世界の髪型美術館〜髪型の歴史〜

いままで語られてこなかった日本史と世界史の『髪型』を徹底的に解説、考察していきます!

江戸時代 6 髷と月代の系譜

ついにきました髷の系譜!(ここまで引っ張っちゃってすいません。)

縄文時代から始まり、やっとここまでたどり着きました…長かった。

もはや、このテーマを書きたいがために、これまで書いてきました…(泣)

これまでのすべてを「伏線」と言っても過言ではありません。(笑)

『月代(さかやき)』とは、何なのかを徹底的に解説していきます!!

(月代とは、あえて剃って作った髷スタイルのことを指します。)

 

 まず、現在まで言われている『月代』にした始まりと理由をお伝えしていきます。

 以前ブログでも書きましたが、鎌倉時代から始まったとする説があります。

ですが、お坊さんが剃る事はあっても、武士や一般人がわざわざ剃ることは、まずありえないでしょうね。 

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 いつから剃るようになったかという点については、これは間違い無く『江戸時代』からです。後ほど時系列を追って解説していきます。

 

月代にし始めた理由については、戦で兜を被った時に、頭が蒸れて痒くなってしまうからという理由だそうです。

…う〜ん。なんかしっくりきませんよね〜(笑)

だったら剃らずとも短く切ればいいんじゃねぇ!?ってツッコミたくなりますよね!

そもそも江戸時代、戦らしい戦はないんです!(幕末くらいでしょうね。)しかも武士でもない町人や若者でさえもやってるし…

 

あと私事ですが、小学生の頃から剣道をやっていましたが、面を被って竹刀で打たれた時の衝撃が、髪が伸びきっているか、スポーツ刈りでカリカリに短いかでも、大分変わります。

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むしろ剃ったりなんかしたら尚の事、兜が滑ってズレそうですし、人と人がぶつかり合う中で、ちょっとでもショック吸収できたほうが、もはや有利にすら感じます。命のやり取りをするギリギリの中で、頭が痒いっていう事がそこまで重要なのかは、甚だ疑問ですね。

頭の部位でいうと、襟足部分が髪の毛が一番密集していますので、痒くなりやすく、熱もこもりやすい場所なので、わざわざ剃るならもはやこっちでしょうしね…

f:id:camdentown2012:20190708115548j:plain鎧かっこいいですね!

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(見えづらくてすいません!いい写真撮れ次第差し替えます。↑後ろからアップで。)

中の方を見ると、頭を固定するような木製?の輪っかのような物がありますね。これでズレづらくしていたのでしょうが、頭皮に直に当たり続けたら痒いどころか痛そう…

ということで、現状考えられている、戦によってわざと月代にしていたという可能性は極めて低いんじゃないかと思われます。

 

では、いつから何のために月代にしたのかを分析していきましょう。

以前のブログでちょいちょい触れてはきましたが、織田信長のようにバリバリの戦国武将でも髪ありましたし、こちらの記事でもご紹介した1574年時点では、まだ月代をやっているようには見えませんね。

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 1615年に作成された「洛中洛外図屏風 舟木本」岩佐又兵衛筆 

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京都を描いた作品です。2500人もの人々が描かれています。今回も全員チェックしましたが、この年代もまだ月代にしている人は、ほとんど見当たりませんでした。

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一応それっぽい人を一人だけ見つけました!本当に微妙ですが…(ウォーリーを探せ!状態です。)

ちなみに若衆髷は、ちらほらいました!

下の方に、美容院(髪結床)がありましたね!こんなちっちゃい場所でやっていたなんてとても涙ぐましいです…

「先輩ッ!未来の僕ら、もう少し大きい所で仕事できるようになりましたよっ!(泣)」

いやぁ〜礎の上に立たせてもらってますね。

でも、意外だったのが、男性が女性の髪を結うんだなぁ〜と。1700〜1800年代なんかは、女性は女性、男性は男性の髪を結う絵しか見た事ありませんでした。

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 南蛮人らしき人も見つけました!

 

あとは、こんな絵もあります!

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支倉常長(はせくら つねなが)が、ローマ教皇に謁見しに行った時に、現地の画家が描いた銅版画です。

右下に小さく『1615』と書いてありますので1615年?に作成された物のようです。完全に月代になっていますね!月代部分の毛が少し伸びてきているのがわかります。後ろは髷というよりかは、折り髷に結っているだけに見えます。

下2つも支倉常長です。

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この絵の髪型は微妙ですね〜。普通にトップが長そうにも見えます。

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こちらも1615年頃に、描かれたとされる支倉常長です。(日本人初の油絵で描かれた絵画)こちらは月代にはなっていませんね。上の絵により雰囲気が近い感じがします。

