世界の髪型美術館〜髪型の歴史〜

いままで語られてこなかった日本史と世界史の『髪型』を徹底的に解説、考察していきます!

東京時代 明治 3 美しき女性達

明治の時期の女性達は荒れた時代の中で、どう変わっていったのかをご紹介していこうと思います!

 

この時期の女性の髪型も基本的には結い髪にしている人がほとんどですね。

しかし、江戸時代とは違い、結い方や飾りなどは随分地味な雰囲気になり、結い方は江戸の大き目から小さめになり、飾りも派手なものからシンプルな物へと変貌していきました。

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明治の後期なんかは、半分以下になった気がしますね。

 

明治維新によって変わった事といえば、吉原の遊郭も徐々に減っていきました。

過去に一度だけタイムスリップできるとしたら、吉原に行きたいですね。遊びたいというよりかは、この雰囲気見てみたいです。

なんだか怖そうで、異様な空気感が漂ってそうで、でもなんか明るそうで…本当に今じゃ考えられないですよね。

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お歯黒の文化も減っていったそうです。

この文化も不思議だよね〜!1500年以上は続いていましたからね。

未だに、なぜやっていたのかもわからないそうです。最近の話なのにね〜!

よく虫歯予防などと聞きますが、それじゃないような気がしますね。髪型と一緒で、人間の本質的には綺麗に見えたいというのが一番にあるので。僕の個人的な意見ですが、現代でもそうですが歯並びや黄ばみって気になりますよね?単純に全部黒ければ歯並びも黄ばみも気にならないんじゃないかな?と思います。

歯磨き粉ができたのももう少し後ですし、みんなタバコ吸ってたしね。謎ですわ…

 

江戸時代までの髪型は、圧倒的に中国(清)の影響を受けていました。いつの時代も華やかで発展していた中国のファッション、髪型は憧れだったのでしょうね!

しかし、中国の経済悪化や国内情勢の悪化で一気に衰退の一途を辿る中、日清戦争などの影響もあり中国離れが加速していったようですね。

この頃からだったんですね〜…

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それに伴い、世界各国との国際交流が盛んに行われるようになり、文化は洋装へと少しづつ変わり始めます。

大山捨松さんや津田梅子さんなど、女性も海外へ進出するようになり、アメリカへ留学に行ったりされました。(例の岩倉使節団随行しました。津田さん当時6歳)

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(小っちゃい子が津田さん、隣で手をつないでるのが捨松さん)

彼女らが日本に帰ってきて伝えたのは、学問や教養だけではなく、洋風なファッション、髪型、文化、全てがセンセーショナルだったのは言うまでもないでしょう。

なんか想像しただけでニヤけてきますね!

f:id:camdentown2012:20190730142020j:plain(津田さん、卒業式)

情報のない時代に、当時の女性が海外に飛び込むのは本当に勇気のいった事だと思います。本当に感服致します。

もちろん幼少の頃から行っていたがために、日本の生活に慣れるのは本当に大変だったでしょう…現代でも帰国子女の方々は大変だしねぇ…

 

大山捨松さんは、大山巌さんの奥様で、巌さんの九州なまりが強すぎて、二人は英語で会話した方が話がはずんだそうです。ちなみに大山巌さんは通称「西洋かぶれ」と言われていたそうで、ラブラブだったそうです(笑)なんかイイね〜!

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津田梅子さんは、皆さんもご存知「津田塾大学」の創始者で、新紙幣5000円札の肖像画にも選ばれましたね!本当に彼女の生き様がカッコよすぎます!

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この当時とても有名だった「鹿鳴館(ろくめいかん)」でのパーティーでは、ドレスを着て髪型は洋装のアップスタイルにセットする女性(貴族)が舞踏会を楽しんだそうな。(わずか4年で鹿鳴館の華やかな時代は終わったそうですが…)

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いつか鹿鳴館復活しないかな?本気で行ってみたい!

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この時代で、いや歴史上かも!?美しい女性の一人でもいらっしゃる「陸奥亮子」さんの髪型はかっこいいですね!できるキャリアウーマンという感じですね!

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洋装スタイルが流行る前の時期は、女性が髪を切るという事は仏門に入り、出家した未亡人という烙印とされていましたが、大正ロマンへ続く新たな時代への過渡期だったのでしょうね。

時代が変わればスタイルも変わる、『美』も変わる。女性という立場や生き方が180度変わった、そんな大きな一歩になる時代だったんだろうなと思いました。

 

探し人のコーナー!

この女性が誰かわかる方がいらっしゃったら教えていただけるとありがたいです。

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この女性の髪型を見た時に、とても衝撃が走りました!モヒカンスタイルなのです!

この時代になんというイケてる髪型をしているのかと…しかも女性が!日本版ジャンヌダルクとでも言いましょうか。

正面からの写真しかありませんが、周りは刈り上げて、前髪は短く、トップは長そうで後ろで結んでるようにも見えます。襟足付近の(襟上)の「黒い物」はスカーフなのか髪の毛なのかは定かではありませんが、襟足も刈り上げてそうな感じもしますので、モヒカン部分も毛を後ろで束ねて垂らしているようにも見えます。

この時代で、この髪型にしていた人は、まずいなかったと思うので、とても目立つスタイルだったでしょうね!

似ているスタイルとしては、以前紹介したこのスタイルに近い感じもしますが、意図としては、違う気がします。まあ、ほぼ型は一緒ですね。

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とりあえず、明治を代表するファッションリーダーに、勝手に認定させていただきますね!

ちなみに、この方は誰なのかを調べていると、「木戸松子」さんと書いている方が多いんですよね。(木戸孝允の奥さん)ですが、あまりにも顔が違うな〜なんて思っていました。

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そこで、山口県の萩にあります木戸孝允旧宅(記念館みたいなところ)にお電話でお伺いしたところ、やはり別人でした!

他にもいろいろ質問してしまい、ご丁寧な対応ありがとうございました。

はい。迷宮入りしました…

もしこのブログをご覧になった方でご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると幸いです。

明治のファッションリーダーを名無しのままご紹介するのはあまりにも心苦しいです。

ただ候補といたしましては、伊藤梅子さんに似ている気がします。(伊藤博文の奥様)

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梅子さんの若い頃の写真

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ん〜…わからんね〜。

 

ということで、明治の美しき女性達はいかがでしたでしょうか?本当に美しいですよね!

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本来は白黒の写真ですが、最近の技術でカラーに加工するだけで、そこに光が灯ったような『現実』が映し出されます。

今回、明治に撮られた写真をたくさん拝見し、なぜか涙が出そうになりながら、一枚一枚に想いを馳せてしまいました。

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 私自身モノクロの写真は、なんだか「古い物」「古い人」という感じで、正面から見る事をあまりしませんでした。改めてカラーに加工された写真を見ると、時代は違えどそこに写っているのは紛れもなく『日本人』で、さっき目の前をすれ違った日本人と変わらないのです。

おそらくこの写真に写っている人達は、もうこの世にはいないでしょう。

しかし、その写真に写った人達と変わらぬ我々は生きています。

そうなのです。時代が変わっただけで、我々は何も変わっていないのです。

今を生きる我々が次の世代へ、何も変わらない未来へとバトンを渡すだけなのです。

日本人は過去も未来も美しい。

縄文時代からの研究を通して、日本人である誇りを再確認できたと心から思っております。

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日本サイコー!!