世界の髪型美術館〜髪型の歴史〜

いままで語られてこなかった日本史と世界史の『髪型』を徹底的に解説、考察していきます!

古墳時代 3 仮説2(大本命!)

 2(本命!)、先日上海にネタ探しの旅行にいってきたのですが…やっぱありました!上海博物館にて「コレもしかして…!?」(やはり最後は足ですね!)

 

そうなんです。民族衣装です!!(中国には、たくさんの民族が暮らしています。)

その手がかりを元に、探しまくったらありました!(久々に自分を抑えきれないほど嬉しかったですね!笑)

 

中国の『雲南省四川省チベット自治区』この辺りに住む民族です!

本当にたくさんの民族がいるのですが、その中でもより興味深かったのが、

イ族、チャン族、チベット族です!

なんとこの人達、我々日本人のDNAと限りなく近いと言われているそうです。

確かに写真見てるとすげー似てる気がする!!日本人にしか見えない。

 

そして髪型(被り物)がまるでアレなんです!!

もちろん、ちょっと似てるとかいうレベルじゃないです。

たくさんありますのでどうぞご覧ください!

 

f:id:camdentown2012:20190217105558j:plain

 

f:id:camdentown2012:20190217105611j:plain

 

f:id:camdentown2012:20190217105603j:plain

 

f:id:camdentown2012:20190217134503j:plain

f:id:camdentown2012:20190217134508j:plain

横の紐なんかはまさにですね!(後ろは折れちゃってます。)

これらの人々の写真は過去ではなく、現代の中国です。

f:id:camdentown2012:20190209100616j:plain

 

f:id:camdentown2012:20190208121945j:plain

似てますよね!?もう似てるっていうか、コレ(頭巾?布?)ですよ!

 

そしてこちらの帽子

f:id:camdentown2012:20190217105629j:plain

 

f:id:camdentown2012:20190217105635j:plain

f:id:camdentown2012:20190208105007j:plain

あの謎だった帽子ですね。いろんな写真見ましたけど、この民族達は、高さのある帽子被ってることが多いようです。毛先に飾りを付けたりするのも納得です。 

 

お次は、髪の毛(結び方)

f:id:camdentown2012:20190217105646j:plain

ドレッドヘアのようにしたり、三つ編みにしたり太めの束を作るセットが多いようです。

⬇︎三つ編み

f:id:camdentown2012:20190217105638j:plain

 三つ編みの太さを表現していましたね。

f:id:camdentown2012:20190217144204j:plain 

⬇︎この埴輪の毛先は、完全に三つ編みにした毛先を表現されてますよね。

f:id:camdentown2012:20190217144210j:plain

 ⬇︎帽子もそのままですね!

f:id:camdentown2012:20190217144612j:plain

 

⬇︎これはちょっと違う気もしますが、斬新で近い気もします。

f:id:camdentown2012:20190217144615j:plain

f:id:camdentown2012:20190209110036j:plain

 

お次は、 

f:id:camdentown2012:20190217144530j:plain

これを見た時、疑惑から確信に変わりました!

f:id:camdentown2012:20190208112139j:plain

f:id:camdentown2012:20190217144527j:plain

これもかなり近いですね!王冠のように見えます。

f:id:camdentown2012:20190208112325j:plain

という感じで見つけちゃいましたね…
真実かどうかは、現代では証明されることはないかもしれませんが、個人的にこの発見は本当に嬉しかったですね。笑いとため息が止まらなかったです!(笑)

髪型や被り物だけではなく、衣装も一緒です。

この衣装のシルエットやアクセサリーもすごく近いものを感じます。 

 

とりあえず近いうちに、チベット行って確かめてきますわ!

 

彼ら民族は、未だに中国の中でも、田舎の山の方で生活しています。

中国国内で発展の著しい街もあれば、まだまだ発展していない村もあります。

もう一度言います、これらの写真も現代の中国なのです。

日本じゃ考えられないような生活もあるでしょう。

だからこそ、こうやって伝統を重んじて、残る文化もある。

流行や便利だけではない「デザイン」というのは、「いつの時代も」「いつ見ても」美しいものとしてあり続けるのでしょうね。

 

古墳時代は、今から約1500年前の過去。

考えただけでも気が遠くなる程の時間ですが、日本は随分変わりました。

歴史が始まりました。

しかし中国の1500年前は、まだ「最近」のうちに入るかもしれないです。
中国4000年以上の歴史は本当に深いです。

 

まだまだ勉強は、必要だよ。

はい。ロマンが止まりません…

そして古墳時代末期、倭国から日本国へと変わり、時代は加速していく。

 

 

古墳時代 2 インタビューと仮説1

今回は、埴輪博物館の専門家の方へのインタビューと「こんなんもあるんじゃねー?」というトンデモ仮説を考察していきたいと思います!

まずは、専門家へのインタビューから

(たくさん質問してきました!盛り上がりすぎちゃったんで、抜粋していきます。)

Q.まずは、埴輪ってなんですか?どこにあったんですか?(どこで発見したんですか?)

 

A.埴輪は、古墳の周りに並べられていました。古墳はお墓であるため、死者を祀るための、何か贈り物のような物でしょうね。

埴輪に関しては、まだ詳しいことはわかっていませんが、人だけではなく馬や猿などの動物や家や船の埴輪も見つかっていますので、当時の故人が使っていた物やペット、家族や近親者などが埴輪として飾られたのかもしれませんね。

 

Q.埴輪の男性と女性の区別ってどこで分かるものですか?

 

A.実際はわかりません。着ている服やアクセサリー、型などで、一応判断しているかたちです。

我々研究者たちの間でも、これは男にみえる!これは女に見える!っていう議論になります(笑)

鎧のような物を身につけているのは、あきらかに男性だと思われます。

 

Q.髪型についての質問なのですが、現在言われている「古墳島田」「美豆良」という髪型は存在したのですか?

 

A.実は髪型に関しては全く分かっていません。いつからそのように言われ始めたかは、わかりませんがおそらく埴輪の頭をみて髪型にみえたのではないかと思います。

むしろ今、髪型の話をされるまであまり気にもとめませんでした。

 

Q.あれは、髪型ではなく何か被り物なんじゃないんですか!?どうなんですか!?

 

A.そうかもしれません。兜などはわかりやすいですが、今まで髪型の話になったことはあまりありませんね〜。

 

Q.なるほど〜。ということは、僕が研究したらそれがスタンダードということでよろしいですね?

 

A.もちろんです!(笑)是非おしえてください!

 

ほんとありがとうございましたぁーーーーー!!いや〜、ほんと楽しい時間でした!話が盛り上がりすぎて止まりませんでした。歴史好きの人は本当に熱い!!

ご年配の先生だったのですが、こんな若造にご教授いただきまして本当に感謝しております。(長い歴史の前では、世代の違いなんて、たいした違いじゃないのかもしれない。歴史という共通言語。いいもんですね。)

 

ということで、髪型についてはまだまだ未知ということですね!

 

そして、前回からの引き続きで埴輪が被ってるのこれじゃないか?という嘘か真か…トンデモ説をお伝えしていきますね。

何も解ってないんだから、何を言ってもいい説! 

 1、この写真を見ている時に、

f:id:camdentown2012:20190208121949j:plain

なんか見た事あるなぁ~と思ったら、やはりありました!!