こちらも後ろで折り髷にしているだけのように見えます。はい…とても迷宮入りしそうな案件になってきました(笑)

描かれた時期が、どれが先かはわかりませんが、西暦らしき数字の書かれている上の絵のほうが古そうにはみえます。

当時の日本の年号と西暦の誤差は、数年あるらしいので、正確に割り出すには難しそうですが、1615年前後くらいには『月代スタイル』があった可能性があると見てよさそうです。しかし全員がやっているわけではなく、ごくわずかの一部の人が剃り始めた時期ということですね。

 南蛮屏風 狩野内膳 1600年初頭

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こちらの屏風は、厳密な時期は不明ですが、月代か?若衆髷らしき髷の人も描かれています。

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ちなみにこの黒装束は、イエズス会の人たち。

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この緑や色とりどりの派手な方々がフランシスコ会御一行です。やはりトンスラの人たちもいますね。でもこの服装をみると上部の方で紹介した洛中洛外の絵に映る南蛮人フランシスコ会の人でしょうね。

 

江戸屏風図 1632年前後製作(おそらく徳川秀忠が亡くなって以降じゃないかな?)

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この屏風は、3代将軍 徳川家光を讃えるために製作された屏風と言われています。(当時の江戸が描かれた数少ない作品だそうです。)

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この屏風に描かれた人々も全て確認しました…

な、なんと!9割以上の男性が月代スタイルになっているのです!!

何千人と描かれた中で前髪がありそうな男性は、もはや10人くらいしかいないのです!
一体この約10年で何が起きた!??な、な、ななんでハゲばっかりになってしまったんだぁ!!

 

はい。完全に髪型の歴史のターニングポイントです。

この屏風に描かれている人達が、おじさんやおじいちゃんばかりという訳でもなく、江戸でハゲになる病が流行ったわけでもありません。
断言します!!みんなあえてこの『髪型』にしたのです!

イケてる流行に乗りたくてやったわけでもありません。

鎌倉時代でも現代でもハゲているというのは恥ずかしい事なのです。

いつの時代もみんな髪が薄くなるのをを気にしていて生きてきたのです。

では、なぜ自らハゲて見えるスタイルにする必要があったのか…

それは、『しなければいけなかったから』なのです。

 命令だったのではないでしょうか?

 

という事で、この1620年代〜1640年代くらいの間に何かがあったという事になります。この後、約200年続く髪型が、この20〜30年の間に起こりました。

誰が何のため指示したのかを紐解いていきます。

 

もちろんほとんどの男性の髪型を変える事を指示出来る人物っていうのも限られてきますよね?パッと思い浮かぶのは天皇か徳川か…

当時の政治や権力の実権は、ほとんど徳川家が握っていたのをみると、天皇家ではなさそうです。

となれば、将軍徳川秀忠から徳川家光に移り変わった時期でもあり、どちらかが指示した事になりますね。(是非、秀忠と家光ウィキペディアで調べてみてください!)

この時期は、髪型だけではなく大きく情勢も変わりました。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

私の独断と偏見の解釈になってしまいますが、秀忠は保守的で真面目な人物のイメージがあります。1612年に禁教令を出してはいますが、仲の良かった武将もキリスト教であったことから、さほど圧力は厳しくなかったように思います。情にあつかったのかなぁ〜。

それに対して家光は、次々と新しい政策を打ち出し、武力をもって独裁的に政策を進めていきました。島原の乱に始まり、徹底的にキリシタンを排除し虐殺していった背景をみると、相当自己主張強めな男かなと思われます。

秀吉や家康、秀忠でさえもキリスト教を黙認していただけに、かなり嫌っていたようですね。家光については、詳しく調べるとたくさん面白い事がわかります!(是非検索してみてください!)

有名な話ですが、家光は同性愛者であり秀忠亡き後は、二元政策はなくなり、近しい家臣達は自分の好みの男性達に一掃したそうです。暴走状態に近かかったのかな…

それまでにいた家臣達や、それ以外の大名からも不満の声は多数でたのは言うまでもないでしょう。嫌な上司やなぁ〜!

ちなみに、カトリックは同性愛は禁止です。当時全国で50万人以上がキリスト教徒でした。(江戸の人口100万人)これの意味する事は、ご想像にお任せします。

 後に、『寛永の大飢饉』などもあり、武断政治の影響が大分でたんじゃないかとの見方も強いようですね。

結構ガタガタっと徳川政権きたみたいですが、四代将軍家綱がんばったね〜。なんとか持ち直したそうです! 

という事で、「髪を剃れ!」なんて言いそうなのは家光かなぁ〜。(笑)

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キリスト教の大虐殺や鎖国政策などから考えられる事は、とても「革命」を恐れていたんだろうなぁと思われます。

自身の地位を守りたかったのでしょうし、自分以外の人間が崇拝や尊敬されるのも許せなかったのかもしれませんね。まあ自己顕示欲の塊だったんでしょうね!

