世界の髪型美術館〜髪型の歴史〜

いままで語られてこなかった日本史と世界史の『髪型』を徹底的に解説、考察していきます!

江戸時代 2 女性の髪型 1700年代

今回は、1700年代に流行ったであろう髪型を見ていきたいと思います!

 

下の絵は1700年代初頭〜中期の作品になります。

遊女の髪型を見てみると、「垂髪」や「勝山髷」、「笄髷」などが主流になっていますね。

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遊女には、『禿(かむろ)』と呼ばれる遊女見習いの少女が何人か付きます。

身の回りの世話だったり、まあお手伝いさんみたいなものですね。

たくさん従えていればいるほど売れっ子の証でした!

禿さん姫カットですね!

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琴の練習でしょうか。やはりこの時代も教養のある女性は売れっ子でありモテます!

 

はい!ここで何か髪型で気になる事はありませんでしたか?

 

えぇ。そうなんです!

ココなんですよ!

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この分け目?筋?的なこれは一体なんなんだろうか!?

この時代に描かれた遊女の絵画にとても多いんですよね〜。

おそらくこの時代に流行ったスタイル(おしゃれ)である事は間違いないんでしょうが、なんなのかちょっとわからないですね…

 

現状考えれ得るいくつかの考察をあげておきます。

 

1、髪型を強調させるための作画技法

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2、オシャレでラインを入れている。

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信長もやってた例のアレ。

 

3、白髪を上手に残している。

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近藤サトさん

いや、いやさすがに白髪を活かすのは、難易度が高すぎるな…

 

4、ハイライトをしている。(カラーをしている。)

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筋のハイライト!当時からギャル文化は存在した説。

いや〜…ほんと謎です。個人的には何かしらの着色または、染めているんじゃないかな〜と思うんですけどね〜。

筋の部分も各々、不規則に入っているため、何かしらの無作為の感覚的な造形を思わせますしね。

ん〜。まだ証拠不十分なので、この問題は分かり次第追記してまいります。

 

他には、こんな素敵な絵もたくさんあります。

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宮川一笑 吉原風俗図

なんだか江戸の雰囲気伝わってきますね。

1700年代は戦もないし、ほんと平和だったんだろうな〜。

もはや過去の歴史上、現代も含めて一番平和な100年だったでしょうね!

2000年代も人々の争わないそんな100年にしたいですね。

 

そろそろ、みなさんが一番気になってるこの部分の解説していきます!

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髱(たぼ)の部分ですね!

前にも紹介しましたが、

f:id:camdentown2012:20190526185102j:plainパーツごとの名称

 

なぜにこんなにもニョキッと出ているのか!?

1600年代後半からこのスタイルが見られ始めて1700年代後半まで流行っていました。

 ほとんどの遊女はこのスタイル一択ですね。

はい…もちろん僕には1ミリも作れる気がしませんが、一度は生きているうちに一度は…作ってみたい。

ということで、何故にあんなにも重力に逆らっているかと言いますと、『髱差し(たぼさし)』という道具を使っています。

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えぇ。忍具ではございません。全くもってどう使うのかも想像がつきませんが、これを髱の中で固定して作っていたようです。

そもそも最初は、髱の部分が垂れているだけのスタイルでしたが、髪につけている油の影響で着物が汚れてしまうというところから考案されたようです。

そうですよね。大事な着物ですし襟の部分がベタベタになったらそりゃあ嫌ですよ!

 f:id:camdentown2012:20190629100353j:plain初期はこんな感じ

 

ちなみに先ほどのスタイルの名前は「鴎髱(かもめづと)」という名前です。そのままですね!鴎の翼のような髱ということですね。

ほんとこの時代の髪結い師さん達のレベルが高すぎて、わけわかんないです。技術力もそうだし発想、デザイン力すべてにおいて凄すぎです!

なんかカッコイイのかどうかも判断がすごく難しいですが、とにかく斬新です。

江戸時代の髪結い師>>>>>>>>>>>>>>>>>>現代の美容師(僕だけ)

久々にこの構図ぅぅ!

 

他にはこんな髪型もされていました。

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懐月堂安度 遊女立美人図

普通は、髪の毛を根元から結ぶものですが、逆に毛先だけグルグルに結ぶのもカッコイイですね!なんか妖艶な感じでてすごくいいです!

 

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 そしてこちらのスタイルが、「根下り兵庫」というスタイルです。

前回ご紹介した、兵庫髷の進化系になりますね。高めに作られていた兵庫髷から下の方に作られています。このスタイルも中期頃に流行りました。

 

そしてついに!1700年代後期になると「灯籠鬢(とうろうびん)」こと、よくある江戸時代のイメージするこの髪型が登場します!

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勝川春章 美人鑑賞図

いや〜カッコイイですね!美しい!

 

灯籠鬢アップで見てみましょう。

f:id:camdentown2012:20190628151258j:plain勝川春章 美人按文図

中期まで主流だった「髱(たぼ)」は見る影もなくなり、シュッとしましたね!

それとは別に「鬢(びん)」の部分が、ガッとせりだしてきましたね!

髷(まげ)の部分もより綺麗に高さが出たような気がします。

笄(こうがい)や櫛などの飾りも増えて、よりゴージャスな雰囲気が演出されていますね!シルエット的にも、とてもバランスの良いひし形ですので、印象も抜群に良いです!

こちらのスタイルは京で人気が出て江戸へと広まったようですね。

マイナーチェンジは多少ありますが、このまま当分はこの型ですので、やはり京都のファッションというのは洗練されていますね!

 

ということで、1700年代は本当に目まぐるしく、髪型の変化がありましたね!

紹介しきれないほどの、微妙に違うスタイルが山ほどあります。

まあ、大きく分けると今回ご紹介したスタイルをしていた人が多いように感じますね。

ここから1800年代に突入し、今じゃ考えられないような、イカついスタイルがたくさん登場していきます。

しかし、本当に美しいんですよ。

日本の『美』が、とことん追求した結果が、そこには確かにあった気がします。

 

でも、1700年代前半に流行っていたメッシュのようなハイライトをしている人が、後期には誰もいなくなってしまうのは本当に不思議です。

あれは一体なんなのか…研究は続きます。

 

 

 

江戸時代 1 髪型 1600年代

江戸時代1603~1868年(約250年続いた時代)前期1600年代 家康~5代将軍綱吉

 

ついに江戸時代が来ました。

この時代になりますと、現代にもたくさん資料も残っていますので、より精度の高い情報になるかと思います!

 

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しかし、江戸時代前期は、まだ絵画の制作時期が曖昧なものも数多くあるので髪型を見る際には、深く考察していきますね!

 

江戸時代は、たくさんの娯楽や文化も発展し、髪型の種類も本当に増えていった時代です!

 

…しかし、女性だけですね。とりあえず女性の髪型中心でお届けします。

 

江戸時代の男性のスタイルは、ほぼ一種類だけになります。

『髷(まげ)』ですね!

江戸幕末までコレ一択です!(北朝鮮より自由ないですね…笑)

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あとスゲー面白いのは、子供の髪型です!

この時代の親達は、なんだか自由な発想すぎて、もうわけわかんないです…

(子供の髪型編でご紹介していきます。)

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喜多川歌麿 鏡に映る女性がお母さんなんでしょうね。この子供の髪型は一体どういうことなんでしょうか!?(笑)

 

女性の髪型は、随分バリエーションも豊かになってきましたね!唐輪髷や一束など相変わらず垂髪もされていました。その変化系の根結いの垂髪など結い髪になっていく、ちょうど過渡期でしたね。

 

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千姫にみてもヘアアクセサリー的なリボン?をするなど髪型に対して可愛く見られたいと気を使っていたのだろうと思います。

 

 

他には、『玉結び』(垂髪の下を輪っか状に結ぶ)

この輪っかの大きさでも身分が分かったそうです。

小さければ上流階級で、大きければ一般人、町民といったところでしょうか。まあ繊細に作れるのは上流、雑なのは下流ということなんですかね?

