世界の髪型美術館〜髪型の歴史〜

いままで語られてこなかった日本史と世界史の『髪型』を徹底的に解説、考察していきます!

三国志展 東京国立博物館 2019

先日、国立博物館にて現在開催中の「三国志展」に行ってまいりました!

 

www.tnm.jp

いや〜良かったですよ!!とても貴重な物も展示されていたので三国志好きにはたまらん特別展だと思います!

今回の私の目的としましては、上のホームページにも載っていますが、コチラです!

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コレをどーーーしても見たくて行ってきました!

これは、見るからに「船」ですね!なんかどっかで見た事ありません!??

説明にもかいてある通り『呉』の時代あたりのお墓からよく出土される物だそうです。

えぇ。これ「埴輪やん!!!!!」っていうことで、自分を抑える事ができないぐらいに興奮しましたね!

しかも「呉」といえば、

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右下の沿岸部から南部、中部までを領土としていました。

現在の中国の地図がこちら

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雲南省などの南部と言えば、以前にもご紹介していたこちら!

そうなんです!埴輪の元となる、たくさんの民族の方々が暮らしている地域なのです。

現在の上海も呉で、いまだにこの当時造られたお寺も残っていたりします!

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呉のトップ「孫権」さんが建てたお寺「龍華寺」

以前上海に旅行に行った際に訪れましたが、迫力が凄かったです!

何度も修復がされているのでしょうが、1800年以上前のお寺が現存するのは圧巻でした。 

 

話は戻りまして、三国志展で実際に見たあの船はやはり「埴輪」ですね!

お墓の付近で出土されているのを見ると、日本で発見されている埴輪との習慣も一緒ですし、間違いなく同じ民族もしくは、とても近い習慣をもった民族ということでしょう。完全に繋がりました!

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すごい綺麗ですね!

こんなのもありました。

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もう完全に埴輪ですよ!

そもそも三国志の時代というのは、西暦で180年〜280年頃と言われています。

はい。ぴったりなんですよ!ちょうど古墳時代の始まりとね。

三国志の時代に「呉」が敗れて、国を追われて人々が日本に逃げて来ていたのなら、そこから埴輪や古墳の文化が始まったとするとドンピシャで繋がるんですよね。 

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古墳の形をした器物

 

『呉』のお隣の『蜀』の国で作られていた土像はちょっと違った感じでした。

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これらもお墓の周りにあったそうです。

すごいニコニコしててクオリティが高いですよね!

あれ!?これもどっかで見た事あるなぁ!!

これに似てますね!作風が近い気がする。 古墳時代の後の飛鳥時代ですね。

 

こちらは、『魏』の時代に描かれた壁画だそうです。

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だいぶ見えづらいですが、こちらもまるでコレですね!

男性が被っている物なんかは、とても似ているように見えます。

 

まあ、とりあえず我々の祖先は中国の各地域の人々であり、いろんな理由で大陸から渡ってきた人達なんだぁと改めて実感しました。

そんな大陸から渡ってきた人達も覇権を領土を争い、日本の歴史を作ってきたのでしょうね。

なんとなく、ぼやけていたこの辺の歴史が見えてきたような気がします。

9月16日まで「三国志展」開催中ですので是非おすすめです!!

 

最後に三国志とは別件で、こんな物見つけちゃいました!!

時代的にだいぶ違うのですが、アイマスクだそうです。

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なんのためのアイマスクなのか?寝れない夜のため?サングラス代わり!?

こちらも古墳で発見されたそうなので、死者を弔うための物か、お葬式などの儀式に使う物なのかはわかりませんが、これってあれに似てますよね!

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遮光器土偶

まあだいぶ時代がちがうので何とも言えませんが、こういう発想の方面で当たってる気がする!(笑)

ちなみに上のアイマスクは、中国のウイグル自治区アスターナ古墳で発見され、6世紀くらいの物だそうです。(国立博物館 東洋館に展示されています。)

やっぱ中国一周の旅したいわ!

 

本当に国立博物館は楽しいです!毎回発見があって絶対一周しちゃいますね!

すべて見きれないほどデカイのですが、心の底からオススメです!!

 

 

おわりに

おわりに。

 

ついに長い長い日本史の髪型のまとめが終わりました。

1月から書き始めて半年以上かかってしまいました…もう少し早く終わる予定でしたが、とりあえず7月中に終わってよかったーーー!!(大正より先はやる予定はありません。)

 

ちょっとだけ壮大な自由研究というテーマでやってきただけに、夏のうちに終わったのは、ホッとしております。

この研究に本格的に取り掛かって1年半。

本気で、熱中し感動し渇望し全力で駆け抜けました。

まだまだ、この自由研究は終わりませんが、一つの区切りになったと思っております。

伏線の回収していない部分や、まだわからない部分も多々ありますので、今後も歴史ブログは続けていこうと思っておりますし、もっと深くまで研究していく所存です。

 

最初は世界史の変な髪型を研究しようと思っておりましたが、日本の事を知っていたつもりで、意外と知らない自分に愕然としたのが始まりでした。

また、それと同時に、まだ日本史の髪型の研究、考察がなされていないことに気がつきました。おそらく歴史を専門に研究されている方が、「こうであろう」というザックリとした考察だったのです。

現在美容師をやっている髪型の専門家から見ると、それは見るに耐えないものでした。

そこで究極に研究、考察をし、どんな歴史の専門家からも髪型の歴史だけは負けられない、譲れないという想いでここまで研究をしてみました。

いつか、何かの形になればいいなぁと心から願っております。

 

仮に認められれば本当、歴史の教科書変わるからね!(笑)

目標は、博物館か美術館で特別展やる事です!

 

今後は、新たに知った情報の追記と、博物館、美術館レポ、世界史編突入です!!

読みづらい文章だとは思いますが、『歴史の髪型』が気になったらここに訪れる「プラットホーム」になれたら幸いです。

 

ここまで、お読みいただきありがとうございました!

2019.7.30

 

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東京時代 明治 3 美しき女性達

明治の時期の女性達は荒れた時代の中で、どう変わっていったのかをご紹介していこうと思います!

 

この時期の女性の髪型も基本的には結い髪にしている人がほとんどですね。

しかし、江戸時代とは違い、結い方や飾りなどは随分地味な雰囲気になり、結い方は江戸の大き目から小さめになり、飾りも派手なものからシンプルな物へと変貌していきました。

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明治の後期なんかは、半分以下になった気がしますね。

 

明治維新によって変わった事といえば、吉原の遊郭も徐々に減っていきました。

過去に一度だけタイムスリップできるとしたら、吉原に行きたいですね。遊びたいというよりかは、この雰囲気見てみたいです。

なんだか怖そうで、異様な空気感が漂ってそうで、でもなんか明るそうで…本当に今じゃ考えられないですよね。

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お歯黒の文化も減っていったそうです。

この文化も不思議だよね〜!1500年以上は続いていましたからね。

未だに、なぜやっていたのかもわからないそうです。最近の話なのにね〜!

よく虫歯予防などと聞きますが、それじゃないような気がしますね。髪型と一緒で、人間の本質的には綺麗に見えたいというのが一番にあるので。僕の個人的な意見ですが、現代でもそうですが歯並びや黄ばみって気になりますよね?単純に全部黒ければ歯並びも黄ばみも気にならないんじゃないかな?と思います。

歯磨き粉ができたのももう少し後ですし、みんなタバコ吸ってたしね。謎ですわ…

 

江戸時代までの髪型は、圧倒的に中国(清)の影響を受けていました。いつの時代も華やかで発展していた中国のファッション、髪型は憧れだったのでしょうね!