容姿に対しても結構コンプレックスあったようなので、仮に若くして髪が薄くなってきていたとしたら…十分に考えられますね。

全員が同じ髪型なら、ハゲているかハゲていないかでの優劣はつかないので、バカにされる事もないですし。

(以前にも紹介しましたが、ハゲる時は前髪と上からきます。横と後ろは残ります。要は月代スタイルってことですね。)

しかし結果的に、功を奏していきます。この月代という文化が、徳川家の繁栄を決定づけたと言っても過言ではありません。

たかが髪型と思われる方も多いとは思いますが、世界中見渡しても髪が「あるか」「ないか」は、とても重要な事なのです。

ヨーロッパでは、みんなカツラや王冠を被りました。南蛮人が被っていたような帽子もそうです。『頭を隠す』というところから、すべては始まっているのです。

 

トップに立つ権力者にとって最も重要となるのが、『印象』です。
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 こちらでも書きましたが、髪の毛がフサフサで剛毛な人の方が、薄い人に比べて説得力、信頼感、威厳が圧倒的に上がります。

現在、総理大臣の安倍晋三さんは歴代最長任期ですし、最高支持率のあった小泉純一郎元総理もとても髪がフサフサです。(モサモサ)

日本国民の多数派が深層心理で、どこか安心感のようなものを感じていたのかもしれません。

 

ということで、一度まとめます!

江戸時代の日本では、多数派を月代にすることで、威厳を保ち、髪の毛があろうが無かろうが、それが『普通』という常識の髪型を定着させたのではないかと思います。

1615年前後から月代にする習慣が一部ではじまって、徳川家光の政権が始まって秀忠が亡くなったあたりから、急激に月代にする男性が増えた!という事ですね。

あきらかにハゲ率が高まったのを見ると、何かしらの指示があったと考える方が自然な気がします。仮に月代にすることが流行っていたとしても、200年以上も続く「流行」が存在すると考える方が難しいので、何かしら意図を感じますね。

ハゲになる病なら面白いけど!(笑)

印象という観点で考えれば、男が大人になれば月代をするという「あたりまえ」の文化を作った事は、政治を動かす上で彼の行った最大の偉業だったのではないでしょうか。

 

1600年代後半を代表する画家、浮世絵師の祖と呼ばれる菱川師宣(ひしかわ もろのぶ1618〜1694)が描いた絵をご覧ください。

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菱川師宣の絵をたくさん見ましたが、ほとんどの男性は月代のスタイルになっています。1600年代半ばまでは、折髷に結っている人が多かったのですが、銀杏髷っぽい形になってきましたね!!

他には、こういったスタイルもありました。

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右が男性ですね。アップで!

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まるで女性のような髪形ですよね。髱(たぼ)が随分出てますね!前髪もポンパドールっぽくなっています。トップは若衆髷のように丸く剃っていますね。

実はこの髪形にしている人が、ちらほらいるんですよね〜。ほとんどは若者だと思うのですが、遊女と遊んでるチャラ男に多い髪型に見受けられます。(個人的な意見です)

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完全にR.Y.U.S.E.I.踊ってますね!(三代目J SOUL BROTHERS

1600年代後半は、月代や髷の過渡期を感じますね。

 

1700年代の代表的な画家、鈴木春信(すずき はるのぶ 1725〜1770)

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 1700年代になり月代の髷スタイルが定着しましたね!「THE 江戸時代」って感じの空気感ですね。

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この絵のタイトルが「若侍の身支度」です。やはりこの時期も若者は、この髷スタイルなんですね。1600年代とは変化し髱はなくなり、髷が上にシュッと上がり始めましたね。でも頭頂部は剃る!…とても教えてあげたいです。その髪型変だよ!

 

 1700年代後半は、巨匠こと葛飾北斎の絵を見てみましょう。この人本当に上手いですよね! 

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北斎の絵は、ほぼ全ての男性が月代に剃っています。剃った後の青い部分や生え際、髷の形まで細部に渡って細かく描かれています。

絵のことはあまり深くわかりませんが、彼の描く髪の毛、髪型は圧倒的に美しいです。毛先や髪の毛一本に想いを込めるこだわりが情熱が伝わります。

 

時は流れ、江戸時代後期1800年代になると、あきらかに月代にしない人がちらほら現れはじめました。徳川家の力も陰りが見え始めた時期でもありますよね。

人々は自由を求め始めたのです。

『個性』を主張したカリスマが、各地に現れ始めました。最初は些細な事だったのかもしれません。天地を揺るがす革命が起きたのです。

 

時は明治に変わり『散髪脱刀令』が出されます。やっと髪型の自由を手にしたのです!