 

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あとは、前髪をポンパドールのようにし、顔がしっかり見える仕様のスタイルも当たり前になってきましたね。少し前の時代なら、いかに髪で顔を隠すかが重要だったのに、なんだか女性としての「あり方」が大きく変わったのを感じますね!

 

元々あった『唐輪髷』の変形で『兵庫髷』というスタイルもできました。

(諸説ありますが、現在の兵庫県で遊女が結ったところからスタートしたそうです。)このスタイルは江戸時代末期まで紆余曲折を経て大流行しました。

いつの時代も兵庫県の女性はオシャレです!

現在も神戸巻きという「巻き髪」スタイルが数年前に流行したほどです。(先ほどの千姫が兵庫髷の最初の形態ですね。)

 

 

さらに、この『兵庫髷』は後に『横兵庫』というスタイルに進化していきます。

その名の通り髷を横に倒して作ったスタイルになります。

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簡易的なスタイルとしては、『根結い垂髪』現在で言うポニーテールですね。

いろんな絵画を見ていると、結ぶ高さもそれぞれですので好みもあるとは思いますが、高めに結ぶと若く、年を重ねるごとに低めになっている気がします。

もちろん現代でもその感覚は残ってますよね!女性は全般的に、まだまだ髪は相当長かったのは間違い無いですね。

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当時の髪型の流行は、ほとんどが「遊女」から発信されていて、少し時間が経った頃に一般人にも浸透していく感じでした。

もちろん多少おとなし目にセットされています。派手すぎても恥ずかしいしねぇ〜。

意外と今と変わらない流行のあり方かなと思います。

f:id:camdentown2012:20190625123711j:plain喜多川歌麿

 

今現在も世の女性は、女優さんやモデルさんやミュージシャンのやっている髪型に憧れますし、オシャレで、カッコイイ女性になりたい!この根本はいつの時代も変わりませんね。

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Rina sawayama

 

特に異性を意識した職業というのは、髪型やメイクの最先端だったのでしょうしクオリティもどんどん上がっていきました。

新しい髪型を作り、他の女性よりも目立つように努力し、頭も良くなければいけないので、本当に大変なお仕事ですよね。美意識はすごく高かったんでしょうね〜!

江戸時代は、本当にたくさんの髪型があり、多くの結い髪が生まれていきます。

本当に勢いのあるすごい時代ですね。

 

主な江戸時代を代表する結い髪の種類は、大きく分けて4つ!

ざっくりですがご紹介していきます。

 

島田髷

最初は男性の髷をイメージすることから始まったとされています。

徐々に年月を追うごとに髱の部分がさがっていき、形態を変えどんどんせり出していくスタイルになっていきます。もちろんこちらのスタイルも最初は遊女発祥でいろんな部分の形を変え長く愛される髪型になっていきます。

今の和装結婚式でも使われていますね!

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島田髷(初期)

 

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篤姫 文金高島田(もはや初期の形とは別物)

 

勝山髷

こちらは勝山さんという遊女が始めたから勝山髷とされています。(この説が有力です。)この当時遊女界隈では大流行でした!しかし高さもありクオリティーも高めなためか若干派手すぎて庶民には手が届かず流行りはしなかったそうです。後にこちらも変化して『丸髷』という大ヒット作になったようです!まあ、攻めすぎても時代がついてこないんじゃあね~…

 

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懐月堂派 立美人図(こんなんどうやって造るんだよ〜…泣)

 

笄髷(こうがいまげ)

こちらは、最初は簡易的な結い髪だったようです。宮女や御殿女中など貴族的な女性が、行事などがないときに笄でクルッととめておくやつですね。すぐに垂髪にもどせるような感じで固めない感じ。

後にこれがまた、無造作でキメすぎない感じが良かったのか、庶民の間でも大流行していきました。

現代で言う「抜け感」ってやつですかね。

あと、この笄が後に「かんざし」に変わっていきます。

 

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そもそも全部似てますね!少しづつ髪型が進化していったのでしょうね。

 

兵庫髷

先ほど説明したこのスタイルは、時の流れとともに小振りになっていき、1600年代終わり頃には、廃れた髪型として扱われるようになっていきました。若い子たちの間ではおばさんくさいというようなイメージだったのでしょう。そりゃあ100年近くされた髪型ですしね!このころは「やっぱ島田だよねぇ~!」っていう感じだったのではないでしょうか。

 

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というように、とにかく結いの種類はとにかく多かった…

ここではご紹介できないほどの数の結い髪が存在しました。

江戸時代の結い髪の種類だけで一説には200種類以上もあるようです。

ちょっとした変化系ですが、似たようなスタイルでもちょっと名前変えて付けちゃえばいいだけですからね。(笑)

でも260年の歴史は長いね。

もちろん地方によっても独自の文化や流行もあったので、数として表すのは不可能でしょうけど、髪型もファッションも急激に発展した時代だったんだろうと思います!

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ちなみに現代でも、ほぼ同じ髪型なのにいろんな名前の髪型がありますね…

歴史は繰り返すといったところでしょうね。

 

 

 

政治と髪型と印象の深いつながり

みなさんは、いつも誰かの髪型を見ていますか?

おそらく大概の方は見ていないと思います(笑)

目には入ってはいるけど、「意識してみていない」という人がほとんどではないですかね。

むしろ目に入る髪型というのは、変わった髪型だったり、奇抜な色だったり、ボサボサだったりします。

なぜ、見ていないのかと言うと普段何気なく見ている髪型は、ほとんど場合その人に『似合っている』からなのです。

 

逆に、目につくようにするには…簡単です!

違和感を与えればいいのです。

昔から政治や芸能の世界では、その違和感というものを自在に操ってきました。

少しずつ、深層心理に訴えかける「微妙な変化」の積み重ねで「印象」というものが出来上がります。

 

過去の歴史を見ても髪型とは、いつの時代も権力の象徴です。

一番大事なのは、『ボリューム』、『見たことのない斬新なデザインの髪型』

 

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いつの時代も、世界中見渡しても、髪の量が多く見えることが、とても重要な事になってきます。

髪が多く見えるだけで、威厳や力強さや説得力を生みます。

喋り方や顔や表情、体型も重要ですが、パッと見の第一印象でその人がどんな人なのか?というのを脳は判断するそうです。

 

尚の事、国の代表者であれば、その見た目の印象だけで、たくさんの人の心を掴まなければいけないので、髪型で好感が持てるのか、ハゲているのかだけでも印象ってのは全然違ってきます。

 

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今回は、現在の政治家で権力者でもある方々にスポットをあてて髪型を解説していきたいと思います。

 

第一回は『金正恩氏』(安倍総理トランプ大統領はまた次回!)

 

国を代表する人にとって髪型は、人々にどういった印象を「与えたいか?」によって変えるものです。

印象を考え、与える影響を構築する敏腕プロデューサーがそれぞれに付いています。

ほとんどの代表者は、自分で髪型を決める事はないでしょう。

面白いもので髪型一つで善人にも悪人にもなれます。

(トランプさんはおそらく自分で決めていそうですね笑)

 

特に分かりやすい金正恩氏の髪型から解説していきます。相当プロデュースに長けた方が近くにいますね!