しかし、中国の経済悪化や国内情勢の悪化で一気に衰退の一途を辿る中、日清戦争などの影響もあり中国離れが加速していったようですね。

この頃からだったんですね〜…

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それに伴い、世界各国との国際交流が盛んに行われるようになり、文化は洋装へと少しづつ変わり始めます。

大山捨松さんや津田梅子さんなど、女性も海外へ進出するようになり、アメリカへ留学に行ったりされました。(例の岩倉使節団随行しました。津田さん当時6歳)

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(小っちゃい子が津田さん、隣で手をつないでるのが捨松さん)

彼女らが日本に帰ってきて伝えたのは、学問や教養だけではなく、洋風なファッション、髪型、文化、全てがセンセーショナルだったのは言うまでもないでしょう。

なんか想像しただけでニヤけてきますね!

f:id:camdentown2012:20190730142020j:plain(津田さん、卒業式)

情報のない時代に、当時の女性が海外に飛び込むのは本当に勇気のいった事だと思います。本当に感服致します。

もちろん幼少の頃から行っていたがために、日本の生活に慣れるのは本当に大変だったでしょう…現代でも帰国子女の方々は大変だしねぇ…

 

大山捨松さんは、大山巌さんの奥様で、巌さんの九州なまりが強すぎて、二人は英語で会話した方が話がはずんだそうです。ちなみに大山巌さんは通称「西洋かぶれ」と言われていたそうで、ラブラブだったそうです(笑)なんかイイね〜!

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津田梅子さんは、皆さんもご存知「津田塾大学」の創始者で、新紙幣5000円札の肖像画にも選ばれましたね!本当に彼女の生き様がカッコよすぎます!

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この当時とても有名だった「鹿鳴館(ろくめいかん)」でのパーティーでは、ドレスを着て髪型は洋装のアップスタイルにセットする女性(貴族)が舞踏会を楽しんだそうな。(わずか4年で鹿鳴館の華やかな時代は終わったそうですが…)

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いつか鹿鳴館復活しないかな?本気で行ってみたい!

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この時代で、いや歴史上かも!?美しい女性の一人でもいらっしゃる「陸奥亮子」さんの髪型はかっこいいですね!できるキャリアウーマンという感じですね!

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洋装スタイルが流行る前の時期は、女性が髪を切るという事は仏門に入り、出家した未亡人という烙印とされていましたが、大正ロマンへ続く新たな時代への過渡期だったのでしょうね。

時代が変わればスタイルも変わる、『美』も変わる。女性という立場や生き方が180度変わった、そんな大きな一歩になる時代だったんだろうなと思いました。

 

探し人のコーナー!

この女性が誰かわかる方がいらっしゃったら教えていただけるとありがたいです。

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この女性の髪型を見た時に、とても衝撃が走りました!モヒカンスタイルなのです!

この時代になんというイケてる髪型をしているのかと…しかも女性が!日本版ジャンヌダルクとでも言いましょうか。

正面からの写真しかありませんが、周りは刈り上げて、前髪は短く、トップは長そうで後ろで結んでるようにも見えます。襟足付近の(襟上)の「黒い物」はスカーフなのか髪の毛なのかは定かではありませんが、襟足も刈り上げてそうな感じもしますので、モヒカン部分も毛を後ろで束ねて垂らしているようにも見えます。

この時代で、この髪型にしていた人は、まずいなかったと思うので、とても目立つスタイルだったでしょうね!

似ているスタイルとしては、以前紹介したこのスタイルに近い感じもしますが、意図としては、違う気がします。まあ、ほぼ型は一緒ですね。

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とりあえず、明治を代表するファッションリーダーに、勝手に認定させていただきますね!

ちなみに、この方は誰なのかを調べていると、「木戸松子」さんと書いている方が多いんですよね。(木戸孝允の奥さん)ですが、あまりにも顔が違うな〜なんて思っていました。

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そこで、山口県の萩にあります木戸孝允旧宅(記念館みたいなところ)にお電話でお伺いしたところ、やはり別人でした!

他にもいろいろ質問してしまい、ご丁寧な対応ありがとうございました。

はい。迷宮入りしました…

もしこのブログをご覧になった方でご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると幸いです。

明治のファッションリーダーを名無しのままご紹介するのはあまりにも心苦しいです。

ただ候補といたしましては、伊藤梅子さんに似ている気がします。(伊藤博文の奥様)

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梅子さんの若い頃の写真

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ん〜…わからんね〜。

 

ということで、明治の美しき女性達はいかがでしたでしょうか?本当に美しいですよね!

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本来は白黒の写真ですが、最近の技術でカラーに加工するだけで、そこに光が灯ったような『現実』が映し出されます。

今回、明治に撮られた写真をたくさん拝見し、なぜか涙が出そうになりながら、一枚一枚に想いを馳せてしまいました。

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 私自身モノクロの写真は、なんだか「古い物」「古い人」という感じで、正面から見る事をあまりしませんでした。改めてカラーに加工された写真を見ると、時代は違えどそこに写っているのは紛れもなく『日本人』で、さっき目の前をすれ違った日本人と変わらないのです。

おそらくこの写真に写っている人達は、もうこの世にはいないでしょう。

しかし、その写真に写った人達と変わらぬ我々は生きています。

そうなのです。時代が変わっただけで、我々は何も変わっていないのです。

今を生きる我々が次の世代へ、何も変わらない未来へとバトンを渡すだけなのです。

日本人は過去も未来も美しい。

縄文時代からの研究を通して、日本人である誇りを再確認できたと心から思っております。

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日本サイコー!!

東京時代 明治 2 変革を迎えた男達

変革を迎えた男達ということで、この時代に輝いた、激動を生き抜いたカッコよすぎる男達をご紹介していきたいと思います!

 

明治といえばこの男!もはや歴史上一番カッコイイんじゃないかな!?

私個人的にはNO.1イケメンです!

山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)さん

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この時代では珍しい身長188cmもあったそうです。剣の達人で、人望も厚く、全てにおいて最強の男だったのは言うまでもないでしょう。
江戸城無血開城の立役者でもあり、明治維新、徳川家にとっても最重要人物です。

そんな晩年の彼がこちらです。

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 いや〜、お年を召してもカッコイイですね〜!

髪型に注目してみてください!

そうなんです。今流行りの2ブロックスタイルで、オールバックにセットしていますね。

現代の男性の中では、一番スタンダードな髪型ですよね!f:id:camdentown2012:20190727120454j:plain

カズ、三浦カズ

明治の時期の写真をたくさん見ているのですが、意外とこの髪型にしている人が少ないようなので、この現代で一番人気の2ブロックスタイルは、『山岡鉄舟が発祥』ということでいいと思います!

鉄舟さんオシャレにも気を使っていたのは、本当にさすがです!

 

お次はこちら「第二回遣欧使節団」の方々ですね。(メンバーの一部)

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こちらの方々も雰囲気あってかっこいいですね!

前列中央の池田長発さん(いけだ ながおき)がこの使節団のリーダーです。

ちなみに池田さんの右の方は本田圭祐選手ではございません。

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注目していただきたいのが、池田さんの左斜め上の方の髪型を見ていただきたいのですが、なんか変ですよね!?