キングダム!!

とても大きなイベント時にかぶった王冠?冠なのです。

f:id:camdentown2012:20190214163353j:plain

そしてその下は小さくお団子にまとめられております。これだ!これしかないかもしれない!

f:id:camdentown2012:20190214163442j:plain

もちろん中国の影響はものすごく受けていたのは言うまでもないだろうが、(魏の一つの国であったわけだしね。)風習やファッションもそれに近かった、もはやそれに憧れていたわけですからね!

f:id:camdentown2012:20190214163420j:plain

 後に中国で描かれた始皇帝肖像画

f:id:camdentown2012:20190214163424j:plain

中国の大河ドラマかなんかですかね?

どうでしょう?「平べったい板」の頭にかぶるものといえばコレじゃないですか!?

似てる。けどなんか違う気もする…

 

無理矢理感ありすぎるね!(笑)

 

次回、大本命仮説ご期待ください!(たぶん仮説2が答えな気がする!)

 

 

古墳時代 1 埴輪から読み解いてみる髪型

 古墳時代、(大和時代)は3世紀半ば~7世紀くらいまでの400年くらいの期間

これまた謎の多い時代ですね。本当に縄文から弥生、古墳あたりの時期はロマンがあります。もはやロマンしかない!泣

古墳時代は、その名の通り古墳が作られ始めた時期であり、王族や貴族などの地位も確立され始め、大和政権が倭国の統一政権になったそうです。

後に、現在の朝鮮と戦ったり?いろいろあったりなかったりと…まあ結局、歴史的にはあんまりわかってないみたいです。

 

空白の4世紀という、全く情報のない100年間もあったり、時代背景も発見されていない物も多く謎の多い時代でもあります。(ONE PIECEかよっ!ってツッコミたくもなりますが、事実です。)

 

ということで、この時代を解き明かす大きなヒントになるものが、こちら!

埴輪です!!

 f:id:camdentown2012:20181222131015j:plain

現在、当時の生活をイメージするものとして一番参考になる造形物でしょう。

埴輪を見ていると古墳時代は、文化的にもファッションという面においても、とても進歩した時代だったと想像できます。

当時使用されていた装飾品や中国から見た倭国の資料を読み解くと、ファッションというサブカルチャーが、人々を魅了していく、先駆けになった時代だったのでしょう。

 

髪型「美豆良」「古墳島田」はなかった!??

現在語られているこの時代の髪型は、古墳時代前期は弥生時代から引き続き、男性は「美豆良(みずら)」が身分の高い人達にされていた髪型。

対して女性の髪型は、こちらも弥生時代からの名残も少しありそうですが、髪の毛を結うスタイルだけでなく「垂髪」という下ろすスタイルも見られるようになりました。

あとは、古墳島田(こふんしまだ)という結い髪がされていたとも言われています。これは当時の埴輪の『髪型らしきもの』から考察されたスタイルです。

 

 おそらく埴輪から連想するに、古墳時代前期~が古墳島田、中期、後期が垂髪が流行ったのではないかと思われているのが現状です。(まあ、400年もあれば3周くらいするほど流行の流れがあってもおかしくありませんが…)

 

さて、ここで考察しなければいけないのが、この埴輪を見て、頭に乗っかっているものがはたして一体何なのか?っていう事だと思います。

f:id:camdentown2012:20190208102413j:plain

f:id:camdentown2012:20190208102501j:plain

これを髪型と捉えた絵などが現在たくさん描かれています。

f:id:camdentown2012:20190207181924j:plain

f:id:camdentown2012:20190208113851j:plain

この「古墳島田」というスタイルは、とても美しくクオリティも高いし、バランスもとれているカッコイイ髪型だと思います。

がしかし、そもそもこれは髪なのか?もしや、なにか被り物ではないのか??そんな疑問にぶつかりました。

f:id:camdentown2012:20190208121945j:plain 

f:id:camdentown2012:20190208121949j:plain

埴輪の全体的なバランスで見ても、この頭上の物が大きめに表現されているのがわかります。

そして埴輪自体は、とても緻密に繊細に作られているのに、この頭の上に乗っかっている物だけが、少し「雑」に作られている違和感を感じずにはいられません。

髪型というより、ただ板が乗ってるような…

 

逆に、帽子?被り物らしきものが明確に造られている埴輪もたくさんいます。

f:id:camdentown2012:20190208105116j:plain

f:id:camdentown2012:20190208112132j:plain

f:id:camdentown2012:20190208112225j:plain

様々な埴輪の種類を見ていると、明らかにいろんな形の物を被っています。

みんな個性のある髪型という事なのか、はたまた違ったものを被っているのか…?

 

いやいや!!もはや髪型ではなく、被り物にしか見えません!

そこで、これらを被り物という仮説を立てて、いろんな角度から検証してみました。

まずは、こちら!

f:id:camdentown2012:20190208112301j:plain

f:id:camdentown2012:20190208112408j:plain

↑この2つは、議論の余地なく兜だよね。

この当時使われていた物によく似ていますしね。

f:id:camdentown2012:20190208112116j:plain

f:id:camdentown2012:20190208112108j:plain

(↑この兜のつばは、キャップの原型だな!ニューエラだよ!)

f:id:camdentown2012:20190208165207j:plain 

お次はこちら! 

f:id:camdentown2012:20190208112325j:plain

f:id:camdentown2012:20190208112139j:plain

王冠っぽく見えますよね!さすがにツンツンヘアの髪型ではないよね!?

でもこの写真の、

f:id:camdentown2012:20190208134401j:plain

これは髪っぽいですね!おそらく垂髪のツインテールにしているのでしょうね。

 あとは、これなんかも髪っぽいです。

f:id:camdentown2012:20190208104939j:plain

横から見てみましょう。

f:id:camdentown2012:20190208142855j:plain

完全に髪の毛っぽい表現ですね。ロングヘアーがトレードマークの方でしょう。あとは確実に帽子らしきものを被っています。

お次は、謎の一枚。

f:id:camdentown2012:20190208104959j:plain

f:id:camdentown2012:20190208105007j:plain

完全にハットを被っています!いや、この高さシルクハットですね。

 

f:id:camdentown2012:20190208165451j:plain

そして、この毛先らしき部分ですね。

f:id:camdentown2012:20190208190850j:plain
コレは、一体なんだ!?なんなんだ!?途中までは確実に髪ですよね。(ハンマーにしか見えない。)

毛先に何かつけてるのか?不動明王も葉っぱ付けてたし飾りってこともありえるのかな!?

さすがに毛先のパーマ中じゃないよね!?

f:id:camdentown2012:20190208191710j:plain
っぽいちゃあ、それっぽいね。(笑)

 

 そして改めて、最初の写真を見てみましょう!

f:id:camdentown2012:20190209100616j:plain

f:id:camdentown2012:20190209110036j:plain

これ髪に見えます!?髪ではない何か被り物にみえますよね。

逆に、この髪型を当時作れたら本当にすごいことです。

現代でもこのセットをしようと思ったら、ハードスプレー何本必要になることか…

当時のスタイリイング剤事情を考えると 、まあ難しいでしょうね〜…

 

ということで、現在語られている古墳時代の女性の髪型は、『ありえない!』ということです。(上の2体の埴輪は女性と言われています。)

これは、髪型ではなく被り物ということで断言致しますっっ!!