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一般的に金正恩氏の髪型でよく耳にするのは、『黒電話が乗っかっている変な髪型』…など、どちらかと言うと気味が悪い髪型というところでしょうかね。

 

しかし!!美容師のプロの目から見るとあの髪型は、とてもクオリティの高い髪型なのです。

 

例えば美容室に行って「金正恩の髪型にしてください!」と注文しても、大概の場合すぐには作れないので、「もう少し伸ばしましょう」と提案されるはずです。

逆に言うと、金正恩はあの髪型にするべく、何ヶ月も髪の毛を伸ばし、整え、そしてあの髪型をキープしているんですよね。

なので、元々ロングな髪の人じゃない限りは、なかなかできないんです。

 

時系列で追うと分かりやすいと思います。

 

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初期 まだ前髪は短いですね。

 

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半年後 前髪の長さは目か眉くらいまで長そうです。

 

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2年後くらい 完成しましたね。前髪は鼻位まで長いでしょうね。

 

2番目の写真あたりから、だいぶ出来上がってきている片鱗を見せていますね。

さらに横を伸ばし、ハチ周り付近にボリュームをもたせていき、前髪を伸ばして、トップをフラットに見せるように覆いかぶせるようにセットしています。

 

ボリュームの出し方は違いますが、リーゼントに似ているスタイルですね。

 

私自身この髪型を見たとき、「ヤラれた!!」と思ったのが率直な感想です!(笑)

美容師であり、クリエイティブなデザインを追求することを生業とする者として、このデザインはとても『不快』であり『斬新』でした。

 

日々の仕事をしている中で、人に好印象を抱かせる髪型を意識しているため、この髪型は、それとは対極でとても『悪印象』なのです。

 

髪型やデザインは、すべてバランスで出来ています。

良い印象を与えるカッコイイバランス、可愛いバランス、いろんなバランスが存在するなかで、この金正恩氏の髪型のバランスというものは、常に避けている悪い印象を与えるバランスなのです。

頭も顔も大きく見えるし、スタイリッシュでもない…

気味が悪い、怖い、変、すべての悪い言葉が当てはまる、この髪型こそが究極の『違和感』なのです。

 

そもそも金正恩氏自らがこの髪型を考案し、この髪型にしたい!と思ったかというと、おそらく「NO」だと思います。

印象学を緻密に研究し、国の意向と方向性を示すことのできる『フィクサー』がたくさんいるのではないでしょうか?

むしろあえて悪い印象を与えるためにこの髪型にしたんでしょうね。

 

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そして、先ほども申し上げましたが、この髪型は、とてもクオリティが高い。

そもそも誰でもこの髪型を切るって事は、なかなかできるものでもないんですよね。

左右対象で尚且つ、サイドの(黒電話のフチの部分)曲線のラインなんてとても絶妙ですしね。

そして写真や映像に映る、公の場に出る時のセットも、とにかくうまい!

彼の専属の美容師(理容師)さんはとても腕のいい人でしょうね!

おそらく平壌のトップスタイリストでもこの髪型を作るのは難しいんじゃないかなぁ〜。

韓国か日本か中国あたりの腕のいい人が担当してるんじゃないかなぁと思われます。

 

もし仮に私が専属の美容師だった場合に、ここまでの悪い印象を与えられる髪型を提案できなかったなぁ…とショックを受けました。

 

これこそが「私がやられた!」と感じた原因であります。

逆に金正恩氏は悪い印象を与えたい。誰もが不気味に感じる悪の権化の印象をわざと作り上げたのです。

何らかの理由のために、世界へ北朝鮮という脅威を発信したかったのでしょう。

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ここからは、私の妄想になりますが、彼をいろんな角度からプロデュースする役職の人達がいる事を考えると、彼はメディアに出るためのだけのマスコットであり、王様役の人なのだろうと思います。

北朝鮮」という大きな組織の歯車の一部であり、髪型や体型から考察するに時期を見計らった役作りをし、メディアの前にでる時には、笑顔を作ってみたり、時に不機嫌な表情を浮かべたりもする。

もちろん正統な王子かもしれないが、役者にならざる負えないのだろう。

そんな彼に、大きな決定権が与えられているようには見えずらい。

 

金正恩氏が実際はどんな方なのかはわかりませんが彼の学生時代は、スイスに留学していた普通の青年でした。

 

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人生何が起こるかわかりません。いろいろあるんでしょうね…

 

 

だいぶ脱線しましたが、髪型一つで与える影響ってのは大きく変わるって事ですね!

とは言え金正恩氏、自らこの髪型考えてたら、逆にすごいセンス良いと思います!

いつか聞いてみたい!(笑)

 

最後に、北朝鮮に住む男性達は、この金正恩氏の髪型か短髪の2〜3パターンからしか選べないそうです。

大変だ…もちろん違う髪型にしちゃったら禁固刑ものでしょうね…

 

 

髪型に自由を!!

 

安倍総理トランプ大統領については、また書きますね!

 

 

室町、安土桃山時代 4 キリスト教と髪型

室町時代以降、日本の宗教観は大きく変わりました。

西洋の宗教「キリスト教」が入ってきたのです。

1549年にフランシスコザビエルらが来日しキリスト教を広めました。

 

この髪型をご存知でしょうか?

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この髪型は、『トンスラ』といいます。えぇ。とても奇妙な髪型ですよね…

この絵のように、まるで鉢巻をするように髪を残して、頭頂部を剃って行きます。どうやらキリストが十字架で被せられた「いばらの冠」に見立てられていると伝えられています。

本場ヨーロッパのほうでは、13世紀以降は、聖職者(司祭、宣教師、上の位の人)は絶対しなければいけない髪型だったそうです。

 

キリスト教と言っても、大きく分けて「カトリック」と「プロテスタント」という2つの宗派に分けられます。(小さいのも入れればたくさんあります。)

この時期に、日本に入ってきたのは、主に「カトリック」の方ですね。(語弊が多々あるかもしれませんが、この記事でキリスト教と指すところは、カトリックです。)

日本で最初にキリスト教を伝えた言われているのは、ザビエルら一行です。

ザビエルらは1534年にカトリック内のグループ?小組織的な「イエズス会」を創設しています。

後の日本で広まったキリスト教の足跡と、このイエズス会の教えが、若干矛盾する部分があったりするので、実際のところは日本に広まった「キリスト教」というのは、わからない事が多いですね。

 

ザビエルといえば、トンスラのイメージありますよね?

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しかし、通常イエズス会では、トンスラをする風習はないらしいのです。

まだこの時期ザビエルを始めとする初期メンバーで設立したばかりなので、髪型をどうするかってのが、曖昧だったかもしれませんし、広めていた担当のキリスト教徒がイエズス会ではなかった可能性もありますしね。

まあ結構謎多いですわ。

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 ということで、その辺の謎に髪型という視点から考察していきたいと思います!

 

 

回りくどくなりましたが、こちらの絵をご覧ください。

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上杉九将図(上杉謙信と家臣たちですね。)

左下の方に描かれた「甘糟近江守」と一番下に描かれている「宇佐美駿河守」をアップで。

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完全にトンスラですね!おそらくこの二人はキリスト教徒だったのでしょう。

しかもトンスラにしているという事は、宣教師や司祭クラスのの上の立場だったのでしょうかね。

お年を召していますし、ハゲていただけじゃないの?と思われるかもしれませんが、ちがうんです!