(なぜ散髪令は出されたのか?について明治編で詳しく解説していきます!)

 

髪型や印象なんて、生きていく上では大した事ではないかもしれません。

しかし時代に名を刻み、時代を変えてきた人間は、圧倒的にカッコイイのです。

 

源頼朝が、どこにでもいる只の貧乏人なら北条政子は見向きもしなかったでしょう。

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信長が厳しいだけの男なら秀吉は憧れなかったでしょう。

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坂本龍馬に魅力がなければ誰も話を聞かなかったでしょう。

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せごどんが弱そうなら、誰も彼に命を捧げようとは思わなかったでしょう。

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髷の歴史が終わって、150年。
まだまだ最近なようで、随分昔のように感じます。

髪型も随分進化しました。男性も女性もみんな髪が長かったのです。

男性の髪型が短くなったのって、まだ150年って不思議なものですよね。

これからも進化を求め、先人の想いを受け継ぎ、日々精進しようと心から思いました。

 

大分長いブログ(3本分)になりましたが、どうしても書きたいことを全部詰め込んじゃいました!

すごく読み辛かったと思いますが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

このテーマで1年以上悩みに悩んで研究してきました。

個人的には、やり切った着地になったなぁと思っております。

改めて歴史を勉強し直して、新たに知ることもたくさんありました。また更に、日本史の魅力にどっぷり浸かれそうです。

髪型ブログは明治まで続きますが、ゴールが明確に見えてきたのは、とても嬉しいっす。

 

 

最後に、

このブログを書いている時、喉が渇いたので飲み物を買いに行ったら、目を疑いました…

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こんな物が売っていました!流石にビビりましたね…こ、こ、この紋所は…

「お前、俺の悪口書きすぎやろっ!」と家光の声が聞こえた気がしました(笑)

『 さーーーせんしたぁぁーーーーー!!』

でも、最後にもう一個だけバカにさせてくださいっ!!

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徳川家光の描いた「うさぎ」だそうです。
 …うん。なんか…なんとも言えない感じですね…

なんか怖いんだけれども、味があって上手くも見えてくる。

…いや、でも怖い。

 

良い時代でした!!

 

 

 

江戸時代 5 髷と月代の種類  

みなさんにとって日本の髪型の歴史上、一番最初に思い浮かぶ髪型はなんですか?

 

おそらく『丁髷(ちょんまげ)』!と思い浮かべた人は多いのではないでしょうか?

 

それほどまでに、とても有名で不思議な髪型ですよね!

もちろん現代でやっている人は、ほとんどいないでしょう。

 

f:id:camdentown2012:20190706162435j:plain芸人 お侍ちゃん

 

かつて、江戸時代に黒船が来日した時に、当時のアメリカ人は「頭にピストルをつけているぞっ!」と、とてもビックリされたのは、有名な話です。

まあ今考えても、あの髪型って相当クレイジーですよね…

もちろんあの髪型にしていた国は、世界広しと言えど日本だけです。

ということで、今回はちょんまげの種類についてご紹介していきますね!

種類!?と思われるかもしれませんが、実はいくつかのパターンがあるのです!

江戸時代も260年以上続きましたから、そりゃあ最初と幕末の方でも好みや流行も変わってきます。

 

まずはパーツの名前から、

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ほとんど女性の結い髪と同じ名前ですね!

しいて言えば、月代(さかやき)があるくらいですかね。よって前髪がないということですね。

 

以前にもご紹介しましたが、

camdentown2012.hatenablog.com

茶筅髷(ちゃせんまげ) 、折り髷(おりまげ)は、室町時代から江戸時代初期までされていました。

あえて剃って作る『月代(さかやき)』に関しては江戸時代に入ってからされるようになり、髷のあり方が大きく変わった時期でしたね。(これに関しては次回詳しく解説していきます。)

 

江戸時代に、よくされていた髷の種類は、職業などによっても随分変わってきました。

細かく分けると数十種類あると言われていますが、しっかり髷の『種類』として認定できるものは、実際は少なく感じます。

人それぞれ髪質やクセ、毛量、骨格によっても、同じ髪型であれ違ったものに見えてきますので、今回は分かりやすい種類をご紹介していきます。

 

一般的に思い浮かべる髷こと『銀杏髷(いちょうまげ)』は大きく分けて3種類くらいに分類されます。(年代によっても流行も変わってきます。)

 

1、大銀杏(おおいちょう)

現在のお相撲さんのような大きめの長めの髷

結った髷の先が大きなイチョウの葉に似ていたことからこの名前が決まったそうな。

武士や力士など、力強さや迫力をだしたい方にピッタリ!

f:id:camdentown2012:20190702164856j:plain確かに銀杏に似てる! 