むしろ、なぜそれを『髪型』だと言い出したのかが不思議でなりません。

 

もはや作り方まで解説されていたりします。

f:id:camdentown2012:20181222130930j:plain

いとも簡単に作れるように描かれていますが、現実的に考えても、物理的に考えても、この髪型は容易にはできないです。

おそらく髪の毛を知らない方がこのように考えたのでしょうが、髪の毛は1本1本独立し、髪型として形成されていくものです。

まるで「紙」を丸める感覚で作られていると思われるのは、本当に残念でなりません…

 

しかし、下の写真のこの部分は、髪に見えなくもないです!

(現在は、逆にこの丸い部分を飾りと言われています。)

f:id:camdentown2012:20190209145636j:plain

というのも、後の飛鳥時代奈良時代あたりから、このトップで輪っかを2個作るスタイルが流行するからなのです!

おだんごのような、この髪型がこの時代からあっても不思議ではないかな〜とも思いますね。

この研究を通して、古墳時代の本当の髪型を、見つけていきたいと、心から思っております。 

 

まとめ

おそらくこの時代に多かった髪型は、ツインテールのように2つに結んでいるか、おだんごのようにあげちゃうのが多かったのではないかなと思われます。

 あとは、帽子のような物を被る機会?が多かったのではないのかなと思います!

機会というよりも日常的にかぶる習慣があったというところでしょうね。

 

 長くなりましたが次回は、もっとさらに掘り下げて考察してみたいと思います!

 

今回ご紹介した埴輪さん達は、こちらにいらっしゃいます。

www.tnm.jp

www.meiji.ac.jp

museum.kokugakuin.ac.jp

 

 

 

弥生時代 1 謎という美学

弥生時代

紀元前10世紀頃から、3世紀頃まで続いた時代

縄文時代ほどではないものの、とても長い約1300年間

近年は、5年単位で髪型の流行というのは大幅に変わる時代であり、30年前の髪型でさえもすごく古い印象を受けるほどですね。

この1300年という長い時間の中で、髪型がどう変化したのかを知る術は、いまのところありません。

縄文時代もそうですが、弥生時代も謎がとにかく多い…多すぎる(泣) 

しかし、一つ言えることは、中国の影響を大いに受けていたということ。当時の中国は、とてつもないほどの大国で、文明が違いすぎました!

大人気の漫画「キングダム」でお馴染みの「春秋戦国時代」から「三国志」の時代も弥生時代なのです。

f:id:camdentown2012:20190802181223j:plain

そもそも何も見つかってないので、文明が違いすぎると思っているだけで、本来はもう少し栄えていたかもしれませんし…

現在考えられている弥生時代土偶を作り、農耕、稲作にほのぼの励んでいる国だったというところです。

しかし実際のところは本当に謎なんです…

 

日本の歴史の始まりでもある3世紀頃、西日本を中心とした東日本の一部によって倭国が建国されました。そして「魏志倭人伝」の記述によれば、邪馬台国を統治していたのが、あの「卑弥呼女王」であったそうです。

今回は、弥生時代(後期)にされていたであろう髪型について考察、検証してみました。

結果から申し上げますと、現段階では「ふりだし」に戻るような答えです。謎すぎて何もわかりませんでした(笑)

 

弥生時代」をイメージした時に、一番最初に思い浮かぶ髪型といえばなんですか?

 

おそらく角髪(美豆良みずら)ではないでしょうか?(卑弥呼さまぁ〜〜〜!のあれ)

f:id:camdentown2012:20190211165019j:plain

この髪型を「美豆良」と言います。

美豆良にも2種類あって、上の写真のような形を「上げ美豆良(あげみずら)」と言われています。一般的に認知度が高い髪型で農民など一般人がしていた髪型と言われていますね…

 

こちらは、逆に「下げ美豆良(さげみずら)』と言われている髪型です。

今で言うところの、お下げ、ツインテールですね。輪っかをつくって結ぶタイプもあります。貴族クラス(身分の高い者)の方々がしていたとされています。

この下げ美豆良は、こういった木像だったり造形物として残っている事が多いので、本当にこの髪型をしていた可能性は高そうです。

f:id:camdentown2012:20190802142705j:plain

聖徳太子像 奈良県

 

 

そして問題は「上げ美豆良」なのですが、

f:id:camdentown2012:20181222130933j:plain

諸説ありますが、8の字にまとめて結んぶ髪型で、この絵は後ろの髪をポニーテールに結んでますね。おそらくこの当時の人達は、髪を切るってことをほとんどしなかったのではないかと思ます。基本的に男女共に長髪。(後ろの毛も横の毛にまとめるタイプもあります。)

この髪型を解説させていただくと、意外とこの髪型(結び方)って一見簡単そうに見えますが、意外と難しいんですよ!

適当に結ぼうと思っても、8の字の部分が横になっちゃったり、結んでるところの部分が固定されにくくボロボロになっちゃったりね…

なんだか結ぶにしても、もっと楽な結び方もあったように思えるし、毎日(もしくは数日に一度)この髪型にするために結んでいたとは考えにくいですね。

そもそも一般人が、自分一人でできるものではないだろうし、ましてやこの時代に髪を結ぶゴムは存在しないのです。おそらく紐(植物の蔓や樹脂など)でまとめていたんでしょうが、とても容易ではないですよね。

もし、この髪型が本当に存在したのならば、一般人が手軽にできるスタイルなどではなく、正装時や貴族クラスがこの髪型をしていたのではないかと思われます。

さすがに農作業をする際に、これは邪魔すぎますよね〜…

是非、想像してもらいたいのが、泥だらけの田んぼで屈みながら作業している時に、頬あたりにプルンプルン髪の束が当たるんですよ!?うわぁーー!じゃまくせぇー!かゆぃいいぃーーー!って絶対なりますよ!

さすがに農作業時は、ただ後ろで結ぶだけの、ポニーテールにしていたんじゃないかな〜。

 

しかし、そんな難しい髪型の美豆良ですが、こちらの埴輪をご覧いただきたい。

1、

f:id:camdentown2012:20190212134000j:plain

2、

f:id:camdentown2012:20190212133951j:plain

この埴輪は6世紀に作られたもので、弥生時代より300年後の古墳時代の物になります。

この埴輪たちは、美豆良っぽいですよね?髪に見えるっちゃあ見える!

(たくさんの埴輪を見てきましたが、美豆良になっている埴輪は、すご〜く少ない。)

実際には、弥生時代に美豆良をしていたという記載(魏志倭人伝)や土偶や埴輪などの作品はまだ見つかっていません。にもかかわらず弥生時代に「美豆良」をしていたと言われる所以がわからないんですよ!

いつから、どこで言われ始めたのかはわかりませんが、おそらくこの埴輪の髪型らしき物と弥生時代のイメージがゴチャゴチャになったところから始まったのではないのかなぁと思われます。
よって、この弥生時代には、まだ美豆良をやっている人は『いなかった』と思われます。(卑弥呼さまぁ〜!は雰囲気だけってことで!)