こちらアップで!(個人で撮られている写真がありました。)

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上の集合写真でも確認できますが、周りの毛は長くピタッと髷を結っています。(モノクロで若干わかりずらいですね。)

真ん中の月代だった部分が、髪が伸びてきているのがわかりますね!モヒカンにも見えますが、ただの坊主が伸びたような感じになっています。

これは、矢野さんが大事な撮影会なのにおっちょこちょいで剃り忘れたのではなく、伸ばし始めたばかりだったということですね!
 明治初期に度々見られる、伸ばし途中の「ちょっとカッコ悪い」スタイルです。

「俺も髪伸ばして池田さんみたいにカッコイイ髪型にするんだ!」っていう憧れが伝わってきます!(僕の妄想です。)

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カラーの池田さん。こりゃあカッコイイよ!

逆に隣のおじ様方は、「最近の若い奴らはみっともねぇなぁ!」って思ってそう(笑)

うんうん。わかるぞ矢野君!若者はいつの時代だって新しいもの好きだよなぁ〜!

 

後に、この矢野君は、現在の「一橋大学」の前身の学長を務めあげ、日本の教育の礎を築いた、偉大な人物として語り継がれる事になります。

…え?スゴすぎ…「上から目線でさーーせんしたぁーー!!」

20年後?くらいの矢野君…いや、矢野先生。爽やかな髪型になってよかった!(涙)

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ちなみにこの使節団は、ここまでいきました!

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アフリカ!エジプトのスフィンクス前にてパシャり!これは、インスタ映えするなぁ〜!

この使節団のメンバーの中に「理髪師」さんが一人いらっしゃいました!海を渡った最初のヘアーデザイナーじゃないの!?たぶん。

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乙骨 亘(おっこつ わたる)さんです。17歳!若いねぇ〜!こちらも髪の毛伸ばし中ですね!注目していただきたいのが、着物の下に着ている服です。

蝶ネクタイつけてますよね!しかも中は、Yシャツです!

えぇ。変ですよ!変なんだけど、これが当時のオシャレだったのです!So COOL!!

『和洋折衷』とは、この事だったのですね!いつの時代も変わりません、見た事のない海外製品やファッションは若者の憧れなんですよ!!

 

お次は、こちらの写真をご覧ください。

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こちらの武士達の髷に違和感を感じませんか?

アップで見てみましょう! 

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⇧左側のこのお二人の髷があまりにも整いすぎている気がします。逆に一番右の方の髷は細いですよね。

この差って一体なんなのかと言いますと『つけ髷』かどうかの差があるのです。

 この写真だけの情報では一概に判断しきれないですが、一番右の細い髷の男性は地毛で作っているように見えます。

髪の毛の性質上、髪を伸ばすほど毛先にかけて細くなっていきます。ですのであの細さの髷である事の方が自然な気がします。

左側のお二人は、綺麗な四角く平べったい形をしていますね。

結んでいる「根」の方に注目していただきたいのですが、根の部分もあまり厚みがないのがお分かりでしょうか。

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この髷を作りましたが、ボリュームある髪の毛で長ければ長いほど結んでいる「根」の部分が太くボリュームが出てしまうんですよね。

ですので、このお二人のパターンはそれほど髪の毛は長くないけれども、根の部分でい一つにまとめた後に、つけ髷と一緒に結んでいるのではないかと思われます。

髪の毛は、ケアを怠ると切れやすくなりますので、誰でも力強く伸ばせるってわけでもないんですよね!

ちなみに髷を結っている人達の髷が「カチカチ」に見えますよね!?

何のスタイリング剤かというと「鬢付け油」(びんつけあぶら)でセットしています。ベタベタに塗って雨の日でも崩れないようにしていたそうです!みんながんばってたね…暑い日なんかは、油が溶けて『つけ髷』がポロっと取れてしまう事もあったとか…

いい時代になりました!現代では、お相撲さんも鬢付け油でセットしています。

camdentown2012.hatenablog.com

 

散切り頭を叩けば文明開化の音がする。

想像もできないほどの激動で、おそろしく加速した時代だったのでしょう。

見に行きたい!

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あっ!海を渡った美容師という部分で共感できるのと、『乙骨』という名字がカッコイイので、勝手に自称「2代目乙骨 亘」襲名しちゃお〜。

 

東京時代 明治 1 髪型と岩倉具視

東京時代 明治 1868〜1912年まで45年続いた時期

徳川家から大政奉還され天皇政権へと王政復古の大号令が出された。

グレゴリオ暦が採用され始め、いよいよ時代が変わり始めましたね。

江戸から東京へと改められ、正式に首都を京都から東京へと移されたので、『東京時代』にしています。 

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髪型に関しては、とても大きな出来事が起きます。

明治4年に「散髪脱刀令」が出されたのです。

この令は、刀を帯刀しなくても良いというものと、「髪型」を自由にしても良いという発令でした。

もちろん髷を禁止にするという訳ではなく、本当に自由ということですね!

しかしここで注意点があって、これは男性に出された発令であったということです。

女性も「短く切っていい!」と思い、たくさんの女性も短く切ってしまったために、後に「女子断髪禁止令」が出されています。別にいいじゃんねぇ〜!(笑)

当時の男たちは、女性に髪は長くいてもらいたかったって事!?

 

 逆に、散髪、洋装反対運動なんかも起きたみたいです!当時の福井県で、3万人規模の一揆が起きて、死刑者も出すほどの大騒ぎだったそうです。

それだけ愛国心もあったのでしょうし、徳川家を尊敬していたのか、もしくは天皇家に対する反対だったのか…

いろんなところに正義ってありますね。

 

なんとなく、洋装への憧れってあったのかなぁ〜なんて思ってましたけど、全員が全ての習慣を変えるのは大変ですよね…

明治天皇陛下も散髪されたことで、続々と世間に広がっていったそうです。

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この頃から、男性の髷を切る床屋さん(現在の理髪店)が始まり、急速に忙しくなっていったそうです。

人手が足りなくなり、職にあぶれていた武士も手伝うようになり、仕事を覚え、「自分で理髪店をひらく!」とういう創業モデルが出来上がったようですね!

なんとなく、刃物を扱うという点では一緒なので、最良の仕事の進化だったのかもしれませんね!

そりゃあ何もわからず切っていたので、こんな感じの変な髪型になりますよね!(笑)

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これが、俗に言う「散切り頭(ざんぎりあたま)」ってやつですね!

斬新です。

始めたばっかりの人は、上手く見せるために、わざとハサミを「チョキチョキ」鳴らしまくっていたそうです。勢いつけてやるもんだから、よく耳まで切ってしまう事例が全国的に多発したのは、言うまでもないでしょう…

うん。わかるよその気持ち。僕も若い頃はそうだったさ。

でもねぇ、本当の上手さってのは、『無駄をなくすってことだよ。』

ついに来ました。ここに来てついに!!

 現代の美容師>>>明治時代の床屋さん

やっと歴史に勝ちました…

 

という事で、ドタバタなスタートになりましたが、現代へ続く散髪の文化が始まりました!

先ほども説明しましたが、なぜ『散髪令』がでたのか?という部分に注目していきたいと思います。

実は、散髪令を調べても、あまり深い理由について知る事はできないんですよね。

本やネット記事など読み漁ったのですが、どれも歯切れが悪いというか…しっくりこないんですよね〜。まあ実際のところ誰もよく分からないのかもしれませんね。

 

髷のブログでも書きましたが、そもそも髪型に「制約」がなければ、そんな令を出す必要はないし、男性に対して制約があったからこその『散髪令』であれば『髷スタイルにしなければいけなかった』という証明でもありますよね。

「髪型自由にしてもいいよ〜」という、200年以上もかかったその一言。本当に待っていました!(泣)

綺麗にまとまった気がします!

