(もとどり)』と言います。
しかし注意していただきたいのが、この時代の髻が、後の奈良時代や平安時代以降にしていた髻と一緒かどうかは、まだわかっていません。(おそらくちがうかなぁ〜。)
基本的に政治の実権を握る位置には、男性が多かったようなので、男性がしていた髪型とされています。貴族の男性ですね。
もしかしたらこの時代、女性の天皇も多かったので、女性が役職に就いていた可能性も無きにしも非ずですが。
まあ実際のところは、何もわかっていません…
髻を簡単に説明させていただくと髪の毛をトップで一本にまとめるスタイルですね。
この髻は、宮廷に仕える人々の髪型であるのですが、烏帽子(えぼし)を被った時に崩れないようにするための土台として、利便性のためにされていたとするのが現在の解釈です。笄などでガチッと固定していたようですね。
ちなみに烏帽子を人前で取るのは、恥ずかしいとまで思われていたようです。烏帽子を取るくらいなら裸になるほどだったそうです。
この髻は、この先もずっとされる髪型になっていきます。
宮廷だけに関して言えば江戸時代までされていたと言われています。
以前のブログでもお伝えしましたが、仏像の髪型の、垂髻(すいけい)のスタイルです。日本で仏教が始まった時期もこの時期なので、なにか仏像からヒントを得たかもしれないですね!
そしてこの時代の髪型などが描かれた高松塚古墳の壁画がこちらです!
左側が男性、右が女性で四人くらいずつ描かれていますね。
上の写真の反対側の対に描かれた壁画
左側が女性、右側が男性らですね。このほかにも龍や虎などが古墳内壁面に描かれているようです。
本当に数少ない、この当時を描かれた飛鳥時代の貴重な絵です。
そしてこちらが女性達の壁画の拡大図になります。
髪型がなんとなく見えますね!
よ〜くみると、オールバックに髪の毛を後ろに流しているような、もしくは前髪をポンパドールにまとめているようにも見えますね。
拡大して見てみましょう。(白黒ですが)
後ろは、髪の毛を折り返して、紐でグルグル巻きにして結んでいるようです。髪の毛をおろした状態であれば、おそらく腰くらいの長さくらいはありそうですね!相当長そうです。
毛先は結んでいる部分からあえて逃して、遊びを効かせているようにみえますね。
なかなか手が込んでいて素敵ですね!
しかしすごい難しそうです…
またもやこの図式
飛鳥時代の美容師(髪結い師)>>>>>>現代の美容師(私)
お次は、男性を見てみましょう!
んん〜〜〜。。。。ちょっとわかりずらいですね〜。アップにしてみましょう。
ギリギリ分かりそうな、御二方をピックアップしてみました。
2枚の写真とも、髪の毛の生え際がしっかり描かれていますね。
そして明らかに帽子らしきものを被っています。烏帽子ですかね!?
この時代に、しかも古墳に絵を描かれるというのは、やはり貴族、豪族など、とても地位の高い方達だったでしょうし。
まあ、一番近そうなのは、これなんでしょうけど…
随分馴染み深い方なのですが、聖徳太子ではないようです。実際はこの人が誰なのか、どこで描かれたのかなど、まだはっきりとは分からないようで、平安時代以降に描かれたんじゃないかとまで言われています。あげくに、このヒゲは落書きだそうです。
ちなみに、これらの髪型を解説していきますと、頭頂部(トップ)に髪の毛を集めて、お団子にしている状態でしょうね。
もちろん男性も肩下くらいまで髪の毛は長いです。いつの時代も。
そして何かを被っていますね。壁画の写真を見ると結構タイトめな帽子に見えるので、薄手の布性の物で、後ろの方で紐で縛っているのか…もはや水泳キャップにも見えます(笑)
ん〜、なんとも言えませんね。
あ!思い出しました!これの原型なんじゃないですか!?
ドゥーラグ
ラッパーの人がよく帽子の下に被るやつ!
お団子にしてドゥーラグ被ったらこの上のふくらみも説明つくし、意外にこんな感じの物だったかもね!(笑)
うん。なんか壁画の人たちもラッパーに見えてきたな。
ということで、烏帽子といえばこんなんイメージしていましたので、なんかちがうなぁ〜なんて思ってました。
ずいぶん謎は残りますね…
まあ、今後の発見に期待ということで!
なんだか飛鳥時代になってくると、古墳時代のカケラも無くなってきますね…
どちらかというと、中国の民族系から中国王朝の色が強くなった気がします。
服装や髪型というのは、政治や国内、国際情勢によって大きく左右されます。
おそらくこの頃から、中国王朝への憧れがすごく強くなってきたのではないのかなと思います。
今もですが、中国は本当にでかい国です。