邪馬台国卑弥呼 = 美豆良ではない。

埴輪に関しては、この後の古墳時代編で詳しく解説していきます。

 

ということで、なんだか見れば見る程デザイン的に、もはやかっこいい感じがしてきた美豆良スタイル。

斬新で、かつ横にボリュームがあるので、顔を大きく見せる効果があり、バランスは良くはないのですが、何かを主張する意図を感じますね。

「目立つ」ということが、何かしらの意味合いで必要だったのかもしれない。

そういった検知から考えると権力者や貴族などがやっていた髪型だったのかもしれませんね。

「美豆良」というスタイルが実在してたらいいなぁ〜。

f:id:camdentown2012:20181222131022j:plain

美豆良が難しいとは言え、現代(いま)ならできんの〜!?って思ってる方もいらっしゃるかもしれませんので、作ってみましたシリーーーズ!!ワァァァーーーー!!

 

現代の技術を最大限に活かし、文明の利器に頼りきった『美豆良』を是非ご覧ください!

f:id:camdentown2012:20190212151115j:plain

f:id:camdentown2012:20190212151134j:plain

f:id:camdentown2012:20190212151123j:plain

…はい。くっっっそ難しかったです!(笑)

左右のバランスも難しいし、高さ、結び、もろもろ奥の深い髪型ですね。

見てるのとやってみるのは本当に違いますね。

(何回作り直しても全然納得いかなかったのですが、これ以上うまくなれる気がしなかったのでこれで勘弁してください。泣)

最初は、ありのままに、当時になりきりながら作ろうと思ったのですが、無理っす。ふつうにムリ…

しっかりとWAXをベッタベタにつけ、ハードスプレーでシューシューし、ヘアゴムでしっかり髪結んでやりましたよ!!

…これで序列がしっっかりわかりましたね。

 

弥生?古墳時代の美容師  > ぬるま湯に浸かりきった現代の美容師(僕だけです。)

 

いや〜、楽しかったです!!こんなぶっ飛んだスタイル本当にワクワクしますね!

ほんっっっとうに弥生時代は謎が多すぎて、いろんなオカルト説がたくさんあります。

そもそも邪馬台国がどこにあったのかも未だにわかっていません。(九州か近畿どっち!?)

いや〜、ロマンが溢れ出しちゃってます。

 

また新たな情報があれば続編も書きますね。

 

 

仏像の髪型 4 番外編

どーーーしても紹介したい仏像を思い出したので追記していきます。

 

通称「アフロ大仏」こと五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆい あみだぶつ)

f:id:camdentown2012:20190202115610j:plain

f:id:camdentown2012:20190202115614j:plain

 京都 金戒光明寺

なぜこのような事態になってしまったかというと、どうやら気が遠〜くなるほど考え続けた結果 、長い時間が経ちすぎて、髪の毛を切ることもできず、修行しつづけた結果こんなに伸びちゃったみたいです。

いや〜、修行のしすぎも考えものですね。

しかしこの作品は、とてつもないインパクトを残し、爪痕をガッツリ刻み込んだ素晴らしい仏像ですね!素晴らしい発想です!!

ちなみに考え込んだ時間は、200億年だそうです…

なんか、なんていうか…アレですね。

  

つづいては、これを見た時思わず声が出てしまった、なんだコレ!?です!

f:id:camdentown2012:20190203112958j:plain

観音菩薩像ですね。(この写真は、水月観音像 アメリセントルイス美術館 中国(宋)時代)

なんでしょう。この美しく、カッコイイ妖艶な感じは。

この観音様はいつか生で見てみたいですね〜。

 

はい。コレじゃなくこっちです!

f:id:camdentown2012:20190203112955j:plain

よ〜く見てください!

f:id:camdentown2012:20190204154346j:plain

こっちも

f:id:camdentown2012:20190204154350j:plain

はい。

f:id:camdentown2012:20190204154353j:plain

そして絵画でも

f:id:camdentown2012:20190204154341j:plain

 はまぐり観音

お分かりでしょうか!?

そうなんです。この耳に輪っかのように、かかっているこの毛束は一体なんなのかってことなんです。
観音菩薩」にとても多い髪型で、 おそらく「もみあげ」なのですが、まとめ損ねたようにも見えないんですよね〜。

ちょうど耳の半分あたりのところで輪状になっています。耳たぶは垂れていて、相当大きめのピアスをつけていらっしゃいますね。

後ろは、単髻などのようにまとめ上げられ、そこにうまく馴染ませている感じですね。実際に後ろから見ても、どうやったらそのようにナチュラルにセットできるのかわかりませんでした。 

現代なら、もみあげだけ別にして、後からヘアピンで留めればいいのですが、後ろから仏像を見た感じでは、もちろんですがピンは見当たらないですね…

両方のもみあげ部分をたるませた状態でトップで結ぶというのは、一人ではなかなかできるもじゃないですし、現代の美容師からみても、とても高度な技術が必要なほどです。

 「架空の髪型だから」と言われればそれまでなのですが、なんだかとても謎なのです。

そもそもなんのために!?

オシャレ?アクセントをつけたかった?たまたまなんとなく?謎です…

ちなみに、この髪型の輪の部分にはには、まだ名前がないので(私の知る限り)決めちゃいましょう!

 『耳輪垂らし(みみわたらし)』!!

 

っそのまま!

いや〜、謎が多いです。

きっと何か意味があって最初にデザインした仏師さんも造ったはずなので、いつかその意図を解釈できたらなぁと思っております。

実際に仏師の方にもインタビューさせていただいて、この謎をお聞きしたところ、当時の風俗や流行などを反映していることが多いので、オシャレで作ったんじゃないかとのことでした。

勉強になります!!

 

 最後の絵画の観音様(はまぐり観音図)は、ラインも2本入ってますね!イケてるぅ〜!!LDH系。

 

仏像の髪型 3 不動明王編

仏像の髪型を研究してきて、たくさんの仏像を見ていく中で、「不動明王像」に魅力を感じる自分に気がつきました。

 

みなさんは、不動明王と言われると何をイメージしますか?

怒ってるとか、恐そうとか、めっちゃ強そうとか、閻魔大王的なやつとか、ガンコ親父とか…(僕もそう思ってました!)

色々あるかとは思うのですが、実はよ〜く不動明王をみていると、それがそうでもないように感じてきます。

 

時代によって、または作者によっても作風は変わるのですが、意外と優しく見えてくるんですよ!

誠実で、実にイイ眼をしているんです。嘘がなく、魂でもこもってるんじゃないかってくらいに光があるんです!

f:id:camdentown2012:20190203101722j:plain
国立博物館 平安時代 不動明王

もはや理想の男性像ですね!