力士 遠藤



小銀杏

商人や町人などが結っていたとされる小さめの髷

上の絵のような感じのオーソドックスなタイプの髷。人当たりのいい雰囲気で、接客業の方や女子ウケを狙う方にオススメ!

(実際に作ってみましたので下のほうの写真で解説します!)

 

本多髷(ほんだまげ)

月代部分を広めにとったり、変則的に剃ったりして作る髷。職人さんや武士等の「男らしさ」や「粋」を演出するのに最適!

f:id:camdentown2012:20190705171302j:plain歌川国芳

 

こちらは、江戸時代幕末時期くらいの実際の写真です。

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かなりガッと剃り込んでますね!ほぼ半分近くは無いですね。本多髷みたいで大銀杏な髷ですね。カッコよすぎ!!江戸っ子感がすごい!(実際は白黒写真ですが、カラーに加工しています。)

 

若衆髷

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 喜多川歌麿

子供の髪型をご紹介した時にも出てきましたが、江戸のティーンエイジャーに流行りのコレ!もはや上だけ剃るって変だよ!(笑)

 

ということで、いくつかの髷スタイルをご紹介してきましたが、意外とこの髷スタイルってバランスいいですよね!トップに髷がある事で、高さがでて、サイドは鬢(びん)の高さでボリュームが調整可能なため、その人の顔のバランスに合わせて作れそうです!なんか見れば見るほど、ちょっとカッコよく見えてきました!

 

よく髷のことを「丁髷(ちょんまげ)」といいますが、この丁髷の言われの由来は、年を召して、髪の毛が細くなり薄くなってくると髷が少ししか結うことができず『』(ちょん)という字に似ていたから老人の髷を揶揄するところから、「ちょんまげ」と呼ばれるようになったようです。

 

髷の形も人それぞれで、剃り方も好みによって変えたりしていたので、違いが分からないようでちょっと違う。なんだか個性というオシャレの美学を感じますね!

きっとこの時代も、髪型にこだわっている男子はモテたんでしょうね!基本的にみんな同じ髪型なので、丁寧にセットすれば美意識が高く見えます。

髪に無頓着な男子より清潔感ある男子は、いつの世もモテます!これにつきますね。

 

ということで、現代の美容師が本気で作ってみましたシリーズぅ!!(久々ッ!)

今回は、先ほどご紹介した『小銀杏』!まあ、ベーシックな髷ですね。

とりあえずご覧下さい!

 

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はい。スゲーーーーーー難しかったです!!作る前は「こんなん簡単でしょう!」と思っていましたが、なかなかバランスが難しいんですよね〜。

あとは、髷の長さの正解が分からなくなってきたり、月代の幅も難しかったですね〜…

もちろん今回も文明の利器に頼りまくって作り上げました。

いやぁ〜当時の髪結い師さん達には感服致します…素晴らしい!!

でも、ほんと楽しかったですわ!

髷ってのは、本当に奥深いですね〜。200年以上もされていた髪型なので、一朝一夕で語れるほど簡単でもないのですが、やっぱ変な髪型だよ!(笑)
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次回は、なぜあの髪型になったのか?いつから月代が始まったのか?について解説していきます!

今まで語られてこなかった月代の本当の真実に迫ります!

 

 

江戸時代 4 女性の髪型 1800年代

1800年代になり、随分ファッションも髪型も洗練されてきました。

女性の髪型というカテゴリーでいえば、歴史上最大の最盛期を迎えます。

後にも先にも、この100年が一番派手で美を追求していた時期だったのは間違いないでしょう。

1868年で江戸時代は、終わり迎えます。

革命が起きました。

その後、どのように時代や思想、そして髪型が変わっていくのか …

女達の激動の幕末を見ていきましょう!

 

 

1800年代初頭からの流行は、たくさんの髪型が数年単位で変わっていきました。

往年の愛されたスタイルは、ついに最終形態へと変化していき、洗練されたものへと変貌していきました。

とにかく「大きく」「派手」に演出された髪型をご覧下さい。

 

島田髷

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とにかく大きくなりました!

原型とは随分違いますが、現代の文金高島田の型に近づいた感じがします。

 

兵庫髷(横兵庫)

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横兵庫カッコイイですね!

いや〜、とにかくザックザクに刺さってます!(笑)

簪やら笄やら櫛やら…重くないんですかね!?いや…重いと思います。

ここまで派手になってくると、もはやガンダムにしか見えません!(V2アサルトバスターガンダム

映画やドラマでも花魁役の方は、この髪型が多いような気がします。

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JIN 中谷美紀さん

 

勝山髷

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勝山髷もだいぶ大きくなりましたね!

扇状にブワッと広がりを見せています。一番バランスの良い髪型ですね!