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 明治といえば、こちらの写真をご覧になった事があると思います。

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歴史の教科書にも載っている有名な写真ですね。「岩倉使節団」です。

えぇ違和感を感じますね。僕も昔歴史の教科書を見ててすごく違和感を感じました…

なんか変だなぁ〜と。

そうなんです。中央の岩倉具視(いわくらともみ)氏だけが着物を着ている…違います!そこじゃないです!!頭をご覧ください。

これは一体なんでしょうか!? ま、ま、髷!?

 

この時の岩倉氏の有名な逸話があります。

岩倉氏は、髷は日本人の魂であると考え、髷を落とす事を拒んでいたそうです。訪米時も髷と和服姿であったが、アメリカ留学中の息子さん(岩倉具定)に説得されてシカゴで断髪した。というおもしろい話です。

しかし、よ〜くこの髷らしきものを見てください。

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これは『髷ではない』ですよね!

 では、これは一体何なのか!?

もちろん岩倉氏を含め、ここに写っている五人は、髷の時代を生きてきていますから、これが髷であるか髷ではないかの解釈を間違うはずがありません。

 

そもそも髷スタイルの定義とは、岩倉氏のスタイルとは「逆」で、前髪からトップの毛を剃って、横と後ろの毛で髷を作っていくものです。

しかし岩倉氏は、横と後ろを全て剃り上げ、本来剃るはずの前髪とトップのみを残しているのです。

この髪型が意味するところはいったいなんなのか…?

オシャレだと思ってコレにした?(斬新でカッコイイけどね!)

皆さんはどう思われますか?

 

ここからは、私の個人的な推測、解釈になります。

この髷の意味する事は、「徳川家への皮肉や嫌味」だったのではないでしょうか?

というのも、岩倉氏は公家側の人であり、倒幕を実行した中心的な人物でもあります。

武士でも商人でもない岩倉氏が、月代にし髷を結った事が今までにあったのでしょうか?(あるとしても一度あるかないかでしょうね。)

にもかかわらず、自身の髪型を髷と呼び、日本人の魂とまで言っている事に、とても違和感を覚えずにはいられません。

この写真の髪型を考察すると、周りの毛は相当短いので、この撮影の直前に剃ったと思われます。

結んでいる前髪とトップの長さを見ると結構長そうなので、(結んでいる毛を下ろしたら目より下くらいの長さになります。)この髪型にするために、わざわざ髪を伸ばして、満を持してこの髪型を作ったのが見受けられます。

この髪型にする2日前はこの位の長さはあったでしょう。

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米津玄師

 

どうしてもあの髪型にしたかったのでしょうね。とてつもなく怒りや皮肉が詰め込まれている気がします。

撮影後、使節団として各国を渡り歩きます。

そこで世界中に、『アンチ徳川』の深い意味を込め、「逆転したぞ!」という、とてもメッセージ性の強い髪型になったのだと思います。

 俺たちが新しい日本だっ!!という熱い思いがなんだか伝わってきますね。

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という事で、信じるか信じないかはあなた次第ですっ!!

 でも、ハズレてなさそうな気がします。(笑)

 

そして今回もまた作っちゃいました!!

岩倉具視氏の髷らしきもの!

もちろんこの時代に、いや、後にも先にもこの髪型をした人はいなそうなので、どうしても岩倉氏の気持ちを知りたくて作ってみました!! 

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 前回の髷と比べてみましょう!

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そうなんです!まんま月代と同じ場所だけが、髪の毛あるんです!

実はこの2つの髪型は、同じ時期に作ったのですが、「わざと逆にしてやりました感」がスゴすぎて、作りながら笑ってしまいました!

本当に岩倉氏の『ブラックジョーク』というか、『極上の皮肉』すぎて一本取られた!って感じです!わかる人には分かる嫌味が、もはやカッコイイ!

 

いや〜、これも難しかったですね!なんかすごい簡単そうなスタイルだったのですが、やってみると本当にバランスが難しいです。

あと、このマネキン(ウイッグ)の毛の生え方では、近づけるのに限界を感じました。いつか本物の人でこの髪型作ってみたいです。(岩倉氏の髪型したい人募集中です!)

 

という事で、岩倉氏!!バレてるよ!!

 

 

 

 

江戸時代 7 髪型を創る道具

長い歴史の中で、髪型をつくる道具もまた時代と共に変わってきました。

今回は、昔はどんな道具でカットやセットしていたのかをご紹介していきます。

 

現在、よく美容院や床屋さん等で見る「ハサミ」や「櫛」が今の形状になったのもまだ最近なのです。

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現在私が使っているシザーとコーム。

ハサミの大きさや形状、デザインが様々存在します。

 

そしてこちらは、とても貴重な物で、室町時代(1390年)に足利義満らが奉納したとされる女性用メイクボックス一式(化粧箱)

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真ん中の「糸切りばさみ」みたいな物が髪を切るハサミですね。右のピンセットは、毛抜きで、今と全く変わらないですね!

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こちらは、櫛一式ですね。右下の「粗歯(あらば)」は洗髪後などに使用し、他の「密歯(みつば)」は長い髪を整えたり、ツヤをだしたりする時に使用する物でしょうね。
ここまでの密歯は、現代ではあまり使用しないので、ドライヤー無き当時は絶対的な必需品だったことでしょうね。とても美しいです!

 

こちらは、徳川吉宗が1730年に髪を切ったとされるハサミです。

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ハサミは、たいして変わってないですね!なんならずっとこの形状です。

切ずらそうに見えるかもしれませんが、男性も女性も基本的にずっと髪の毛は長かったので、毛先揃える程度しかカットはしません。なのでこの小ささで問題なしです。

 

江戸時代の後期になると、以前にもご紹介しましたが、だいぶ派手になってきます。

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すごい綺麗な櫛ですね!髪に飾るタイプのやつですね!

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すごくデザイン的でキラキラしてます!若い女子に人気間違いなしだったでしょうね!

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かんざしです。おしゃれだなぁ〜!

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左が笄(こうがい)で、右がかんざしですね。スケルトンは夏によさそうですね。

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こちらはメイクボックスですね!なんかすごい本格的です。こちらも現代と変わらなそうですね。

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縄文時代の櫛はこれでした。いや〜、進化しましたね!!

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かんざし これはコレでオシャレだけどね!

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 ということで、普段とても身近な美容の道具は、ここまで変わりました!

時代が変われば、流行も変わる。

でも、根本は縄文時代から何も変わっていない。

そこに『美』を追求する心があれば、いつの時代も一緒なのかもしれないですね。

これからも、もっと面白いヘアアクセサリーがでてくるのを期待したいです!

 

最後に美しい幕末の髪結いの風景をご覧ください。

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空気感だけでなんか泣けてきます。(涙)

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右側のマスターの、髪の毛の引っ張り上げる角度が絶妙です。むちゃくちゃ上手なのが伝わってきます。

僕も、一度本気で髷を作ってみましたが、全然違うのがわかります。


本当に『鍛錬』って大事だよね。

 

 



江戸時代 6 髷と月代の系譜

ついにきました髷の系譜!(ここまで引っ張っちゃってすいません。)

縄文時代から始まり、やっとここまでたどり着きました…長かった。

もはや、このテーマを書きたいがために、これまで書いてきました…(泣)

これまでのすべてを「伏線」と言っても過言ではありません。(笑)

『月代(さかやき)』とは、何なのかを徹底的に解説していきます!!