特に目を引いたのが、髪型がとても多彩で「柔と剛」を感じる作品に、より圧倒されていました。

そもそも不動明王とは、大日如来の化身、もしくはその内心の決意を表現したものではないかと言われています。(怒りみたいなものですかね。)

 

仏陀とは違って、架空のキャラクターですので、仏師の遊び心が満載の不動明王の魅力を、少しでもお伝えできればなと思います!

f:id:camdentown2012:20190129123143j:plain

 

不動明王でよくある部位の説明から、

f:id:camdentown2012:20190131095416j:plain

京都醍醐寺 不動明王坐像 鎌倉時代 1203年

 

総髪(そうはつ)

髪の毛をすべて1箇所に集めていく髪型(不動明王の場合は左)

弁髪(べんぱつ)

髪の毛を束ねて垂らしている状態の髪型(現代で言うおさげの部分)

開蓮(かいれん)

蓮の花が咲いています。花が咲いていないバージョンで『莎髻(しゃけい)』というのもあります。莎髻はトップの髪を少しまとめたような形をしています。(まるで切り株のような)

 

上の写真でもわかるのですが、あらためてよ〜く見てみるととても斬新な髪型をしています。

なぜか左側に髪の毛を集めて耳の前(もみあげ付近)でおさげを作っているスタイルにしていますね。

ちなみに横の写真も見てみましょう。

左側

おそらく後ろの毛も、左もみあげに集めているように見えます。(7〜8箇所留めていますね。)

f:id:camdentown2012:20190131175402j:plain

右側(左の写真が無かったため、似ている不動明王像)

右側も左もみあげに向かって、まとめていますね!

f:id:camdentown2012:20190131175347j:plain

ということは、すべての毛を左もみあげの方面へ総髪にしているということは、結んでない時の状態は、とてつもないアシンメトリースタイルということになりますね。

なかなかリアルにこの髪型にしようと思うと大変ですね…

左側の長さが鎖骨より少し長いくらいで、右側は、胸下〜お腹くらいの長さがないと難しそうですね。

総括しますと、不動明王は、この「もみあげおさげスタイル」の髪型にしたいがために変則的に髪の毛をがんばって伸ばしたということになります。

本当にこの髪型にするには容易じゃないです!努力を感じます。

 

他の不動明王の髪型も見ていきましょう!

f:id:camdentown2012:20190131182118j:plain

東寺講堂 国宝 弘法大師空海作 839年平安時代

こちらは、あの空海さんがお造りになったそうです!今日本にある不動明王像のベースになったとも言われる作品だそうです。ちなみに髪型はほぼ一緒に見えますが、髪を留めている箇所が4〜5箇所になっております。(最初の写真の像はたくさんギュウギュウに結んでましたね。)

 

お次は、

f:id:camdentown2012:20190201124128j:plain

明王院 鎌倉市 鎌倉時代製作 不動明王坐像

アップで。

f:id:camdentown2012:20190201124427j:plain

こちらは髪の毛は短いですね。センター分けにし髪は巻貝型方式、もみあげ付近の長い部分は、おそらく前髪以外の横の毛をのばして、ネジネジ捻りセットしているのでしょうね。

そして毛先に、葉っぱのような物もオシャレにアレンジを加えられています。

 この葉っぱは、かえでかな〜なんて思ってたのですが、調べてみたらこれに近いような気がします!

f:id:camdentown2012:20190201135235j:plain

カクレミノ 

なんか、すごい遊び心満載のオシャレさんやなぁ〜。カッコイイ!!

 

お次はこちら

f:id:camdentown2012:20190201142533j:plain

山梨県 大聖寺 不動明王坐像 平安時代

三つ編みしてますね〜!キレーですわ!

パッと見、編み込みしているように見えますが、おそらくその下にカチューシャ的な物をされているのを考慮すると、一度ヘアバンド的に下から留めてあげて、ハチ部分あたりの高めの位置から三つ編みを垂らしている感じでしょうね。

そのほうが三つ編みをより強調できますし気合も入りそうです!

f:id:camdentown2012:20190201144746j:plain

こんな感じで、髪の毛を全部上げた状態で、左のハチ部分から三つ編みを垂らしていくということですね。

意外と自分でやるの難しいと思いますよ。

ということで、4つの不動明王様をご紹介させていただきましたが、どうでしたか?

紹介しきれない素敵な作品もたくさんありますが、なかなかキュートな髪型をされていますよね〜!

一見、強面な顔に見えますが、髪の毛のアレンジは、しっかり忘れないオシャレさんの一面も垣間見れたのではないかな〜と思います!

 

もちろん弁髪のない不動明王さんもいらっしゃいますので、是非見に行かれる際には、髪型も気にして見ていただけると不動明王様も喜ばれるかと思います!

 

最後にとてもお気に入り(不思議髪型セレクション)を発表していきます。

4体の神将立像なのですが、不動明王の如く怒ってます。

髪型も炎髪です。ガンガンに逆立ってます。

 

がしかし、よ〜く見てみてください。

みなさんの頭の上になにか乗ってますね。

f:id:camdentown2012:20190201154318j:plain

ん?

f:id:camdentown2012:20190201154337j:plain

動物か?

f:id:camdentown2012:20190201154559j:plain

ん??

f:id:camdentown2012:20190201154357j:plain

かかか、か、か、か、か、かわうぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーー!!!!!!11!

f:id:camdentown2012:20190201154343j:plain

仙台市博物館 木造十二神将立像 鎌倉時代
なんすかこれは!?なんなんすかぁー!!

髪の中からひょこり小動物が顔だしてるよぉぉぉー!

神将さんめっちゃキレてるけど気づいてないの??

え?まさか飼ってる?

 

ということで、なんでしょう。この仏師というアーティストの遊び心は…

初めて見た時に本当に目を疑いましたね!この「柔と剛」の使い方。
『美しさ』と『カッコよさ』と『かわいらしさ』の究極の極みではないかと。

しかもこの動物たちもリアルに造られているというよりかは、キャラクターのようなかわいさを持ち合わせていますね!

現代の世界に誇る日本のアニメや漫画文化は、こういった先人たちの礎の上に立っているんだなと改めて感じました。

元祖ゆるキャラ鎌倉時代からありました。

 

仙台博物館には四体しかなかったのですが、十二神将像なので、どこかにあと八体あるのでしょうね。おそらく十二支をモチーフに動物が乗っけられているのだろうと思います。

いや〜、ほんと大人になったって「遊び」って大事だよ。

 


 

仏像の髪型 2 髪型の種類を徹底解説!

今回は仏像の髪型の種類についてご紹介していきます!

まずは、前述でお伝えした「螺髪(らほつ)」から解説していきます。

 

通称パンチパーマ!ですね!

f:id:camdentown2012:20190122171047j:plain

あっ!コレじゃない!

  

こちら!

f:id:camdentown2012:20190122132318j:plain

マトゥラー仏像

螺髪は、1つ1つが「右巻き」に造られています。

ほとんどの螺髪の仏像は、右巻きなのですが、一部例外の仏像もいたりします。

有名どころだと、鎌倉大仏さまですね。

これがなんと左巻きなんですね〜!実は、なぜなのかわからないそうです。発注ミスですかね…

まあそんな細かいことはどうでもいいんですよっ!!カッコイイんですもん!

(ある地域によっては、人を馬鹿にするとき「左巻きなんだよぉ!」と言うそうです。語源はココみたいです。)

f:id:camdentown2012:20190122165546j:plain

諸説あるのですが、本当に仏陀は右巻きの天然パーマだった説もあるようです。ただ、ここまでクルクルくせ毛の人ってインド人にはいないんですよね。「三十二相八十種好」を加味するともしかしたら仏陀は黒人だったのかもしれませんね。

f:id:camdentown2012:20190124105415j:plain

ウィルスミスの息子こと、ジェイデンスミス

 

ちなみに大仏さま等の仏像の頭の形にも意味があります。 

f:id:camdentown2012:20190122231537j:plain

大体の大仏や仏像にあるトップの膨らみを、『肉髻(にくけい)』と言います。

脳が膨らんで頭が高く盛り上がったのを表現しているようです。物事をあるがままに把握し、真理を深くまで会得し認識できる脳だからだそうです。深いですね。

 

『肉髻珠(にくけいじゅ)』肉髻と頭の間の丸い物

肉髻珠は、仏像によってはない物も多いのですが、通常は水晶が付けられています。

水晶の下に朱色に色をつけ、朱く光るように造られているそうです。まさにインド人のような感じでしょうね!智慧が発する光を表現しています。

 

『白毫(びゃくごう)』

 仏像の額にある、4.5センチの1本の毛を表現した突起物です。

 仏の慈悲の光が全世界へと届き、悩み苦しむ人々を、見えぬところまで見抜くことのできる、力を意味しているそうです。

1本の毛スゴすぎぃ〜〜!!