人間のハゲ方には特徴があります。頭頂部から先に来るパターンとおでこから来るパターンがあります。

その後、トップとおでこのハゲがつながり「よくあるハゲてる頭」になるんですね。

 f:id:camdentown2012:20190602194757j:plain斎藤さん

逆に前髪だけ残るってのは、ありえないんですよ。大概の場合は、前髪から薄くなります。

よってキレーに前髪のラインだけが残るのは、わざとこの髪型にしていると考える方が自然なんですよね。

 

さらに上杉家について調べると、より核心に近づけることがわかりました。

上杉謙信、その後当主の上杉景勝も宗教や信仰に対してとても寛容だったようです。

もはや自由!それも相まってか、家臣や領民にキリスト教を信仰している人がたくさんいたそうです。

後の江戸時代に幕府から禁教令が出されても「当領内には一人のキリシタンも御座無く候」と領民たちを守ったと『日本切支丹宗門史(1629年)』に記されています。

いやぁ〜、当時のキリシタン討伐は本当に激しかったですからね…

長崎や島原の乱など有名ですが、全国的に虐殺は行われていました。

日本史上同国民による大虐殺劇だったのではないでしょうか。

 

そんな中、部下や民を守る優しいトップだったのでしょうね!

間違い無く「上司にしたい男性ランキング」があればNo.1だったのは言うまでもないでしょう。

ということで、甘糟近江守と宇佐美駿河守は、立場的に見ても熱狂的なキリスト教信者で「宣教師」であっても、なんら不思議じゃないという事ですね。

 

大河ドラマにもなった「天地人」の主人公「直江兼続」は、『愛』を兜にかかげていました。(愛の文字の下は雲になってます。)

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愛宕神社を信仰していたから愛を掲げていた。という説が有力ですが、雲の上の愛といえば、なんだか聖母マリアやキリストを連想してしまうのは僕だけでしょうか?

もしかしたら、もしかしたら!キリシタンだったのかもしれませんね。肖像画など詳しい情報は残ってはいませんが、上杉景勝の右腕でもある直江兼続キリシタンであれば、なおの事、超有能な部下を失いたくないですから、信仰の自由を尊重したでしょうし、意地でも幕府から守ってあげたかったのではないのかな〜なんて思いました。

いつか、直江兼続肖像画見つかれば是非とも髪型見てみたいですね!

 

他にも全国的にたくさんの有名な武将がキリスト教徒でした。キリシタン大名

 蒲生氏郷(蒲生・レオン)会津藩

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レオンさんの髪型よーく見たら変な髪型してますね!もみあげとキワのエッジがスゴイ!

 

有馬晴信(ドン・プロタジオ)肥前日野江藩主、徳川秀忠の代まで仕えました。

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とりあえず、秀忠の時代までは、キリスト教は許されていたのがわかりますね。

 

高山右近(ジュスト・ウコン)大阪

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高山さんは、家族全員フィリピンのマニラに島流しにされて、お亡くなりになられました…しかし、後に家族は日本に帰ってきているので、キリシタンだから島流しにされたわけではなさそうです。フィリピンはスペイン領でガチガチのカトリックの国なので、もはや旅行だったんじゃないか説(笑)…あると思います!

 

あとは、こちらも大河ドラマにもなった黒田官兵衛(シメオン)

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 軍師と呼ばれる人に多かったのかなぁ〜。

 

一説によると、当時日本中でキリスト教徒は50万人以上いたと言われています。

当時の江戸の人口100万人、大阪の人口50万人と言われているので、50万人以上という数字は相当な数に感じます。

 

バテレン追放令や禁教令など…語りたい事が山ほどあるのですが、髪のブログなので、そろそろやめておきます。(また江戸時代編で、軽く触れていきますね。)

 

 

とりあえず、まとめます!

 

1549年以降、圧倒的な勢いでキリスト教は広まっていきました。

天下人でもある織田信長豊臣秀吉徳川家康らもキリスト教への信仰を認めていて、キリシタン大名と呼ばれるたくさんの武将にも影響を与えました。

キリスト教内で位が高くなれば、「トンスラ」にしていたようです。

江戸時代の禁教令の影響もあってか、キリシタンに関する情報は少ないですね。

結構、近い過去の話なのにねぇ〜…残念です。

 

最後にザビエルを紹介していきます。

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ザビエルといえばこちらの絵が有名ですよね。

実はこの絵が描かれたのは、ザビエル帰国後?死後?の80年後の江戸時代に描かれたと言われています。なので完全に想像画なのです。
当時の画家が「キリスト教といえばこの髪型だよな!?」っていことで描いたと思われます。

キリスト教といえば「トンスラ」!

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マリア十五玄義図(下に描かれた黒服の男性はイエズス会創始者ロヨラとザビエル)

これも江戸時代あたりに描かれたようです。どちらが先かはわかりませんが、ザビエルは同じ感じですね。

 

しかし海外のサイトでザビエルを検索すると、髪型がなんとも曖昧なんですよね〜。

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こちらの絵もザビエルです。角度的に見えづらいですがトンスラではなさそうです。

海外の画家が描いた、たくさんのザビエルを見ましたが、トンスラじゃないザビエルが多いんですよね〜。

おそらく存命中に描いたザビエルはまだ見つかっていないんじゃないかな。

 

 では、仮にザビエルがトンスラでなかった場合に、なぜ江戸時代の人々の間でキリシタンのお偉いさんといえば「トンスラだ!」という認識があったかについては、イエズス会以外のカトリックグループも一大勢力になっていたという事ではないのかな〜と思います。

他には「フランシスコ会」と「ドミニコ会」というカトリックのグループが存在します。

この2つのグループもイエズス会の後から日本での活動を始めています。

答えはこれでした。

この2つのグループの宣教師たちはみんなトンスラなのです!面白いほどにみんなトンスラです!

フランシスコ会のルイス・ソテロは、徳川家康や秀忠と謁見し許可をもらったそうで、伊達政宗などとも交流があったらしく東北地方での布教活動もしていたそうです。

はい。上杉家や北日本とも繋がりましたね!

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左 支倉常長山形県米沢出身)  右 ルイス・ソテロ(トンスラになってますね。)

 

ドミニコ会 会士

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 ということで、一口に日本でキリスト教が流行ったと言っても会派によっても地域差もあったということですね。

そして、日本にこの2つのグループが入ってきて、わずか20年弱で「禁教令」が出されています。(1593年くらい〜1612年)

イエズス会が流行し始めてからは、30年は経っていたので、この2つのグループのどちらかが、もしくは2つのグループが幕府を脅かすような危険な思想があったのかもしれませんね。

 

よって、江戸時代に入っても特に目立っていたであろうフランシスコ会ドミニコ会の印象が強かったがために、江戸時代の人々の中では、キリスト教=トンスラだったのかもしれませんね。

 

なんかいろいろ謎が解けたような気がします。

私個人の結論としては、ザビエルはトンスラではなかったんじゃないか説!

 

江戸時代になって、鎖国になったとはいえ、中国やキリスト教の中でもプロテスタント国のオランダやイギリスとは国交は継続してありましたので、言うほど鎖国でもない気がしますよね。

結果的に、徳川幕府カトリック国との関係を切って、250年以上も続く天下泰平を勝ち取ったのでしょう。

 

とても長くなりましたが、これまでのすべての一件は、それぞれの正義のために戦い、ある意味では「平穏」という所に落ち着いた、信仰の通過点だったのかもしれませんね。

しかし、後の未来に訪れる「出来事」の伏線になったのは間違いないでしょう。

 

 

未来ってのは、明るくも暗くもないよな。

 

 

 

 

室町、安土桃山時代 3 織田信長編

この絵が誰かご存知でしょうか?

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あの有名な「織田信長」の肖像画なのです。

 

織田信長といえば、

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この肖像画が有名ですよね!