(月代とは、あえて剃って作った髷スタイルのことを指します。)

 

 まず、現在まで言われている『月代』にした始まりと理由をお伝えしていきます。

 以前ブログでも書きましたが、鎌倉時代から始まったとする説があります。

ですが、お坊さんが剃る事はあっても、武士や一般人がわざわざ剃ることは、まずありえないでしょうね。 

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 いつから剃るようになったかという点については、これは間違い無く『江戸時代』からです。後ほど時系列を追って解説していきます。

 

月代にし始めた理由については、戦で兜を被った時に、頭が蒸れて痒くなってしまうからという理由だそうです。

…う〜ん。なんかしっくりきませんよね〜(笑)

だったら剃らずとも短く切ればいいんじゃねぇ!?ってツッコミたくなりますよね!

そもそも江戸時代、戦らしい戦はないんです!(幕末くらいでしょうね。)しかも武士でもない町人や若者でさえもやってるし…

 

あと私事ですが、小学生の頃から剣道をやっていましたが、面を被って竹刀で打たれた時の衝撃が、髪が伸びきっているか、スポーツ刈りでカリカリに短いかでも、大分変わります。

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むしろ剃ったりなんかしたら尚の事、兜が滑ってズレそうですし、人と人がぶつかり合う中で、ちょっとでもショック吸収できたほうが、もはや有利にすら感じます。命のやり取りをするギリギリの中で、頭が痒いっていう事がそこまで重要なのかは、甚だ疑問ですね。

頭の部位でいうと、襟足部分が髪の毛が一番密集していますので、痒くなりやすく、熱もこもりやすい場所なので、わざわざ剃るならもはやこっちでしょうしね…

f:id:camdentown2012:20190708115548j:plain鎧かっこいいですね!

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(見えづらくてすいません!いい写真撮れ次第差し替えます。↑後ろからアップで。)

中の方を見ると、頭を固定するような木製?の輪っかのような物がありますね。これでズレづらくしていたのでしょうが、頭皮に直に当たり続けたら痒いどころか痛そう…

ということで、現状考えられている、戦によってわざと月代にしていたという可能性は極めて低いんじゃないかと思われます。

 

では、いつから何のために月代にしたのかを分析していきましょう。

以前のブログでちょいちょい触れてはきましたが、織田信長のようにバリバリの戦国武将でも髪ありましたし、こちらの記事でもご紹介した1574年時点では、まだ月代をやっているようには見えませんね。

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 1615年に作成された「洛中洛外図屏風 舟木本」岩佐又兵衛筆 

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京都を描いた作品です。2500人もの人々が描かれています。今回も全員チェックしましたが、この年代もまだ月代にしている人は、ほとんど見当たりませんでした。

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一応それっぽい人を一人だけ見つけました!本当に微妙ですが…(ウォーリーを探せ!状態です。)

ちなみに若衆髷は、ちらほらいました!

下の方に、美容院(髪結床)がありましたね!こんなちっちゃい場所でやっていたなんてとても涙ぐましいです…

「先輩ッ!未来の僕ら、もう少し大きい所で仕事できるようになりましたよっ!(泣)」

いやぁ〜礎の上に立たせてもらってますね。

でも、意外だったのが、男性が女性の髪を結うんだなぁ〜と。1700〜1800年代なんかは、女性は女性、男性は男性の髪を結う絵しか見た事ありませんでした。

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 南蛮人らしき人も見つけました!

 

あとは、こんな絵もあります!

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支倉常長(はせくら つねなが)が、ローマ教皇に謁見しに行った時に、現地の画家が描いた銅版画です。

右下に小さく『1615』と書いてありますので1615年?に作成された物のようです。完全に月代になっていますね!月代部分の毛が少し伸びてきているのがわかります。後ろは髷というよりかは、折り髷に結っているだけに見えます。

下2つも支倉常長です。

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この絵の髪型は微妙ですね〜。普通にトップが長そうにも見えます。

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こちらも1615年頃に、描かれたとされる支倉常長です。(日本人初の油絵で描かれた絵画)こちらは月代にはなっていませんね。上の絵により雰囲気が近い感じがします。

こちらも後ろで折り髷にしているだけのように見えます。はい…とても迷宮入りしそうな案件になってきました(笑)

描かれた時期が、どれが先かはわかりませんが、西暦らしき数字の書かれている上の絵のほうが古そうにはみえます。

当時の日本の年号と西暦の誤差は、数年あるらしいので、正確に割り出すには難しそうですが、1615年前後くらいには『月代スタイル』があった可能性があると見てよさそうです。しかし全員がやっているわけではなく、ごくわずかの一部の人が剃り始めた時期ということですね。

 南蛮屏風 狩野内膳 1600年初頭

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こちらの屏風は、厳密な時期は不明ですが、月代か?若衆髷らしき髷の人も描かれています。

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ちなみにこの黒装束は、イエズス会の人たち。

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この緑や色とりどりの派手な方々がフランシスコ会御一行です。やはりトンスラの人たちもいますね。でもこの服装をみると上部の方で紹介した洛中洛外の絵に映る南蛮人フランシスコ会の人でしょうね。

 

江戸屏風図 1632年前後製作(おそらく徳川秀忠が亡くなって以降じゃないかな?)

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この屏風は、3代将軍 徳川家光を讃えるために製作された屏風と言われています。(当時の江戸が描かれた数少ない作品だそうです。)

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この屏風に描かれた人々も全て確認しました…

な、なんと!9割以上の男性が月代スタイルになっているのです!!

何千人と描かれた中で前髪がありそうな男性は、もはや10人くらいしかいないのです!
一体この約10年で何が起きた!??な、な、ななんでハゲばっかりになってしまったんだぁ!!

 

はい。完全に髪型の歴史のターニングポイントです。

この屏風に描かれている人達が、おじさんやおじいちゃんばかりという訳でもなく、江戸でハゲになる病が流行ったわけでもありません。
断言します!!みんなあえてこの『髪型』にしたのです!

イケてる流行に乗りたくてやったわけでもありません。

鎌倉時代でも現代でもハゲているというのは恥ずかしい事なのです。

いつの時代もみんな髪が薄くなるのをを気にしていて生きてきたのです。

では、なぜ自らハゲて見えるスタイルにする必要があったのか…

それは、『しなければいけなかったから』なのです。

 命令だったのではないでしょうか?

 

という事で、この1620年代〜1640年代くらいの間に何かがあったという事になります。この後、約200年続く髪型が、この20〜30年の間に起こりました。

誰が何のため指示したのかを紐解いていきます。

 

もちろんほとんどの男性の髪型を変える事を指示出来る人物っていうのも限られてきますよね?パッと思い浮かぶのは天皇か徳川か…

当時の政治や権力の実権は、ほとんど徳川家が握っていたのをみると、天皇家ではなさそうです。

となれば、将軍徳川秀忠から徳川家光に移り変わった時期でもあり、どちらかが指示した事になりますね。(是非、秀忠と家光ウィキペディアで調べてみてください!)

この時期は、髪型だけではなく大きく情勢も変わりました。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

私の独断と偏見の解釈になってしまいますが、秀忠は保守的で真面目な人物のイメージがあります。1612年に禁教令を出してはいますが、仲の良かった武将もキリスト教であったことから、さほど圧力は厳しくなかったように思います。情にあつかったのかなぁ〜。

それに対して家光は、次々と新しい政策を打ち出し、武力をもって独裁的に政策を進めていきました。島原の乱に始まり、徹底的にキリシタンを排除し虐殺していった背景をみると、相当自己主張強めな男かなと思われます。

秀吉や家康、秀忠でさえもキリスト教を黙認していただけに、かなり嫌っていたようですね。家光については、詳しく調べるとたくさん面白い事がわかります!(是非検索してみてください!)