とりあえず仏様の能力値がハンパじゃないことは理解できました。

 

 お次の髪型はこちら!(ざっといろいろ紹介していきます。)

『剃髪(ていはつ)』

お地蔵様でとても有名ですね!一番身近で馴染みがありますね! 

f:id:camdentown2012:20190125123305j:plain

地蔵菩薩像 法隆寺(奈良)9世紀

 

f:id:camdentown2012:20190128174104j:plain

 京都六波羅蜜寺 空也上人像 鎌倉時代

口からなんかでてるぅ〜!(念仏を唱えたら六体の阿弥陀がでちゃったみたいです。)

 

『垂髪(すいはつ)』

菩薩像などに見られる髪型

髪を両側に束ねるスタイル(今で言うツインテールですね!)

この菩薩像は、両方に分けてさらに三つ編みっぽいアレンジをするという遊びも効かせてますね!(注 三つ編みしてない仏像もたくさんあります。)

f:id:camdentown2012:20190125234351j:plain
後ろ

f:id:camdentown2012:20190125134514j:plain

上海博物館 菩薩石像 7〜8世紀

かなり高度な髪型ですね!

 

ちなみにこちらは、左右の襟足部分からストレートに垂れているだけになっていますね。

f:id:camdentown2012:20190126185323j:plain

百済観音(くだらかんのん)飛鳥時代法隆寺

 

『宝髻(ほうけい』

宝髻という髪型は、細かく分類するとたくさんの種類あります!

日本にある仏像のほとんどは、この髪型をしていることが多いように感じます。

一挙ご紹介します!

 

「単髻(たんけい)」

髪を頭頂部で一つに結んだスタイル(現代でいう、おだんご) 

f:id:camdentown2012:20190127004234j:plain

アップで。

f:id:camdentown2012:20190127004349j:plain

単髻にして冠をかぶってる仏像も多いですね。

 

「双髻(そうけい)」

その名のごとく、2ヶ所に結んだスタイル(おだんご2個、現代でいうミッキースタイル) 

f:id:camdentown2012:20190127155219j:plain

アップで!後ろ

f:id:camdentown2012:20190127155238j:plain

弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)飛鳥時代 7世紀?

やはり襟足は、垂髪でオシャレに遊びを効かせてますね!

 

f:id:camdentown2012:20190127155435j:plain

善財童子像 鎌倉時代 奈良

横にしすぎたミッキーかな!?でも雰囲気あって素敵ですね!


「五髻(ごけい)」「六髻(ろっけい)」「八髻(はちけい)」

5〜8箇所を結んだスタイルあります。(もうわけわかんないっす。)

f:id:camdentown2012:20190127170013j:plain

制多迦童子 京都 霊宝館

後ろの写真がなかったんですけど、後ろも一つ結んでいるので 五髻のスタイルですね。

 

「三山髻(さんざんけい)」「五山髻(ござんけい)」など

単髻の変則アレンジで、単髻で結んだ後に、三条(五条)に分け山型にセットされたスタイル(髪の毛遊ぶねぇ〜。) 

f:id:camdentown2012:20190128100024j:plain

アップで!ギザギザしてますね〜。五山髻ですね!

f:id:camdentown2012:20190128100253j:plain

 広目天像(こうもくてん)奈良県

 イケメンやなぁ〜。

 

「垂髻(すいけい)」

 単髻に似ているスタイルで、高さを出していくスタイルです。

(髪の毛の根本とすぐ上くらいを2箇所結ぶスタイルですね。単髻等は毛先をクルッと丸くおだんごにするが、垂髻は毛先をそのまま下ろしている。)

f:id:camdentown2012:20190128132408j:plain

f:id:camdentown2012:20190128132515j:plain

阿修羅像 奈良時代(734年) 興福寺国宝館
 

「高垂髻(こうすいけい)」

さらに高さを出していくスタイルです!垂髻との境界線はとても曖昧なのでとにかく高ければ高垂髻と言っていればokだと思います!

た、た、高い!!

f:id:camdentown2012:20190128154319j:plain

 大日如来像 鎌倉時代 石山寺

 

「焔髪、炎髪(えんぱつ)、怒髪(どはつ)」

 不動明王や風神、雷神などに多いスタイルで、髪の毛が炎のように逆立っているように表現している。怒髪天とはこのことかもしれません。 

f:id:camdentown2012:20190128095359j:plain

蓮華王院 三十三間堂 雷神

か、か、か、カッコイイぃ〜!
 

ということで、ざっと「髪型の種類」についてご紹介してきましたが、本当に仏像様にもたくさんの髪型がありますね〜!

もちろんここに紹介しきれない「不思議な髪型」「おもしろ髪型」が たくさんあります。

これから、お寺や博物館などに行かれる際には、是非髪型も注目していただけると、より面白さが広がると思います!

 

仏像は、製作された時代やら流行りによって変わっていきます。

その時々で創られる仏像(髪型も)は、創り手の情熱によって、何か時代をも超越し、魂を込められ、現代までカッコよく、そして美しく残るものだなと改めて想いました。

 

情熱って大事だよ。

 

次回は、私のお気に入り仏像こと、不動明王について、詳しく解説していきます!

 

 

仏像の髪型 1 仏像の始まりと仏

仏像にも「髪型」があるのは、みなさんご存知ですか?

この日本に生きていれば一度は見たことのある、慣れ親しんだ仏像

意外とお顔立ちや雰囲気、全体のバランスを見るくらいで、なかなか髪型までご覧になる方は少ないかと思います。

たくさんの方にお聞きすると、「髪型なんてあったっけ?」「どんな髪型だっけ?」という回答がほとんどでした。

 

そうなんです!しっかりとみんな「髪型」があるんです!しかも、結構攻めた髪型してるんです!!

ということでまずは、簡単にですが仏像と仏教の説明からしていきましょう!

 

仏というのは、現在のネパール、当時のインドで紀元前500年前後(諸説あります。)に釈迦は生まれ、後に真理の悟りを開き、仏陀になりました。そこからアジア圏に『仏教』として広まっていった宗教です。

ちなみに仏陀は80歳で入滅したそうです。(亡くなったそうです。)

そして、仏像が造られ始めたのは、仏教ができてから500年以上も後のことだったそうです。

意外ですよね!?てっきりすぐ造られ始めたのかと思ってました!

