この時代に、とても興味深い髪型をしていた女性がいました。
出雲阿国(いずものおくに)
この出雲阿国については、とても謎多き人物なのですが、1572年に出雲(島根県)に生まれ、出雲大社で巫女をしていたそうです。
もしかしたらご存知の方も多いかもしれませんが、現在の「歌舞伎」の発祥となった人物でもあります。
基本的に男性しか演じることができない歌舞伎は最初は、女性だったんですね〜。
この肖像画を見ていただきたいのですが…
アップで!
この髪型は完全に「レイヤースタイル」なっています!
記憶に新しいかもしれませんが、1990年代後半〜2000年代初期に流行ったスタイルです。
この時代には、とても珍しい髪型で独創的なスタイルだったことでしょう…
って言うか、この人以外ありえないですね!!
90年代の後半に一世を風靡したスタイルですので、彼女がレイヤースタイルの走りといって間違い無いでしょう!
すごく毛先の動き感もカッコいいですし、ちゃんと上手にカットされています!
しかし、自分で切ったのか?
誰かに切ってもらったのか?
もし誰かだとしたら、相当なやり手のカリスマ美容師がいたのでしょうね!
ちなみに現代の美容師が切ったレイヤースタイルはこちら!
安土桃山の美容師 > 現代の美容師 やや負けたかな…チッ。
『傾奇者』の出雲阿国だからこその許される魅力であり、たくさんの人々を魅了する人気者だったのでしょう!
常に新しい髪型というものは、こういった独創的センスを持った「変わった人」「ありえない!」から生まれるものだと心から感じました。歴史に名を残す人間ってこう言うことなんでしょうね…
人の目なんて気にしてたらダメだよね。
お次はこちら!
国宝『洛中洛外図屏風 上杉本』
こちらが1574年に織田信長から上杉謙信に送られた屏風になります。
当時最高峰の絵描きであった狩野永徳によって描かれました。
こんな感じの絵を見た事ある方も多いかと思います。
後に描かれた狩野派絵師の描いた洛中洛外もたくさんあります。その中でもかなり初期の作品になります。
この屏風には、京都の街が描かれていて、当時の生活風景やお祭り等の行事、四季、武士や商人、老若男女など様々な人間模様が描かれた一枚になっています。
描かれた人の人数は、2000人以上を超える超大作になっています!本当にこの作品は一度は観て欲しいです!すごすぎます!
私自身が髪型を研究するにあたって、とても参考になった一枚でもあり、ここに描かれた2000人以上の人々を一人一人全員確認致しました。
2000以上のみんな違った顔、髪型をしています。完全にターニングポイントになりました。
当時のリアルな生活風景、人々の暮らしから見えてくる髪型は、紛れもなく自由でした。
現在、この戦国時代の男性は、あえて『月代(さかやき)』にしていたと言われています。
しかし、「あえて」月代にしている人は誰もいませんでした。(また月代については詳しく書きますね。)
とりあえず、1574年時点では、まだ月代にしていないのが証明されたのではないでしょうか。
疑惑から確信に変わった瞬間でしたね!
本当にこの時代の京都行ってみたい!楽しそう。