 

私もこの歴史の研究をして、初めて知った肖像画でした。

最初は、にわかには信じられませんでした…

まるで写真のようだし、この時代とはまるで結びつかない洋画風のタッチになっています。

しかも髪あるしっっ!!

 

それもそのはず、これを描いたのは、ルイス・フロイスという宣教師だったからです。(ポルトガル人)

ルイスさんは、自ら日本全国を周り、異国からみた「日本史」という本を後に出版しています。戦国時代の生活や社会、権力について事細かに記されています。

以前の記事にも書きましたが、ほとんどの人は亡くなった後に肖像画が描かれます。

なので武将の方なんかは、ほとんどハゲています。おじいちゃんですからね。

しかし信長は存命中に描かれたものが上の肖像画ですので、とても珍しく大変貴重な作品です。

新しいもの好きな信長だからこそですよね!

 

なんならこんな物もあります。

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デスマスクも作っていたようです。

これが本物だったとしたら、とんでもなく遊び心満載の男だったんでしょうね〜!

やっぱカリスマだわ!

 

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話は戻りまして、この絵を調べていたら、もっと驚くべき事に出会いました。

この絵がなんと山形県にあるというのです! 

えぇ!???地元!???(私の出身は山形県です。)

そんなバカな!!そんな話は一度も聞いた事ないYo!

しかも天童市にあると!(将棋の駒で有名な場所で、地元の隣の市)

はいぃぃ!?なんであの場所に織田信長!??

えぇ。全く一致しませんでした。

なんか、現在の愛知県とか岐阜県とかのイメージ強かったですし。

どうやら現在の天童市辺りは、織田信長の次男の信雄さんが治めていた織田藩だったそうです!

いや〜…こんな近くで知りませんでした…歴史好きだと思っていたのに、足元が全然見えていませんでした…

 

昨年山形に帰った時に、さっそく織田家ゆかりの場所に行ってみました!

 

こちらが、「 建勲神社

織田信長を祀った神社

京都府兵庫県にもあります。っていうか3つしかないって結構貴重ですね!)

 

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すごい急な山道でした。(写真見づらくてすいません。)

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中にこんな絵も飾られていました。浮世絵風?信長

 

そしてこちらが、先ほどの絵が保管されている織田家を祀るお寺「三宝寺」

三宝寺の仰徳殿

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すごく優しいお坊さん達でした。

 いやぁ〜…本当にあったね。

見るまで半信半疑でしたが、ありました!山形って意外とスゲーな〜!

もっと「織田信長」押しにすれば観光客来てくれるかもよっ!

 

 

ということで、この織田信長の髪型気になりません!?

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若かれし頃は、あたりまえですが髪の毛たくさんあったのはわかりました。

しかしこの分け目らしき部分は一体なんだろう?

分け目にしては随分幅が広いよね?

大げさに、分け目を描いた?

もしくは、わざとちょっと広めに剃ってる?…んん〜謎ですね。

最近の若者の間でも分け目をわざと広めに剃るの流行ってるけど、そういうこと!?

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なんか違う気がするんだよな〜。こんなに繊細に描かれているのに、分け目だけ雑に描く理由も見つからないし…

 

ということで、ポルトガルで15世紀〜16世紀あたりに描かれた絵を調べてみました!(ルイス・フロイスポルトガル人)

ポルトガル人特有のクセみたいなものかもしれないし!

ということで、それっぽい絵をリストアップしてみました!

1、

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分け目部分をアップにしてみると信長感でてますね。

2、

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女性ですが、センターの分け目がエッジ効いてますね。

3、

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真ん中は髪なのかな?なんか被ってる?被ってるにしても違和感ありですね。

1と2の人の分け目は、しっかり描かれていますね!

分け目が、はっきり描かれているので「わざと剃り込み」を入れているのでしょうね。

おそらく、この時代のポルトガルではこのスタイルが流行っていて、信長も面白そうだから「オレもやってみる!」と言ったと考える方が自然かもしれませんね!

 

遊び心の天才。

 

よって、信長の絵から読み取れる髪型としましては、うしろで「折り髷」を結っていることから、全体の髪は肩に付くくらいの長さはあった。

しかし、おでこのキワの部分から頭頂部付近まで、エグイ極太のラインを入れたということでしょうね!

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↑極太ラインこんな感じ

 

「なんかヨーロッパ界隈でこの髪型流行ってるらしいぞ!秀吉ぃ〜〜!」という声が聞こえてきそうですね。

 

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そして先ほどの建勲神社の中にあった絵も左側にも剃り込み入ってますね。

おそらくこの絵を描かれたのは、随分後でしょうけど。(たぶん江戸時代以降くらいかな〜…)

 江戸時代になっても、言い伝えか何かで、信長がだいぶエグイ剃り込みをいれていたっていうのは、有名な話だったんでしょうね〜。

80年代のヤンキーの剃り込みは、信長発祥だったのは驚きです。(笑)

もちろん、ここまでのライン状にハゲるってのはありえないので、わざとラインを入れていたと思って間違いないでしょう。

 

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映画 クローズZERO  鈴之助 

 

 

いや〜、ほんと信長はカッコイイ!!

柔軟でエゴイストで新しいもの好きでポジティブでしかも相当な自信家。

 

人は、そんな人間を『カリスマ』と呼ぶ。

 

きっとこの人は、歴史上一番人生楽しんだ人ではないでしょうか。

 

 

結局、人生楽しんだもの勝ちだよな。

室町、安土桃山時代 2 髪型、生活

この時代に、とても興味深い髪型をしていた女性がいました。

 

出雲阿国(いずものおくに)

 

この出雲阿国については、とても謎多き人物なのですが、1572年に出雲(島根県)に生まれ、出雲大社で巫女をしていたそうです。

もしかしたらご存知の方も多いかもしれませんが、現在の「歌舞伎」の発祥となった人物でもあります。

基本的に男性しか演じることができない歌舞伎は最初は、女性だったんですね〜。

 

この肖像画を見ていただきたいのですが…

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アップで!

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この髪型は完全に「レイヤースタイル」なっています!

記憶に新しいかもしれませんが、1990年代後半〜2000年代初期に流行ったスタイルです。

この時代には、とても珍しい髪型で独創的なスタイルだったことでしょう…

って言うか、この人以外ありえないですね!!

 

90年代の後半に一世を風靡したスタイルですので、彼女がレイヤースタイルの走りといって間違い無いでしょう!

すごく毛先の動き感もカッコいいですし、ちゃんと上手にカットされています!

しかし、自分で切ったのか?

誰かに切ってもらったのか?

もし誰かだとしたら、相当なやり手のカリスマ美容師がいたのでしょうね!

 

ちなみに現代の美容師が切ったレイヤースタイルはこちら!

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安土桃山の美容師 > 現代の美容師  やや負けたかな…チッ。

 

『傾奇者』の出雲阿国だからこその許される魅力であり、たくさんの人々を魅了する人気者だったのでしょう!

常に新しい髪型というものは、こういった独創的センスを持った「変わった人」「ありえない!」から生まれるものだと心から感じました。歴史に名を残す人間ってこう言うことなんでしょうね…

 

人の目なんて気にしてたらダメだよね。

 

 

 

お次はこちら!

 

国宝『洛中洛外図屏風 上杉本』

 

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こちらが1574年に織田信長から上杉謙信に送られた屏風になります。

当時最高峰の絵描きであった狩野永徳によって描かれました。

こんな感じの絵を見た事ある方も多いかと思います。

後に描かれた狩野派絵師の描いた洛中洛外もたくさんあります。その中でもかなり初期の作品になります。

この屏風には、京都の街が描かれていて、当時の生活風景やお祭り等の行事、四季、武士や商人、老若男女など様々な人間模様が描かれた一枚になっています。

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描かれた人の人数は、2000人以上を超える超大作になっています!本当にこの作品は一度は観て欲しいです!すごすぎます!