有名な話ですが、家光は同性愛者であり秀忠亡き後は、二元政策はなくなり、近しい家臣達は自分の好みの男性達に一掃したそうです。暴走状態に近かかったのかな…

それまでにいた家臣達や、それ以外の大名からも不満の声は多数でたのは言うまでもないでしょう。嫌な上司やなぁ〜!

ちなみに、カトリックは同性愛は禁止です。当時全国で50万人以上がキリスト教徒でした。(江戸の人口100万人)これの意味する事は、ご想像にお任せします。

 後に、『寛永の大飢饉』などもあり、武断政治の影響が大分でたんじゃないかとの見方も強いようですね。

結構ガタガタっと徳川政権きたみたいですが、四代将軍家綱がんばったね〜。なんとか持ち直したそうです! 

という事で、「髪を剃れ!」なんて言いそうなのは家光かなぁ〜。(笑)

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キリスト教の大虐殺や鎖国政策などから考えられる事は、とても「革命」を恐れていたんだろうなぁと思われます。

自身の地位を守りたかったのでしょうし、自分以外の人間が崇拝や尊敬されるのも許せなかったのかもしれませんね。まあ自己顕示欲の塊だったんでしょうね!

容姿に対しても結構コンプレックスあったようなので、仮に若くして髪が薄くなってきていたとしたら…十分に考えられますね。

全員が同じ髪型なら、ハゲているかハゲていないかでの優劣はつかないので、バカにされる事もないですし。

(以前にも紹介しましたが、ハゲる時は前髪と上からきます。横と後ろは残ります。要は月代スタイルってことですね。)

しかし結果的に、功を奏していきます。この月代という文化が、徳川家の繁栄を決定づけたと言っても過言ではありません。

たかが髪型と思われる方も多いとは思いますが、世界中見渡しても髪が「あるか」「ないか」は、とても重要な事なのです。

ヨーロッパでは、みんなカツラや王冠を被りました。南蛮人が被っていたような帽子もそうです。『頭を隠す』というところから、すべては始まっているのです。

 

トップに立つ権力者にとって最も重要となるのが、『印象』です。
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 こちらでも書きましたが、髪の毛がフサフサで剛毛な人の方が、薄い人に比べて説得力、信頼感、威厳が圧倒的に上がります。

現在、総理大臣の安倍晋三さんは歴代最長任期ですし、最高支持率のあった小泉純一郎元総理もとても髪がフサフサです。(モサモサ)

日本国民の多数派が深層心理で、どこか安心感のようなものを感じていたのかもしれません。

 

ということで、一度まとめます!

江戸時代の日本では、多数派を月代にすることで、威厳を保ち、髪の毛があろうが無かろうが、それが『普通』という常識の髪型を定着させたのではないかと思います。

1615年前後から月代にする習慣が一部ではじまって、徳川家光の政権が始まって秀忠が亡くなったあたりから、急激に月代にする男性が増えた!という事ですね。

あきらかにハゲ率が高まったのを見ると、何かしらの指示があったと考える方が自然な気がします。仮に月代にすることが流行っていたとしても、200年以上も続く「流行」が存在すると考える方が難しいので、何かしら意図を感じますね。

ハゲになる病なら面白いけど!(笑)

印象という観点で考えれば、男が大人になれば月代をするという「あたりまえ」の文化を作った事は、政治を動かす上で彼の行った最大の偉業だったのではないでしょうか。

 

1600年代後半を代表する画家、浮世絵師の祖と呼ばれる菱川師宣(ひしかわ もろのぶ1618〜1694)が描いた絵をご覧ください。

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菱川師宣の絵をたくさん見ましたが、ほとんどの男性は月代のスタイルになっています。1600年代半ばまでは、折髷に結っている人が多かったのですが、銀杏髷っぽい形になってきましたね!!

他には、こういったスタイルもありました。

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右が男性ですね。アップで!

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まるで女性のような髪形ですよね。髱(たぼ)が随分出てますね!前髪もポンパドールっぽくなっています。トップは若衆髷のように丸く剃っていますね。

実はこの髪形にしている人が、ちらほらいるんですよね〜。ほとんどは若者だと思うのですが、遊女と遊んでるチャラ男に多い髪型に見受けられます。(個人的な意見です)

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完全にR.Y.U.S.E.I.踊ってますね!(三代目J SOUL BROTHERS

1600年代後半は、月代や髷の過渡期を感じますね。

 

1700年代の代表的な画家、鈴木春信(すずき はるのぶ 1725〜1770)

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 1700年代になり月代の髷スタイルが定着しましたね!「THE 江戸時代」って感じの空気感ですね。

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この絵のタイトルが「若侍の身支度」です。やはりこの時期も若者は、この髷スタイルなんですね。1600年代とは変化し髱はなくなり、髷が上にシュッと上がり始めましたね。でも頭頂部は剃る!…とても教えてあげたいです。その髪型変だよ!

 

 1700年代後半は、巨匠こと葛飾北斎の絵を見てみましょう。この人本当に上手いですよね! 

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北斎の絵は、ほぼ全ての男性が月代に剃っています。剃った後の青い部分や生え際、髷の形まで細部に渡って細かく描かれています。

絵のことはあまり深くわかりませんが、彼の描く髪の毛、髪型は圧倒的に美しいです。毛先や髪の毛一本に想いを込めるこだわりが情熱が伝わります。

 

時は流れ、江戸時代後期1800年代になると、あきらかに月代にしない人がちらほら現れはじめました。徳川家の力も陰りが見え始めた時期でもありますよね。

人々は自由を求め始めたのです。

『個性』を主張したカリスマが、各地に現れ始めました。最初は些細な事だったのかもしれません。天地を揺るがす革命が起きたのです。

 

時は明治に変わり『散髪脱刀令』が出されます。やっと髪型の自由を手にしたのです!

(なぜ散髪令は出されたのか?について明治編で詳しく解説していきます!)

 

髪型や印象なんて、生きていく上では大した事ではないかもしれません。

しかし時代に名を刻み、時代を変えてきた人間は、圧倒的にカッコイイのです。

 

源頼朝が、どこにでもいる只の貧乏人なら北条政子は見向きもしなかったでしょう。

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信長が厳しいだけの男なら秀吉は憧れなかったでしょう。

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坂本龍馬に魅力がなければ誰も話を聞かなかったでしょう。

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せごどんが弱そうなら、誰も彼に命を捧げようとは思わなかったでしょう。

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髷の歴史が終わって、150年。
まだまだ最近なようで、随分昔のように感じます。

髪型も随分進化しました。男性も女性もみんな髪が長かったのです。

男性の髪型が短くなったのって、まだ150年って不思議なものですよね。

これからも進化を求め、先人の想いを受け継ぎ、日々精進しようと心から思いました。

 

大分長いブログ(3本分)になりましたが、どうしても書きたいことを全部詰め込んじゃいました!

すごく読み辛かったと思いますが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

このテーマで1年以上悩みに悩んで研究してきました。

個人的には、やり切った着地になったなぁと思っております。

改めて歴史を勉強し直して、新たに知ることもたくさんありました。また更に、日本史の魅力にどっぷり浸かれそうです。

髪型ブログは明治まで続きますが、ゴールが明確に見えてきたのは、とても嬉しいっす。

 

 

最後に、

このブログを書いている時、喉が渇いたので飲み物を買いに行ったら、目を疑いました…

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こんな物が売っていました!流石にビビりましたね…こ、こ、この紋所は…

「お前、俺の悪口書きすぎやろっ!」と家光の声が聞こえた気がしました(笑)

『 さーーーせんしたぁぁーーーーー!!』

でも、最後にもう一個だけバカにさせてくださいっ!!