高いところに、大きく丸みをもってくるのは、「可愛らしさ」も演出できていますので、パーフェクトです!

合わせ鏡でチェックしてますねぇ〜。抜かりがないです!後ろの花?の飾りも素敵ですよぉ〜!

 

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こちらは喜多川歌磨呂の作品ですね。髪型からみると、亡くなる直前くらいの作品でしょうね。彼の作品はなんだかストーリーがあって、とても大好きです!

おそらく絵の女性のONとOFFを描いたんだろうなぁと思います。これから仕事なんですかね?なんかいろんな想像を掻き立てる、そんな一枚ですね!

 見事な勝山髷です!仕事中の前髪の赤いリボンがとてもかわいらしいですね〜!

 

 

他には、黒ひげ危機一発すぎるこちらの女性。

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やりすぎやろっ!!おそらく訳分かんなくなっちゃったんでしょうね…

右の隣にいる禿?実の子供?襟足をあんな状態で残すというエグめな髪型(笑)

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おそらく着物を着ているので女の子だと思うのですが、もはや虐待っ!

あんたら、ほんまにやりすぎやぞぉ!(笑)

 

 

前髪を切るのも流行っていたようです。

確かに顔周りにもアクセント付けたくなりますしね〜!

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注目すべきは、顔周りの短い毛ですね。 

最初は仕事終わりで、ほつれてるだけかなぁ〜なんて思っていましたが、絵画に描かれることがとても多いので、わざと短く切っているのでしょうね!
ここの部分を短く切る効果は、もちろん『小顔効果』です!!

現代でも当たり前のように作る部分ですね!

f:id:camdentown2012:20190701173053j:plain指原莉乃さん

頬骨付近を隠すことで、だいぶ顔がシャープに見えます。

現代でも、この部分を切るようになったのも、まだ10年前位からですので、もはや江戸時代は、既に先を行っていましたね!完全に負けました…

小顔へのこだわりは、平安時代の鬢削ぎから始まり、やっとここまでたどり着きました。

先人達の想いはちゃんと伝わってますよ。現代の女性はみな小顔になれました!(泣)

 

 

ということで、1800年代前期は種類も数え切れないほどありましたが、後期になるにつれ、ゴリゴリのボリュームもどんどん小さくなり、コンパクトな結い髪になっていきました。

まあ革命も起きて、久々の内戦状態になっていったので、みんな遊んでもいられませんしね。

華やかな時代から、世界基準の時代へと変わる、とてつもない1世紀でした。

 

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次回の女性の髪型は、幕末、明治のリアルな女性の髪型をご紹介していきますね。

このころから写真が登場します!絵ではわからない『空気感』を感じ取れると思います。

 

本当に美しいです。泣けてきます。

 

 

7月7日追記

大事な髪型を紹介するのを忘れていました…

最後のオチにしようと思っていたのですが、完全にうっかりしていました。

 

とてもファンキーな髪型にしている女性(女の子)もいました!

まずは、こちらの北斎の描いた絵をご覧下さい。

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ええ。この禿の女の子達ですね!

アップで見てみましょう!

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f:id:camdentown2012:20190707133808j:plain(画像が荒くてすみません!)

 かなり剃り込んでます!!攻めてる2ブロックスタイルですね!これくらいの歳の女の子がここまで剃り込んでるのは珍しいと思います。

もっと小さい子なら、女の子でも剃ってる子も多いのですが、通常これくらいの年齢(たぶん小6か中1くらい?)だと周りの毛も伸ばし始めてるはずが、ガッツリいってますね〜。1800年初期の流行りだったのかな?でもイケてるしカッコいいからいいよね!

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現代の2ブロック女子といえばこの人!やっぱ夏木マリはかっこいい!!

 

 

 

 

江戸時代 3 子供の髪型

江戸時代以前は、絵画に子供が登場する機会は少なかったのですが、浮世絵や版画などのカルチャーの発展に伴って画家が急速に増えた気がします。

描く物も多様化していき、一般の生活も描かれることが多くなりました。

 

驚くべきは、この時代の子供達の髪型です…

何だかもう…自由すぎちゃって…

とりあえず、現代にこの時代の髪型している子供は、そうそういないでしょうね!

 

まずは、よ〜くご覧下さい!

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なんかすごいですよね!

主に江戸時代は、ずっと「大五郎カット」みたいな感じが続きます。

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現代の大五郎といえばこの人(神)ロナウド

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よ〜く見ると子供達もそれぞれ違った髪型してますよね!

ほんと、この当時の親の発想が本当にすごい!

みんな思い思いにデザインしちゃってますよね〜。

僕も親なので本当に気持ちがよくわかります。かわいい息子を変な髪型にしてやりたい!いろいろ実験してみたい!