 

私自身が髪型を研究するにあたって、とても参考になった一枚でもあり、ここに描かれた2000人以上の人々を一人一人全員確認致しました。

2000以上のみんな違った顔、髪型をしています。完全にターニングポイントになりました。

当時のリアルな生活風景、人々の暮らしから見えてくる髪型は、紛れもなく自由でした。

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現在、この戦国時代の男性は、あえて『月代(さかやき)』にしていたと言われています。

しかし、「あえて」月代にしている人は誰もいませんでした。(また月代については詳しく書きますね。)

とりあえず、1574年時点では、まだ月代にしていないのが証明されたのではないでしょうか。

 

疑惑から確信に変わった瞬間でしたね!

 

本当にこの時代の京都行ってみたい!楽しそう。

 

 

室町、安土桃山時代 1

室町時代安土桃山時代南北朝時代、戦国時代)は、1333年~1603年まで270年間続いた時代になっていますが、この辺の時代は、たくさんの「説」がありすぎて、時代の区切りがとても難しいので、足利尊氏らが開いた室町幕府から徳川家康が江戸時代を開くまでの270年間を一つの括りとして解説していきます。

 

〇〇の乱がとにかく多い、荒れに荒れた激動の「戦国時代」。

改めて、この時代の髪型を研究してみて、本当に驚きました。

これまでにあまり語られず、表舞台に出てこなかった髪型が、こんなにたくさんあったなんて…

この辺の時代になってくると、たくさんの資料があります。

面白い髪型、不思議な髪型…変な髪型している人がたくさん出てきます!

文化や思想が多様化してきた変革の時に、人々の表現は明らかに変わりました。

『髪型が示す意味』を皆さんに感じていただければ幸いです。

絵画や資料も多いので、この室町、安土桃山時代編は各分野ごとに分けてお伝えしていきます。

 

とりあえず、ざっと室町時代のおさらいと髪型の説明をしていきます。

この時代は、足利尊氏により始まり、3代将軍足利義満によって南北朝が統一され武家が優位という形でとりあえずは、安定したそうです。いや〜、天皇家のいざこざの戦いは長かった…

義満の死後、応仁の乱一揆など混沌としはじめます。やはり圧倒的リーダーを失うとこうも簡単に崩れてしまうのが儚いですね…

その後、織田信長ら戦国武将達による群雄割拠の時代へと突入していくんですね〜!

そして、豊臣秀吉が天下統一し関ヶ原の戦いへと続いていきます。

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だいぶざっくりしていますが、内容が濃すぎて説明しきれません!本当にすごい時代背景ですね。

 

社会的な部分では、貿易も盛んに行われるようになり、農業や工業等の技術力があがり生産量も圧倒的に増えたそうです。

1549年ヨーロッパよりフランシスコザビエルらによってイエズス会キリスト教が伝えられ、圧倒的広がりを見せました。

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仏教は、武家にも広がりを見せ、宗派間での衝突や合併をするなど随分ゴタゴタしたようですね。果ては宗教間での争いもあったそうです。

 

世界中では、海賊ブームが到来し、大航海時代へと突入したそうです。アジア近郊では、「倭寇」が幅を利かせていたみたいですね!(完全にONE PIECEの世界ですね!モデルとなってるのもこの時代だそうです。)

 

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倭寇

 

この時代にされていた髪型は、

男性は鎌倉時代からちらほら見られ始めていた、烏帽子などをほぼ被らなくなりました。

この時代の肖像画によくみられる「茶筅髷(ちゃせんまげ)」や束ねて折りまげるスタイルの「折り髷(おりまげ)」が多く見受けられるようになりました。

 

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茶筅髷(ちゃせんまげ)結った髷の先っぽがお茶をたてるときに使われる茶筅のようだからだそうです。

 

f:id:camdentown2012:20190525105405j:plain織田信長

f:id:camdentown2012:20190525125429j:plain浅井長政

チョリッとしてる感じですね。
概ね、武将の方は折髷にされる方が多かったようですね。戦国という時代も相まってか、髪型は自由にしてる人が多いですね!以前の時代の様に髻(もとどり)にしなければカッコ悪い!みたいな価値観はだいぶ無くなりました!

柴田勝家のようにわざと?ボサボサにしたオールバック風スタイルの絵も多くあります。

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柴田勝家(絶世の美女、お市の方の旦那さん) 

 

女性は、この頃からついに、ついに!「結い髪」が登場し始めます。

初期の頃は、垂髪などの流行もまだ残っていますが、徐々に「束ね」から「束結び」なども流行り始めます。

f:id:camdentown2012:20190526092156j:plainお市の方、平安風の垂髪ですね。

f:id:camdentown2012:20190526092233j:plain束結び

 

室町時代後期~安土桃山時代ぐらいから「結い髪」が登場し、「唐輪髷(からわまげ)」など、結い髪のバリエーションもどんどん増えてくる時代に突入していきます。

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唐輪髷 

 

庶民の間では、現代の三角巾のような頭巾をかぶり、仕事や生活をしている様子が伺えます。庶民の間でも髪は長かったので、まとめて邪魔にならないようにしていたんでしょうね。

そんなん切ればいいじゃん!と思われるかもしれませんが、そうではありません!髪型があまりなかったこの時代に、髪を切るなんて事になれば女を捨てるぐらいの事。

髪は女の命なのです!!

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↑何かを被っているのか判断しかねますが、髪はすごく長そうですね。

七十一番職人歌合絵巻(室町時代中期に描かれた職業絵巻)

 

しかしこの時代も、夫に先立たれ出家した女性は短く切っていました。現代で言えばボブくらいでしょうかね!?

まあ、逆に若い女性は老けて見られないためにも、意地でも伸ばしてたかもしれませんね。

 

そして、最後はこちらの方!

朝日姫(秀吉の妹で徳川家康の奥様)

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以前ご紹介した、おすべらかしに似てますよね!もはや完全に「おすべらかし」の原型!

私の知識不足かもしれませんが、この形態になった初の絵画ではないでしょうか?

前髪、左右の鬢(びん)、襟足の髱(たぼ)のブロックに髪型に構成されています。

 

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現代の美容技術では当たり前の構成、考え方ですが、パーツごとに意識したスタイルとしてはここから始まったのではないのかなと思います。

垂髪のような、ボリュームのない女性的なスタイルから、ボリュームを出して華やかに見せたいという美的感覚に変わっていったのが、この作品から読み取れますね。

このボリュームのある髪型が、後の日本髪の「結う」スタイルへと変化していく大きなスタートだったのかもしれませんね。

朝日姫に関しては、襟足の毛が垂髪になっていますので、長さを出して女性らしさも残したいという、いいとこどりの欲張りハイブリットスタイルです!

前から見たらボリューム!後ろから見たらスーパーロングの美しさ!

この髪型をしている人は、後にも先にも朝日姫だけですので、とても貴重な絵画ですね!

いや~素晴らしい。後ろから見たら、どう見えるのかとても気になるところです!

 

室町、安土桃山時代のざっくりまとめでした!

次回は、細かい部分にスポットを当てて解説していきます!