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徳川家光の描いた「うさぎ」だそうです。
 …うん。なんか…なんとも言えない感じですね…

なんか怖いんだけれども、味があって上手くも見えてくる。

…いや、でも怖い。

 

良い時代でした!!

 

 

 

江戸時代 5 髷と月代の種類  

みなさんにとって日本の髪型の歴史上、一番最初に思い浮かぶ髪型はなんですか?

 

おそらく『丁髷(ちょんまげ)』!と思い浮かべた人は多いのではないでしょうか?

 

それほどまでに、とても有名で不思議な髪型ですよね!

もちろん現代でやっている人は、ほとんどいないでしょう。

 

f:id:camdentown2012:20190706162435j:plain芸人 お侍ちゃん

 

かつて、江戸時代に黒船が来日した時に、当時のアメリカ人は「頭にピストルをつけているぞっ!」と、とてもビックリされたのは、有名な話です。

まあ今考えても、あの髪型って相当クレイジーですよね…

もちろんあの髪型にしていた国は、世界広しと言えど日本だけです。

ということで、今回はちょんまげの種類についてご紹介していきますね!

種類!?と思われるかもしれませんが、実はいくつかのパターンがあるのです!

江戸時代も260年以上続きましたから、そりゃあ最初と幕末の方でも好みや流行も変わってきます。

 

まずはパーツの名前から、

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ほとんど女性の結い髪と同じ名前ですね!

しいて言えば、月代(さかやき)があるくらいですかね。よって前髪がないということですね。

 

以前にもご紹介しましたが、

camdentown2012.hatenablog.com

茶筅髷(ちゃせんまげ) 、折り髷(おりまげ)は、室町時代から江戸時代初期までされていました。

あえて剃って作る『月代(さかやき)』に関しては江戸時代に入ってからされるようになり、髷のあり方が大きく変わった時期でしたね。(これに関しては次回詳しく解説していきます。)

 

江戸時代に、よくされていた髷の種類は、職業などによっても随分変わってきました。

細かく分けると数十種類あると言われていますが、しっかり髷の『種類』として認定できるものは、実際は少なく感じます。

人それぞれ髪質やクセ、毛量、骨格によっても、同じ髪型であれ違ったものに見えてきますので、今回は分かりやすい種類をご紹介していきます。

 

一般的に思い浮かべる髷こと『銀杏髷(いちょうまげ)』は大きく分けて3種類くらいに分類されます。(年代によっても流行も変わってきます。)

 

1、大銀杏(おおいちょう)

現在のお相撲さんのような大きめの長めの髷

結った髷の先が大きなイチョウの葉に似ていたことからこの名前が決まったそうな。

武士や力士など、力強さや迫力をだしたい方にピッタリ!

f:id:camdentown2012:20190702164856j:plain確かに銀杏に似てる! 

力士 遠藤



小銀杏

商人や町人などが結っていたとされる小さめの髷

上の絵のような感じのオーソドックスなタイプの髷。人当たりのいい雰囲気で、接客業の方や女子ウケを狙う方にオススメ!

(実際に作ってみましたので下のほうの写真で解説します!)

 

本多髷(ほんだまげ)

月代部分を広めにとったり、変則的に剃ったりして作る髷。職人さんや武士等の「男らしさ」や「粋」を演出するのに最適!

f:id:camdentown2012:20190705171302j:plain歌川国芳

 

こちらは、江戸時代幕末時期くらいの実際の写真です。

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かなりガッと剃り込んでますね!ほぼ半分近くは無いですね。本多髷みたいで大銀杏な髷ですね。カッコよすぎ!!江戸っ子感がすごい!(実際は白黒写真ですが、カラーに加工しています。)

 

若衆髷

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 喜多川歌麿

子供の髪型をご紹介した時にも出てきましたが、江戸のティーンエイジャーに流行りのコレ!もはや上だけ剃るって変だよ!(笑)

 

ということで、いくつかの髷スタイルをご紹介してきましたが、意外とこの髷スタイルってバランスいいですよね!トップに髷がある事で、高さがでて、サイドは鬢(びん)の高さでボリュームが調整可能なため、その人の顔のバランスに合わせて作れそうです!なんか見れば見るほど、ちょっとカッコよく見えてきました!

 

よく髷のことを「丁髷(ちょんまげ)」といいますが、この丁髷の言われの由来は、年を召して、髪の毛が細くなり薄くなってくると髷が少ししか結うことができず『』(ちょん)という字に似ていたから老人の髷を揶揄するところから、「ちょんまげ」と呼ばれるようになったようです。

 

髷の形も人それぞれで、剃り方も好みによって変えたりしていたので、違いが分からないようでちょっと違う。なんだか個性というオシャレの美学を感じますね!

きっとこの時代も、髪型にこだわっている男子はモテたんでしょうね!基本的にみんな同じ髪型なので、丁寧にセットすれば美意識が高く見えます。

髪に無頓着な男子より清潔感ある男子は、いつの世もモテます!これにつきますね。

 

ということで、現代の美容師が本気で作ってみましたシリーズぅ!!(久々ッ!)

今回は、先ほどご紹介した『小銀杏』!まあ、ベーシックな髷ですね。

とりあえずご覧下さい!

 

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はい。スゲーーーーーー難しかったです!!作る前は「こんなん簡単でしょう!」と思っていましたが、なかなかバランスが難しいんですよね〜。

あとは、髷の長さの正解が分からなくなってきたり、月代の幅も難しかったですね〜…

もちろん今回も文明の利器に頼りまくって作り上げました。

いやぁ〜当時の髪結い師さん達には感服致します…素晴らしい!!

でも、ほんと楽しかったですわ!

髷ってのは、本当に奥深いですね〜。200年以上もされていた髪型なので、一朝一夕で語れるほど簡単でもないのですが、やっぱ変な髪型だよ!(笑)
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次回は、なぜあの髪型になったのか?いつから月代が始まったのか?について解説していきます!

今まで語られてこなかった月代の本当の真実に迫ります!

 

 

江戸時代 4 女性の髪型 1800年代

1800年代になり、随分ファッションも髪型も洗練されてきました。

女性の髪型というカテゴリーでいえば、歴史上最大の最盛期を迎えます。

後にも先にも、この100年が一番派手で美を追求していた時期だったのは間違いないでしょう。

1868年で江戸時代は、終わり迎えます。

革命が起きました。

その後、どのように時代や思想、そして髪型が変わっていくのか …

女達の激動の幕末を見ていきましょう!

 

 

1800年代初頭からの流行は、たくさんの髪型が数年単位で変わっていきました。

往年の愛されたスタイルは、ついに最終形態へと変化していき、洗練されたものへと変貌していきました。

とにかく「大きく」「派手」に演出された髪型をご覧下さい。

 

島田髷

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とにかく大きくなりました!

原型とは随分違いますが、現代の文金高島田の型に近づいた感じがします。

 

兵庫髷(横兵庫)

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横兵庫カッコイイですね!

いや〜、とにかくザックザクに刺さってます!(笑)

簪やら笄やら櫛やら…重くないんですかね!?いや…重いと思います。

ここまで派手になってくると、もはやガンダムにしか見えません!(V2アサルトバスターガンダム

映画やドラマでも花魁役の方は、この髪型が多いような気がします。

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JIN 中谷美紀さん

 

勝山髷

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勝山髷もだいぶ大きくなりましたね!