なんだか驚かせたくて、どんどんエスカレートしちゃいますよね〜(笑)

 

では、アップで見てみましょう。

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左の子 前髪の部分をちょびっとだけ残して結び、頭頂部も丸く残して結んでますね。

概ねこのスタイルをしている子が多い感じがしますね!地域差もあったでしょうが、きっと流行りの髪型だったのでしょうね!

 

右の子は、完全に剃っていますね。面倒だし手取り早かったんですかね!

現代の丸坊主の走りでしょうね。

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左の子は、上の絵と一緒で、流行に完全に乗っちゃってますね!

 

右の子のスタイルも比較的多いスタイルな感じがします!

前髪と頭頂部の間を楕円状に剃って、頭頂部から後ろの髪をを伸ばして、頭頂部のみを結んでいます。後ろだけボブになっている感じですね。

前髪は、かなり短めに切り込みパッツンになっているんでしょうね。

もみあげは、シュッとさせているのでこだわりを感じます。

たまに時代劇にもこんな髪型の青年出てきたりしますし、よく見るスタイルですね。

 

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一番左の子は、結構攻めた髪型していますね。

もみあげからサイド付近をひし形状に残して、その髪を両サイドむすんでいます。あとは全部剃り上げていますので、横だけ残すという全く意味のわからないツインテールになっていますね。新しすぎる…古いんだけど新しい…

 

右下の子は、流行りのスタイルなんだけれども、頭頂部の部分が、もはやアートですね。通常の形に、さらに輪っかがかかっているような高度な作品になっています。

 

後ろの中学2年位の子に、おんぶしている赤ちゃんがいますが、まだ髪の毛が生えていない赤ちゃんではなく、実は全部剃っているんです。

以前も紹介しましたが、綺麗な髪が生えるように願掛けをして、うぶ毛は全部剃るという習わしなんですね〜。地域差もあるとは思いますが、だいたい3歳位まではツルツルだったそうです。(女の子も)

 

いや〜、不思議すぎる!江戸時代面白すぎますね。

親同士のヘアーデザインバトル!僕も参戦したかったです。

いつの時代も親バカで、子供ってのはそれほどまでにかわいいんですよね。

心から我が子への愛を感じますね。

 

最後に、ちょうど子供の髪の毛を剃っている絵画です。

なかなかこの瞬間の絵は珍しいと思います。

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 下には、ハサミや結ぶ紐、櫛もありますね。

さっきの前髪と頭頂部の間を剃っているスタイルを作る途中の風景ですね。

f:id:camdentown2012:20190629195706j:plain完成予想図こんな感じ。

 

子供の変な髪型を競い合う。そんな世の中も意外と悪くないですよね。

 少なくとも今よりは、笑顔の多い社会だったんだろうなぁ

 

攻めなきゃダメだよな!

 

 

江戸時代 2 女性の髪型 1700年代

今回は、1700年代に流行ったであろう髪型を見ていきたいと思います!

 

下の絵は1700年代初頭〜中期の作品になります。

遊女の髪型を見てみると、「垂髪」や「勝山髷」、「笄髷」などが主流になっていますね。

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遊女には、『禿(かむろ)』と呼ばれる遊女見習いの少女が何人か付きます。

身の回りの世話だったり、まあお手伝いさんみたいなものですね。

たくさん従えていればいるほど売れっ子の証でした!

禿さん姫カットですね!

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琴の練習でしょうか。やはりこの時代も教養のある女性は売れっ子でありモテます!

 

はい!ここで何か髪型で気になる事はありませんでしたか?

 

えぇ。そうなんです!

ココなんですよ!

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この分け目?筋?的なこれは一体なんなんだろうか!?

この時代に描かれた遊女の絵画にとても多いんですよね〜。

おそらくこの時代に流行ったスタイル(おしゃれ)である事は間違いないんでしょうが、なんなのかちょっとわからないですね…

 

現状考えれ得るいくつかの考察をあげておきます。

 

1、髪型を強調させるための作画技法

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2、オシャレでラインを入れている。

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信長もやってた例のアレ。

 

3、白髪を上手に残している。

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近藤サトさん

いや、いやさすがに白髪を活かすのは、難易度が高すぎるな…

 

4、ハイライトをしている。(カラーをしている。)

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筋のハイライト!当時からギャル文化は存在した説。

いや〜…ほんと謎です。個人的には何かしらの着色または、染めているんじゃないかな〜と思うんですけどね〜。

筋の部分も各々、不規則に入っているため、何かしらの無作為の感覚的な造形を思わせますしね。

ん〜。まだ証拠不十分なので、この問題は分かり次第追記してまいります。

 

他には、こんな素敵な絵もたくさんあります。

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宮川一笑 吉原風俗図

なんだか江戸の雰囲気伝わってきますね。

1700年代は戦もないし、ほんと平和だったんだろうな〜。

もはや過去の歴史上、現代も含めて一番平和な100年だったでしょうね!

