世界の髪型美術館〜髪型の歴史〜

いままで語られてこなかった日本史と世界史の『髪型』を徹底的に解説、考察していきます!

江戸時代 1 髪型 1600年代

江戸時代1603~1868年(約250年続いた時代)前期1600年代 家康~5代将軍綱吉

 

ついに江戸時代が来ました。

この時代になりますと、現代にもたくさん資料も残っていますので、より精度の高い情報になるかと思います!

 

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しかし、江戸時代前期は、まだ絵画の制作時期が曖昧なものも数多くあるので髪型を見る際には、深く考察していきますね!

 

江戸時代は、たくさんの娯楽や文化も発展し、髪型の種類も本当に増えていった時代です!

 

…しかし、女性だけですね。とりあえず女性の髪型中心でお届けします。

 

江戸時代の男性のスタイルは、ほぼ一種類だけになります。

『髷(まげ)』ですね!

江戸幕末までコレ一択です!(北朝鮮より自由ないですね…笑)

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あとスゲー面白いのは、子供の髪型です!

この時代の親達は、なんだか自由な発想すぎて、もうわけわかんないです…

(子供の髪型編でご紹介していきます。)

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喜多川歌麿 鏡に映る女性がお母さんなんでしょうね。この子供の髪型は一体どういうことなんでしょうか!?(笑)

 

女性の髪型は、随分バリエーションも豊かになってきましたね!唐輪髷や一束など相変わらず垂髪もされていました。その変化系の根結いの垂髪など結い髪になっていく、ちょうど過渡期でしたね。

 

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千姫にみてもヘアアクセサリー的なリボン?をするなど髪型に対して可愛く見られたいと気を使っていたのだろうと思います。

 

 

他には、『玉結び』(垂髪の下を輪っか状に結ぶ)

この輪っかの大きさでも身分が分かったそうです。

小さければ上流階級で、大きければ一般人、町民といったところでしょうか。まあ繊細に作れるのは上流、雑なのは下流ということなんですかね?

 

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あとは、前髪をポンパドールのようにし、顔がしっかり見える仕様のスタイルも当たり前になってきましたね。少し前の時代なら、いかに髪で顔を隠すかが重要だったのに、なんだか女性としての「あり方」が大きく変わったのを感じますね!

 

元々あった『唐輪髷』の変形で『兵庫髷』というスタイルもできました。

(諸説ありますが、現在の兵庫県で遊女が結ったところからスタートしたそうです。)このスタイルは江戸時代末期まで紆余曲折を経て大流行しました。

いつの時代も兵庫県の女性はオシャレです!

現在も神戸巻きという「巻き髪」スタイルが数年前に流行したほどです。(先ほどの千姫が兵庫髷の最初の形態ですね。)

 

 

さらに、この『兵庫髷』は後に『横兵庫』というスタイルに進化していきます。

その名の通り髷を横に倒して作ったスタイルになります。

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簡易的なスタイルとしては、『根結い垂髪』現在で言うポニーテールですね。

いろんな絵画を見ていると、結ぶ高さもそれぞれですので好みもあるとは思いますが、高めに結ぶと若く、年を重ねるごとに低めになっている気がします。

もちろん現代でもその感覚は残ってますよね!女性は全般的に、まだまだ髪は相当長かったのは間違い無いですね。

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当時の髪型の流行は、ほとんどが「遊女」から発信されていて、少し時間が経った頃に一般人にも浸透していく感じでした。

もちろん多少おとなし目にセットされています。派手すぎても恥ずかしいしねぇ〜。

意外と今と変わらない流行のあり方かなと思います。

f:id:camdentown2012:20190625123711j:plain喜多川歌麿

 

今現在も世の女性は、女優さんやモデルさんやミュージシャンのやっている髪型に憧れますし、オシャレで、カッコイイ女性になりたい!この根本はいつの時代も変わりませんね。

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Rina sawayama

 

特に異性を意識した職業というのは、髪型やメイクの最先端だったのでしょうしクオリティもどんどん上がっていきました。

新しい髪型を作り、他の女性よりも目立つように努力し、頭も良くなければいけないので、本当に大変なお仕事ですよね。美意識はすごく高かったんでしょうね〜!

江戸時代は、本当にたくさんの髪型があり、多くの結い髪が生まれていきます。

本当に勢いのあるすごい時代ですね。

 

主な江戸時代を代表する結い髪の種類は、大きく分けて4つ!

ざっくりですがご紹介していきます。

 

島田髷

最初は男性の髷をイメージすることから始まったとされています。

徐々に年月を追うごとに髱の部分がさがっていき、形態を変えどんどんせり出していくスタイルになっていきます。もちろんこちらのスタイルも最初は遊女発祥でいろんな部分の形を変え長く愛される髪型になっていきます。

今の和装結婚式でも使われていますね!

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島田髷(初期)

 

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篤姫 文金高島田(もはや初期の形とは別物)

 

勝山髷

こちらは勝山さんという遊女が始めたから勝山髷とされています。(この説が有力です。)この当時遊女界隈では大流行でした!しかし高さもありクオリティーも高めなためか若干派手すぎて庶民には手が届かず流行りはしなかったそうです。後にこちらも変化して『丸髷』という大ヒット作になったようです!まあ、攻めすぎても時代がついてこないんじゃあね~…

 

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懐月堂派 立美人図(こんなんどうやって造るんだよ〜…泣)

 

笄髷(こうがいまげ)

こちらは、最初は簡易的な結い髪だったようです。宮女や御殿女中など貴族的な女性が、行事などがないときに笄でクルッととめておくやつですね。すぐに垂髪にもどせるような感じで固めない感じ。

後にこれがまた、無造作でキメすぎない感じが良かったのか、庶民の間でも大流行していきました。

現代で言う「抜け感」ってやつですかね。

あと、この笄が後に「かんざし」に変わっていきます。

 

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そもそも全部似てますね!少しづつ髪型が進化していったのでしょうね。

 

兵庫髷

先ほど説明したこのスタイルは、時の流れとともに小振りになっていき、1600年代終わり頃には、廃れた髪型として扱われるようになっていきました。若い子たちの間ではおばさんくさいというようなイメージだったのでしょう。そりゃあ100年近くされた髪型ですしね!このころは「やっぱ島田だよねぇ~!」っていう感じだったのではないでしょうか。

 

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というように、とにかく結いの種類はとにかく多かった…

ここではご紹介できないほどの数の結い髪が存在しました。

江戸時代の結い髪の種類だけで一説には200種類以上もあるようです。

ちょっとした変化系ですが、似たようなスタイルでもちょっと名前変えて付けちゃえばいいだけですからね。(笑)

でも260年の歴史は長いね。

もちろん地方によっても独自の文化や流行もあったので、数として表すのは不可能でしょうけど、髪型もファッションも急激に発展した時代だったんだろうと思います!

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ちなみに現代でも、ほぼ同じ髪型なのにいろんな名前の髪型がありますね…

歴史は繰り返すといったところでしょうね。