扇状にブワッと広がりを見せています。一番バランスの良い髪型ですね!

高いところに、大きく丸みをもってくるのは、「可愛らしさ」も演出できていますので、パーフェクトです!

合わせ鏡でチェックしてますねぇ〜。抜かりがないです!後ろの花?の飾りも素敵ですよぉ〜!

 

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こちらは喜多川歌磨呂の作品ですね。髪型からみると、亡くなる直前くらいの作品でしょうね。彼の作品はなんだかストーリーがあって、とても大好きです!

おそらく絵の女性のONとOFFを描いたんだろうなぁと思います。これから仕事なんですかね?なんかいろんな想像を掻き立てる、そんな一枚ですね!

 見事な勝山髷です!仕事中の前髪の赤いリボンがとてもかわいらしいですね〜!

 

 

他には、黒ひげ危機一発すぎるこちらの女性。

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やりすぎやろっ!!おそらく訳分かんなくなっちゃったんでしょうね…

右の隣にいる禿?実の子供?襟足をあんな状態で残すというエグめな髪型(笑)

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おそらく着物を着ているので女の子だと思うのですが、もはや虐待っ!

あんたら、ほんまにやりすぎやぞぉ!(笑)

 

 

前髪を切るのも流行っていたようです。

確かに顔周りにもアクセント付けたくなりますしね〜!

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注目すべきは、顔周りの短い毛ですね。 

最初は仕事終わりで、ほつれてるだけかなぁ〜なんて思っていましたが、絵画に描かれることがとても多いので、わざと短く切っているのでしょうね!
ここの部分を短く切る効果は、もちろん『小顔効果』です!!

現代でも当たり前のように作る部分ですね!

f:id:camdentown2012:20190701173053j:plain指原莉乃さん

頬骨付近を隠すことで、だいぶ顔がシャープに見えます。

現代でも、この部分を切るようになったのも、まだ10年前位からですので、もはや江戸時代は、既に先を行っていましたね!完全に負けました…

小顔へのこだわりは、平安時代の鬢削ぎから始まり、やっとここまでたどり着きました。

先人達の想いはちゃんと伝わってますよ。現代の女性はみな小顔になれました!(泣)

 

 

ということで、1800年代前期は種類も数え切れないほどありましたが、後期になるにつれ、ゴリゴリのボリュームもどんどん小さくなり、コンパクトな結い髪になっていきました。

まあ革命も起きて、久々の内戦状態になっていったので、みんな遊んでもいられませんしね。

華やかな時代から、世界基準の時代へと変わる、とてつもない1世紀でした。

 

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次回の女性の髪型は、幕末、明治のリアルな女性の髪型をご紹介していきますね。

このころから写真が登場します!絵ではわからない『空気感』を感じ取れると思います。

 

本当に美しいです。泣けてきます。

 

 

7月7日追記

大事な髪型を紹介するのを忘れていました…

最後のオチにしようと思っていたのですが、完全にうっかりしていました。

 

とてもファンキーな髪型にしている女性(女の子)もいました!

まずは、こちらの北斎の描いた絵をご覧下さい。

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ええ。この禿の女の子達ですね!

アップで見てみましょう!

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f:id:camdentown2012:20190707133808j:plain(画像が荒くてすみません!)

 かなり剃り込んでます!!攻めてる2ブロックスタイルですね!これくらいの歳の女の子がここまで剃り込んでるのは珍しいと思います。

もっと小さい子なら、女の子でも剃ってる子も多いのですが、通常これくらいの年齢(たぶん小6か中1くらい?)だと周りの毛も伸ばし始めてるはずが、ガッツリいってますね〜。1800年初期の流行りだったのかな?でもイケてるしカッコいいからいいよね!

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現代の2ブロック女子といえばこの人!やっぱ夏木マリはかっこいい!!

 

 

 

 

江戸時代 3 子供の髪型

江戸時代以前は、絵画に子供が登場する機会は少なかったのですが、浮世絵や版画などのカルチャーの発展に伴って画家が急速に増えた気がします。

描く物も多様化していき、一般の生活も描かれることが多くなりました。

 

驚くべきは、この時代の子供達の髪型です…

何だかもう…自由すぎちゃって…

とりあえず、現代にこの時代の髪型している子供は、そうそういないでしょうね!

 

まずは、よ〜くご覧下さい!

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なんかすごいですよね!

主に江戸時代は、ずっと「大五郎カット」みたいな感じが続きます。

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現代の大五郎といえばこの人(神)ロナウド

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よ〜く見ると子供達もそれぞれ違った髪型してますよね!

ほんと、この当時の親の発想が本当にすごい!

みんな思い思いにデザインしちゃってますよね〜。

僕も親なので本当に気持ちがよくわかります。かわいい息子を変な髪型にしてやりたい!いろいろ実験してみたい!

なんだか驚かせたくて、どんどんエスカレートしちゃいますよね〜(笑)

 

では、アップで見てみましょう。

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左の子 前髪の部分をちょびっとだけ残して結び、頭頂部も丸く残して結んでますね。

概ねこのスタイルをしている子が多い感じがしますね!地域差もあったでしょうが、きっと流行りの髪型だったのでしょうね!

 

右の子は、完全に剃っていますね。面倒だし手取り早かったんですかね!

現代の丸坊主の走りでしょうね。

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左の子は、上の絵と一緒で、流行に完全に乗っちゃってますね!

 

右の子のスタイルも比較的多いスタイルな感じがします!

前髪と頭頂部の間を楕円状に剃って、頭頂部から後ろの髪をを伸ばして、頭頂部のみを結んでいます。後ろだけボブになっている感じですね。

前髪は、かなり短めに切り込みパッツンになっているんでしょうね。

もみあげは、シュッとさせているのでこだわりを感じます。

たまに時代劇にもこんな髪型の青年出てきたりしますし、よく見るスタイルですね。

 

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一番左の子は、結構攻めた髪型していますね。

もみあげからサイド付近をひし形状に残して、その髪を両サイドむすんでいます。あとは全部剃り上げていますので、横だけ残すという全く意味のわからないツインテールになっていますね。新しすぎる…古いんだけど新しい…

 

右下の子は、流行りのスタイルなんだけれども、頭頂部の部分が、もはやアートですね。通常の形に、さらに輪っかがかかっているような高度な作品になっています。

 

後ろの中学2年位の子に、おんぶしている赤ちゃんがいますが、まだ髪の毛が生えていない赤ちゃんではなく、実は全部剃っているんです。

以前も紹介しましたが、綺麗な髪が生えるように願掛けをして、うぶ毛は全部剃るという習わしなんですね〜。地域差もあるとは思いますが、だいたい3歳位まではツルツルだったそうです。(女の子も)

 

いや〜、不思議すぎる!江戸時代面白すぎますね。

親同士のヘアーデザインバトル!僕も参戦したかったです。

いつの時代も親バカで、子供ってのはそれほどまでにかわいいんですよね。

心から我が子への愛を感じますね。

 

最後に、ちょうど子供の髪の毛を剃っている絵画です。

なかなかこの瞬間の絵は珍しいと思います。

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 下には、ハサミや結ぶ紐、櫛もありますね。

さっきの前髪と頭頂部の間を剃っているスタイルを作る途中の風景ですね。

f:id:camdentown2012:20190629195706j:plain完成予想図こんな感じ。

 

子供の変な髪型を競い合う。そんな世の中も意外と悪くないですよね。

 少なくとも今よりは、笑顔の多い社会だったんだろうなぁ

 

攻めなきゃダメだよな!