 

 

鎌倉時代 2 武将の髪型と冠

今回は、鎌倉時代の武将達の髪型をより深く考察していきます。

 

一説によると、この頃から月代(さかやき)が始まったんじゃないかと言われていますが、まだまだこの時代には、月代の「さ」の字もなかったんじゃないかと思います。

そもそもハゲた頭を晒す事が自体が恥ずかしいから、みんな帽子を被っているという側面もありますし、それをわざわざ、自ら剃ってハゲて見せたいなんてありえません。

 

また月代に関しては詳しく書きますね!

 

この時代の、有名な武将達の髪型をかいつまんで見ていきたいと思います。

 

鎌倉時代の最強兄弟といえばこの人達!

源頼朝源義経!!

2枚の肖像画を見ていただければ一目瞭然ですが、お二人共、晩年は薄毛に悩まされていたようですね。絵だけを見ると義経の方が薄そうに見えますね。なけなしの髪を集めて一髻(ひとつもとどり)にしています。

 f:id:camdentown2012:20190517154423j:plain源 義経(牛若丸)

 

f:id:camdentown2012:20190519095936j:plain源 頼朝

 

※ちなみに肖像画は、死後描かれる事がほとんどです。早ければ1週間後〜1ヶ月後くらい、遅ければ1年後など様々ですので多少…いや、結構美化されている可能性大ですね。よくあるのが、そもそも実は違う人だった説も多々あるので、気持ち半分くらいで見てもらえればと思います。

 

お次は、鎌倉時代の英雄 

北条時宗

あの、最強軍団モンゴル帝国軍の奇襲をリーダーとして圧倒的戦略、武力で跳ね返しましたね。当時20歳だったそうです!スゴすぎ!

鎌倉時代は仏教が大衆化し大きく広まりました。幕府内でも天皇家内でも宗派や思想の違いで揉めたりと色々あったようです…

 しかし幕府のリーダーがここまで剃り上げるのは、珍しい気がします。熱心だったのでしょうね。

 

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 鎌倉時代に描かれた絵を見ていても、たくさんのお坊さんが登場します。

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それほど信仰が熱かったのかなと思います。この絵を見ても農民らしき人達も手を合わせていますので、救われたかったんだろうなぁ〜と想いを馳せてしまいますね。

戦乱の世の中ですもんね〜。大変でした。

 

最後はこの方!

鎌倉時代ロミオとジュリエットこと

ジュリエット北条政子

(20歳の時、周囲の反対を押し切って頼朝と結婚しました。)

 

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北条さんの肖像画って、なぜかないんですよねぇ〜…歴史の教科書もこの写真だった気がします。出家した後のこの木像しかないのは違和感しかないです。(僕が知らないだけかもしれませんが…)

ちなみに、この時代では珍く69歳でお亡くなりになられています。現代の感覚なら100歳くらいでしょうね!42歳で尼さんになられたようなので、おそらくそれ以降の木像なのでしょうね。

これだけの超有名人で、頼朝を生涯献身的に支え、亡き後もとてもがんばっていらっしゃったのに肖像画が一つもないなんて、もはや謎です。

頼朝が惚れただけあって昔は超絶美人だったはず!今後肖像画見つかるのに期待したいところですね!

 

先ほどの写真のお坊さんの部分をアップにしてみました。

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お坊さんの皆さん髪を剃っていますよね。よーく見ると、うっすら髪が生えているようにも見えます。(すごい短い坊主のような感じ)

一人一人の生え際や頭の形もみんな違うように描かれているのが、本当に素晴らしいですよね!当時の画家さんの熱いこだわりを感じます!

 

男性なら想像がつきやすいですが、髭を剃ったりするときに電気シェーバーだったりシャービングフォームをつけてT字カミソリで剃ったりするかと思うのですが、当時はもちろんそれらの物はありません。

 当時は、小さい小刀の様な物で剃ったりもしていたそうですが、多くの人は抜いていたそうです。(頭髪約10万本)

イィィィィーーー痛そぅぅぅ〜。髭よりも太く多い髪をやるんですから…

剃るにしても、水のみで濡らして剃っていたので、それはそれは痛かったでしょう…

みんな剃った後は血まみれだったそうです。怖い。怖過ぎる!!拷問以外の何物でもないですね…

北条政子さんもその拷問を経て出家したわけですから…強い女性でしたね…

 

本当に現代でよかったぁぁーーー!!

 

 

続いては、この時代に被っている冠、烏帽子(えぼし)の種類について軽くご紹介していきます。

 

前回もこの2枚の絵をご紹介しましたが、役職や地位によっても被っている物が違うのがわかります。

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3種類くらいの形状の違う烏帽子を被っているのがわかります。

右下の上級職っぽい武士は、ちょっと横に折れている「引立烏帽子」を被り、鉢巻きも巻いていますね。

左側の弓を持っている人達は、縦長の長めの烏帽子「立烏帽子」を被っています。

その他の武士達は、三角の「侍烏帽子」?らしきものを被っています。

f:id:camdentown2012:20190518130136j:plain侍烏帽子

 

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右側の着物を着ているお偉いさんらしき方は、冠を被っていますし、牛車を引いている武士達も侍烏帽子を被っている人達もいれば、被っていない人もいます。

牛車の後ろにいる武士は、長めの烏帽子(引立烏帽子)を被っています。

 

冠位のような役職による違いは、飛鳥時代から引き継いでいたんでしょうね〜。

 

なんだか鎌倉時代は、髪型の変化が徐々にではありますが「個性」が出てきた様な気がします。

この後の室町時代から、本格的に髪型が『おもしろく』なっていきます!!

その序章の種を植えた鎌倉時代

更なる激動の戦国が始まります…

 

  

鎌倉時代 1

鎌倉時代

 

1185年(1192年)~1333年までの約150年ほど続いた時代

 

ほんとこの時代は、激動ですね〜。

幕府VS朝廷という図式ができあがり、貨幣経済や政治的な部分で、現代の政治や経済に大きく影響を与え、根幹的な部分が出来上がってきた時代です。

幾度となく大きな戦争が起き幕府が朝廷を倒すという日本史において大きな分岐点を迎えていきます。

鎌倉時代が一番好き!」という方もたくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか?

 

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それくらい面白い時代ですね!!

 

髪型は平安時代から、型自体はさほど変わりはないものの「見せ方」の部分で大きく変化していきました。

 

男性の髪型は、この時代も一髻(もとどり)でした。

そう考えると奈良時代あたりからさほど変わってないので、髪型に気を使うなんてかっこ悪い!!と考える生真面目な男性が多かったのか。(※結び方や結ぶ位置等、微妙には変わっています。)

もしくは階級社会がゆえに、それ以外の髪型にするなんて、もってのほかだったのか…はたまた、これ以外に髪型を変えようなんて思いもしなかったのか…

 

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源義経
 

ただ一つ、当たり前だったのは「髪を伸ばす」という事だけは変わっていないので、まあ上げてまとめちゃうのが楽だったのかな?

 

一番の変化だったのは、明らかにこの時代から見受けられるようになった、烏帽子や冠をかぶらない人たちが絵画等にちらほら登場するようになった事でしょうね。

平安時代までは、被らないなんて恥ずかしい!下半身をさらけ出しちゃうほどの屈辱的な事だったのに、さらけ出しちゃってる人(武士、庶民)がちらほら増えてきます!