『仏像』の起源も、これまた諸説あるらしく未だにバチバチの論争になっております。

どうやら、「ガンダーラ起源説」と「マトゥラー起源説」のどちらかという感じになっているらしく、両方ともに1世紀中頃に造られ始めたと言われております。

 

んん?よくわかんなくなってきた…(日本だと弥生時代

f:id:camdentown2012:20190121125739j:plain

ガンダーラ仏像の特徴は、ギリシャ彫刻の影響を受けてか、リアリティのある作品が多そうです。顔は彫りが深く、髪型は波状毛(長めのくせ毛感)トップでまとめておだんごにしていますね。

f:id:camdentown2012:20190121125736j:plain

2~3世紀頃、イケメンですね〜!

f:id:camdentown2012:20190121132321j:plain

こちらは何かを被ってますね〜。冠かな?。。。ん?なんかこんなゴチャっとした感じの冠、どこかで見たことあるような…土偶の被ってた冠に似てる気がする。

  

マトゥラー仏像の特徴は、ガンダーラとは対照的に、丸顔で、目を大きく見開くような目つき、顔立ちは優しそうなインド人風の雰囲気ですね。あと使っている石の素材も違ったそうです。

f:id:camdentown2012:20190121125742j:plain

髪型はと言いますと、何か頭の上にニュルッとありますね。

f:id:camdentown2012:20190121132314j:plain

 拡大してみました。

f:id:camdentown2012:20190121144150j:plain

何かがやっぱり乗ってます。う◯こ??いや、ソフトクリームかな?

おそらくガンダーラとは違って、トップにまとめてニュルッとネジネジしたのかな!?

巻貝型とても斬新ですね。

そしてこちらは、

f:id:camdentown2012:20190121132916j:plain

3〜4世紀くらいに作られた仏像です。

ついにきましたね〜!螺髪ッッ(らほつ)!!これがあの有名な奈良や鎌倉などの大仏さまの髪型の原型ですね!

この頃から、現代まで続く、螺髪の髪型の仏像が造られ始めました。

よ〜く髪を見ると、全て右巻きぃぃー!そうなんです螺髪は右巻きなんです!

一つ一つが実はすべて右巻き状になった髪型になっています。

大元の上のソフトクリームの髪型も右巻きです。最初は大きめの右巻きが一つだけだったんですね。

そしてこちらが、西暦752年ごろ完成の

f:id:camdentown2012:20190121170930j:plain

奈良の大仏こと、東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)

迫力ありますわ!すごいっす!!

 

どちらかというと、マトゥラー仏像の方が日本に馴染みがありそうな気がしますね。

っていうか、最初にこの螺髪という髪型考えた人マジですごい!斬新な発想すぎます。

 

というわけで、決して仏陀の髪型を忠実に再現したのが、「仏像の髪型」というわけではなく、仏陀が入滅してから500年以上も先になってから、仏像が造られ始めたということですね。

もちろんこの頃には、仏陀に会ったことがある人はいません。想像や教えのみで語られていた、「仏」という偶像が心の拠り所になっていたのかもしれませんね。

しかし、この頃から語られている仏陀の『三十二相八十種好』(仏陀の32個の大きな特徴と80個の細かい特徴)は、そのまま解釈すると、まるでこの世の者とは思えない恐ろしい生物になってしまうのですが、当時の仏師のイイ感じの解釈によって今日も人々に愛される仏像になったのでしょうね〜。(そもそも仏陀は剃髪だったらしいですけどね。まあお年も召していましたしね。)

 

今回は、仏像の成り立ちをざっくりとですがご紹介させていただきました。

 

 

縄文時代 2 土偶編

縄文時代と言えば、土偶!!皆さん土偶って覚えてます!?

 

土偶という造形物もまた不思議な物です。

これまでたくさんの土偶を見てきましたが…わからないんです。

髪型があるような。ないような…(土偶は基本的にはすべて女性です。)

中にはこれ髪型かな?なんて思うものもあるのですが、若干…いや、結構わかりづらいですね。

 

そもそも土偶という物は(諸説あり)、妊娠中の女性をモチーフに作られていて安産祈願や家内安全、五穀豊穣などを祈願するために作られていたのではないかと言われております。

もちろん妊娠中の女性だけというわけではなく、中には妊娠していない女性のもあります。(本当に数は少ないですが男性もあるようです。)

しかし、それらの女性をそのままモデルにして作られているかというと、そうではない気もします…

あまりにも「象徴的」に造られているという事やそもそも人にも見えない…

まぁ、キャラクター感出すぎですね!キャラ濃すぎです。(もはや使徒!)

前のブログでもお伝えしましたが、とても長い縄文時代ですから、年代や地域によっても作風が微妙に違ってきます。

 

とりあえずご覧下さい!

現在、国宝認定されている土偶がこの6点!

f:id:camdentown2012:20190118101803j:plain

遮光器土偶(晩期)青森県出土 国立博物館

 

f:id:camdentown2012:20190118101757j:plain

中空土偶(後期)北海道出土 函館市縄文文化交流センター

 

f:id:camdentown2012:20190118101754j:plain

合掌土偶(後期) 青森県出土 八戸市埋蔵文化財センター

 

f:id:camdentown2012:20190118101750j:plain

仮面の女神 (後期)長野県出土 茅野市尖石縄文考古館

 

f:id:camdentown2012:20190118101747j:plain

縄文の女神 山形県出土 (中期)山形県立博物館

 

f:id:camdentown2012:20190118101743j:plain

縄文のビーナス(中期)長野県出土茅野市尖石縄文考古館

本当に美しいですね。そして、とにかく精巧に造られています。

先ほど「象徴的」に造られていると書きましたが、どう考えても『あえて』象徴的に造っているようにしか思えません!

あっ、ちなみにほとんどの土偶はほぼ裸です。(もう一度言います土偶は女性です。)

オススメは、縄文の女神ですね!(山形押しです。)

 

装飾品や衣服の模様?のようなものは繊細に造られていますが、髪の毛(髪型)はと言うと…なんか「ざっくり」といいますか…

冠のようなものを被っているのか、もしくはおだんごのような感じでまとめているのか…なんとも言えない感じですね。

もし結んでいるとしたら、小振りにまとまっているスタイルが多いように見受けられます。

そんな土偶達の中でも、髪型がわかりやすい土偶達はこちら!!

f:id:camdentown2012:20190118115358j:plain

裸婦土偶

肩に付くか付かないかのボブスタイル。なんか現代的な髪型に見えますね!

 

現代人で表現したら、こんな感じでしょうか!?

f:id:camdentown2012:20190118125056j:plain

 うん!近い近い!もはやコレ!


お次はこちら!

f:id:camdentown2012:20190118115401j:plain

こちらは、なんとも言えない髪型になっていますね〜!

パーマスタイルかな?ワシャワシャっと髪型が表現されているように見えます。

 

現代風に表現したらこんな感じでしょうか?

f:id:camdentown2012:20190118125702j:plain

 絶対コレだ!

 

お次は…

f:id:camdentown2012:20190118115557j:plain

遮光器土偶の後ろ なのですが…全くどうなっているのかわかりませんね。

上で一つに結んで何か被り物をしているような…ん〜、とりあえず現代で表現するのは不可能そうです。

 

あっ!もはやハート型もいます。 

f:id:camdentown2012:20190118101800j:plain

もう訳分かんないっす。
 

ほんと土偶って不思議ですよね〜!分からない事が多すぎます!

ここでは紹介しきれないほどの土偶を見てきて、1つだけわかった事は明らかに髪型がボサボサのやつはいないということです。

まとまっていたり、丁寧にセットされている土偶がほとんどです。

この時代の土偶のクオリティを見ていると、前のブログでお伝えした櫛(くし)や簪(かんざし)などを使って、オシャレを楽しんでいたのは言うまでもありませんね。

土偶という前衛的なデザインで遊び心満載の作品を、もし生で見る機会があれば、髪型も注目してみると面白いと思います!