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紙本著色平治物語絵 六波羅行幸巻 国立博物館 13世紀

 

やはり荒れ始めた世の中がゆえに、荒々しさや、男らしさ、強く見せたいという願望なのか、平安時代までの平和な余裕のある環境とは随分違ってきたように見えます。

武士の時代になったんでしょうね〜。ハゲてて何が悪いっ!って感じでしょうね。

 

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足利尊氏?(実は全然違う人説、有力みたいです。)

 

この頃の髪型に対する捉え方が、のちの室町時代へと続いていきます。織田信長肖像画なども有名ですが、信長クラスの武将でも何もかぶっていません。

この鎌倉時代から室町時代にかけて、被らないのがかっこいい、むしろ被る意味がわからん!という捉え方になっていった分岐点だったのでしょう。

髪型として、それが現代へと続いていく「当たり前」が大きく変わった瞬間でした。

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女性の髪型も少し変化していきました。

平安時代の垂髪で黒髪で大きく長く魅せる時代から、1〜3箇所で髪を結ぶ(アレンジ)がされるようになりました。もちろんスーパーロングですが、平安時代よりは少しだけ短いようにも見えます。

長いだけの髪型に飽きてアクセントをつけたいと思ったのか、リボンで結ぶようにまとめられているので、可愛らしさを追求したいと思ったのか…まあ大変だったんですかね。

とりあえず、オシャレに目覚めたのは間違いないですね!ワンメイクアレンジとてもかわいらしいです!!

 

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餓鬼草紙 鎌倉時代初期 奈良博物館

 

f:id:camdentown2012:20190517190608j:plain紙本著色平治物語絵 六波羅行幸巻 

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後ろ姿なんかは、前回ご紹介した「おすべらかし」の原型とも言える感じですね。

 

しかし動乱の世の中で、日本全土を巻き込んでの戦の時代ですので、ライフスタイルや髪型に対する感覚も大きく変わっていったのは言うまでもないでしょう。

なんなら海外勢の元寇(げんこう、現在のモンゴル等勢力)にも攻められるほど、戦に明け暮れていました。

 

400年続いた平和な平安時代の中心でもある朝廷が、敗北しました。天地が引っくり返るような出来事だったことでしょうね。のん気に髪伸ばしてる場合でもなかったかもしれませんしね。笑

 

いつの時代も変革の時には、政治も変われば、文化も変わるし、髪型さえも変わります。流行りってのは、とてもおもしろい。

髪型やファッションが進化するのは、常に社会に不安や不満がある時でもあります。

世界中見渡しても、いつでもそんなもんです。

みんな反抗したいんだよ!

 

いつの時代も、何が起こるかわからないね…

 

 

皇族の髪型 大垂髪(おすべらかし)編

ついに令和になりましたね!

 

ゴールデンウィーク中は、「天皇陛下即位の儀」等いろんな儀式が執り行われましたね。

 

この度、雅子皇后が儀式の際に「大垂髪(おすべらかし)」という髪型をされていました。

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雅子皇后

 

皇族の方の結婚式などでも「おすべらかし」をされますので、もしかしたらニュースなどでも聞いた事ある方も多いかと思います。

 

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昨年ご結婚された絢子様

 

しかし実際はどういった髪型なのか、なんであんな変な髪型なんだ!?などなど…

気になる方もいらっしゃるかと思いますので熱く解説していきます!

 

現在のこの「おすべらかし」という髪型の形態になったのは、江戸時代前後以降じゃないかと言われています。

 

それ以前までの、平安時代からされている「おすべらかし」は、漢字のごとく「大垂髪」ほとんど下ろしているだけの髪型の名称でした。

 

なかなか同じ髪型の名称で、ここまで変化のあるものはないですよね!

 

もちろんお雛様もおすべらかしです!

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後ろの写真は

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 こんな感じで幾つかの場所で結んでますね!

 

どれくらい長いかというと

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髪が床に着いて引きずるくらいの長さですね。

 

もちろん地毛ではなく、完全に被るタイプのカツラになっています。

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最近の雅子様は髪の毛をまとめていらっしゃる事が多い為、実際の長さはわかりませんが、コンパクトにまとまっている為、おそらく肩下くらいのセミロングくらいの長さではないかなと思われます。

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ここで気づいた方もいらっしゃるかと思いますが、単におすべらかしと言ってもいくつかパターンがあります。

上の写真の皇后雅子様のように冠を被っているパターンと最初の方で紹介した典子様の冠の被っていないバージョンがあること。

最初は、位の高さもあるのかなぁ?なんて思っていましたがそれがそうでもないようです。

 

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このご結婚された際の絢子様の髪型を見たときに本当に衝撃を受けましたね!

ここまで地毛を使い、冠を被られていない「おすべらかし」を見たのは初めてでした。

完全にハート型ですね。

 

ほとんどの場合は全頭を覆うカツラを被るものなので、本当に新鮮でしたし、おそらく絢子様に「この型にしたい!」という強い意向があったのではないかと思われます。

この「おすべらかし」の髪型にする為に、髪を伸ばし、髪を綺麗に見せる為にケアも頑張っていたのでしょうね。なんだか情熱が伝わってきます。

 

個人的には過去に作られた「おすべらかし」の中でも、一番クオリティが高く、一番カッコよく、一番美しい作品じゃないかなぁと思っています!

もちろん前の毛をすべて地毛で上げてしまうと、冠をのせる土台を作れないので典子様はあえて冠を被らなかったのかなと思われますね。

フォルムを強調させたかったのではないかと思います。

 

この髪型を担当された髪結い師さんには心から感服いたします。

最上級に『形』というものにこだわった「至高」の作品ですね。

 

先ほどの絢子様の写真の地毛の中側は一体どうなってるかといいますと、「かもじ」という物をいれてボリュームアップさせています。

「かもじ」とは、つけ毛ですね。義毛です。エクステを塊にした感じでしょうね!

ようは、でかいカツラのような毛の塊を後頭部にくっつけて、そして前髪とサイドの毛で覆いかぶせています。

 

近年ですと、香淳皇后様がされていました。(昭和天皇の奥様)

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当時14歳、昭和天皇とのお見合い時の写真だそうです。

 

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昭和後期、くせ毛でいらっしゃいますが、いい感じに仕上がっておりますね!

 

さすがに江戸時代まで遡ってもこの髪型を、「かもじ」なしで作った事ってないんじゃないかなぁ〜とは思いますが、江戸時代の結い髪の技術をみると恐ろしくレベルが高いので、ありえなくはないかもしれませんね。

後に江戸時代の髪型ご紹介しますが、現代とはレェヴェェルが違うんですよ!

 

ということで、最後に雅子皇后様のご結婚式の時の冠ありのおすべらかしスタイルをご紹介していきますね。

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いや〜、美しいですね!

当時髪の毛がロングだったからなのかこちらは、地毛でのおすべらかしですね。

そして冠も着けていらっしゃいますね!

近年、地毛を使っての冠スタイルは、雅子様紀子様のご結婚時くらいしか見た事ないので中々レアですよね!?

前髪のみ少〜しだけお団子にして簪(かんざし)型の冠を固定している感じでしょうね。

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写真 紀子様ご結婚式

 

どうしても冠をつけると前髪の髪を使えないため、形を作るのが難しくなりそうですが、トップのボリューム、フォルム共に綺麗に作られていますね。とてもクオリティが高いです!

 

そして、いかに典子様のおすべらかしがボリュームがハンパないかがわかると思います!

 

そもそも、この「おすべらかし」はなぜこのような形態になったのかは、諸説ありますが、今の所謎です。

おそらく中国やアジアの近隣の女帝が、このようにモリモリのボリュームヘアをやっていたのも影響があったのではないのかなぁ〜と思われます。

ボリュームこそが権力の象徴ッッ!!ホントこれにつきます。

 

ということで、最近話題の気になる「大垂髪(おすべらかし)」特集でした!

これから眞子様愛子様達のご結婚式に、どんな「おすべらかし」をされるのかがとても楽しみです!