本当に1つ1つ違った、作り手の遊び心が垣間見られます!

 

最後に面白いものをいくつかご紹介していきますね。

f:id:camdentown2012:20190117170402j:plain

埼玉県出土(後期)国立博物館

珍しく激しめの髪型「ミミズク土偶」もはやかわいい!完全にゆるキャラ!!

 

心温まる縄文の一品

f:id:camdentown2012:20190118101813j:plain

こちらは赤ちゃんや子供の手形、足型の記念品でしょうね。

いつの時代でも子供はかわいいんですよ!親の大きな愛を感じますね。(涙)

この子供達も、我々の遠い遠〜い祖先であって、現代まで数千年紡がれているなんて想像もできないでしょうね〜!

受け継いだこの命を大事にしなければならないと、心から想いを馳せてしまいます。

 

お気に入り土偶も紹介していきます。

f:id:camdentown2012:20190118101830j:plain    

f:id:camdentown2012:20190118101820j:plain

なんかかわいいです。全然憎めません。まるでドラえもんのようなキャラ感。

 

石仮面ッッッッッッ!!(ジョジョ風)

f:id:camdentown2012:20190118101807j:plain

一説にはデスマスクなんじゃないか説もあるみたいです。



そういえばみなさん!土偶と埴輪(はにわ)の違いもちろん分かりますよね!?? 

 

 

縄文時代 1 美容、雑貨編

まずはじめに、縄文時代はどんな感じだったのかを見てみましょう!

一般的に『縄文時代』と呼ばれている期間は、紀元前12000年~紀元前1000年位までのとても長い長い年月が一括りになっています。

簡単に分けると、

紀元前12000〜7000年くらいを草創期

紀元前7000〜4000年くらいを早期

紀元前4000〜3000年くらいを前期

紀元前3000〜2000年くらいを中期

紀元前2000〜1000年くらいまでを後期

紀元前1000〜弥生時代までを晩期

という6つのカテゴリーに分けられます。

縄文時代といえば、みなさんはどんな生活を想像するでしょうか?

 

一万年以上前という想像もつかない長〜い時間の中で、文化やファッション、流行、髪型さえも、たくさん変わってきたでしょうね。

もちろんそれらを全て説明できるほどの『物』は、まだまだ発見されず解明にはとてつもないほどの長い時間をこれからも要していくことでしょう。

 憧れやロマンすらも感じるこの時代、文化や髪型は一体どんなものだったのでしょうね。

 

私はこれまでにたくさんの博物館、美術館を回ってきました。

私自身が感じたのは、美意識とはまるで無縁の原人の模型が展示されていたり、教科書や参考書などでも、全く文明が発達していないように描かれる事が多く見受けられました。

結論から言えば「そんなわけないだろう!」ということです。

そもそも縄文時代のどこの部分を切り取って模型にしているのかは謎ですが…

あまりにもったいないほどの長い時間ですね。

中国やエジプト、中東などの歴史で言えば、紀元前2000年頃には、圧倒的に文明が発達していたり、沢山の制度が制定されたり、領土争いのために戦争が起きているほど進んでいました。(ちなみにお隣の中国では最初の王朝「夏」(か)が誕生しました。)

 

さらに遡ること2000年…エジプトの王国が誕生し、今から4000年くらい前にはエジプトにピラミッドできちゃったらしいです。

f:id:camdentown2012:20181228174601j:plain

スゴすぎますね!

 

日本はと言いますと土偶や土器などは「縄文時代中期以前」の物があまり発見されず 、文明の差を感じずにはいられません。

(まあ、良いものがたくさん発見されているので、完敗ではない。惨敗ってことくらいにしときましょうか!)

 しかし、日本史のスタートでもある縄文時代の歴史をなぞっていくと、文化的にもファッション的にも我々の思っている以上に発展していた事実が浮かび上がってきました!

 

髪型に関しては、近年興味深い物がたくさん出土してきています。

下の写真は福井県で出土された「櫛(くし)」です。

漆塗りの櫛で、なななんと!約6100年前に使われていたそうです。(ピラミッドと同時期くらい)  

f:id:camdentown2012:20181222131649j:plain

福井県立若狭歴史博物館

かっこいいですね!髪型を彩る飾りとしてもすごく素敵です。

おそらく「櫛型かんざし」なのかな?持ちやすそうにも見えますし単純に髪を梳かしやすそうです!

この櫛からだけでも、6000年前から自由な髪型をして遊ぶほどのおしゃれさん達だったのは読み取れますね!

 

そしてこちらは、埼玉県で出土された縄文晩期の櫛もしくは簪(かんざし)?

上の写真の物よりは新しいものですが、この櫛もなにか「意図」を感じる一品ですね!

本当に素敵です! 

f:id:camdentown2012:20181228235839j:plain

さて、ここで疑問になるのが、この櫛は日常的に使われていた物なのか?もしくは地位に高い人等が使っていた物なのか…

現代的な考え方をすれば、漆をわざわざ塗ってまで精巧に作られているのをみると、上流階級の人の物だったのかなぁ。

この時代に「漆を塗る」って行為が特別な事ではなく、日常的に加工される技術だったのであれば、誰でも当たり前のように使っていたのかもしれないし。

まぁ、一つだけ確かなことは、この時代から髪をとかすという行為は、当たり前の事だったろうし、髪を綺麗に見せたい、オシャレな漆塗りのヘアアクセつけたい!という美意識も高かったのは間違いなさそうですね!

まだまだ分からない事の多い縄文時代ではありますが、少なからずこの時代の大半は、髪の毛ボサボサの原人みたいな人達ではなく、美意識を持ち、髪の毛をアレンジし、ヘアアクセの新作を作ったりと、生活を楽しんでいたのではないのかなと思います。

 

結果的には、まあ今とさほど変わらないですね!

可愛くみられたい、モテたい。いつの時代もコレにつきますね!

所詮、人間の考えることは、時代や世代を超えても、やはり人間なんですね〜…

 

そして、こういった髪飾りやピアス、ペンダント等の縄文オシャレ雑貨は、北は北海道から全国各地でも発見されて、全国的に美に対する水準はたかかったのが伺えます。

 

f:id:camdentown2012:20190118101656j:plain   f:id:camdentown2012:20190118101644j:plain

おしゃれピアス(今見てもカッコイイ!もはや流行りそう!)

 

f:id:camdentown2012:20190118101705j:plain 

硬玉製大珠(ネックレスのヘッド)

f:id:camdentown2012:20190118101633j:plain

ブレスレット、小物アクセ等

f:id:camdentown2012:20190118133623j:plain

男性用アクセ so cool!!(もはやコレ欲しい!)

 

土器や土偶などは関東甲信越あたりから北海道までの北側に多く出土していますね。

西から南は現在まだ数が少なそうです。(これから多数新作出ちゃうかもYo!!)

 

 最後に

f:id:camdentown2012:20190118101732j:plain

鹿角、骨で作られた簪(かんざし)?、笄(こうがい)?縄文ヘアアクセ!本気でカッコイイです!!
 

 

とりあえず『美』に気を使う文明あったよ!!