2000年代も人々の争わないそんな100年にしたいですね。

 

そろそろ、みなさんが一番気になってるこの部分の解説していきます!

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髱(たぼ)の部分ですね!

前にも紹介しましたが、

f:id:camdentown2012:20190526185102j:plainパーツごとの名称

 

なぜにこんなにもニョキッと出ているのか!?

1600年代後半からこのスタイルが見られ始めて1700年代後半まで流行っていました。

 ほとんどの遊女はこのスタイル一択ですね。

はい…もちろん僕には1ミリも作れる気がしませんが、一度は生きているうちに一度は…作ってみたい。

ということで、何故にあんなにも重力に逆らっているかと言いますと、『髱差し(たぼさし)』という道具を使っています。

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えぇ。忍具ではございません。全くもってどう使うのかも想像がつきませんが、これを髱の中で固定して作っていたようです。

そもそも最初は、髱の部分が垂れているだけのスタイルでしたが、髪につけている油の影響で着物が汚れてしまうというところから考案されたようです。

そうですよね。大事な着物ですし襟の部分がベタベタになったらそりゃあ嫌ですよ!

 f:id:camdentown2012:20190629100353j:plain初期はこんな感じ

 

ちなみに先ほどのスタイルの名前は「鴎髱(かもめづと)」という名前です。そのままですね!鴎の翼のような髱ということですね。

ほんとこの時代の髪結い師さん達のレベルが高すぎて、わけわかんないです。技術力もそうだし発想、デザイン力すべてにおいて凄すぎです!

なんかカッコイイのかどうかも判断がすごく難しいですが、とにかく斬新です。

江戸時代の髪結い師>>>>>>>>>>>>>>>>>>現代の美容師(僕だけ)

久々にこの構図ぅぅ!

 

他にはこんな髪型もされていました。

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懐月堂安度 遊女立美人図

普通は、髪の毛を根元から結ぶものですが、逆に毛先だけグルグルに結ぶのもカッコイイですね!なんか妖艶な感じでてすごくいいです!

 

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 そしてこちらのスタイルが、「根下り兵庫」というスタイルです。

前回ご紹介した、兵庫髷の進化系になりますね。高めに作られていた兵庫髷から下の方に作られています。このスタイルも中期頃に流行りました。

 

そしてついに!1700年代後期になると「灯籠鬢(とうろうびん)」こと、よくある江戸時代のイメージするこの髪型が登場します!

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勝川春章 美人鑑賞図

いや〜カッコイイですね!美しい!

 

灯籠鬢アップで見てみましょう。

f:id:camdentown2012:20190628151258j:plain勝川春章 美人按文図

中期まで主流だった「髱(たぼ)」は見る影もなくなり、シュッとしましたね!

それとは別に「鬢(びん)」の部分が、ガッとせりだしてきましたね!

髷(まげ)の部分もより綺麗に高さが出たような気がします。

笄(こうがい)や櫛などの飾りも増えて、よりゴージャスな雰囲気が演出されていますね!シルエット的にも、とてもバランスの良いひし形ですので、印象も抜群に良いです!

こちらのスタイルは京で人気が出て江戸へと広まったようですね。

マイナーチェンジは多少ありますが、このまま当分はこの型ですので、やはり京都のファッションというのは洗練されていますね!

 

ということで、1700年代は本当に目まぐるしく、髪型の変化がありましたね!

紹介しきれないほどの、微妙に違うスタイルが山ほどあります。

まあ、大きく分けると今回ご紹介したスタイルをしていた人が多いように感じますね。

ここから1800年代に突入し、今じゃ考えられないような、イカついスタイルがたくさん登場していきます。

しかし、本当に美しいんですよ。

日本の『美』が、とことん追求した結果が、そこには確かにあった気がします。

 

でも、1700年代前半に流行っていたメッシュのようなハイライトをしている人が、後期には誰もいなくなってしまうのは本当に不思議です。

あれは一体なんなのか…研究は続きます。

 

 

 

江戸時代 1 髪型 1600年代

江戸時代1603~1868年(約250年続いた時代)前期1600年代 家康~5代将軍綱吉

 

ついに江戸時代が来ました。

この時代になりますと、現代にもたくさん資料も残っていますので、より精度の高い情報になるかと思います!

 

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しかし、江戸時代前期は、まだ絵画の制作時期が曖昧なものも数多くあるので髪型を見る際には、深く考察していきますね!

 

江戸時代は、たくさんの娯楽や文化も発展し、髪型の種類も本当に増えていった時代です!

 

…しかし、女性だけですね。とりあえず女性の髪型中心でお届けします。

 

江戸時代の男性のスタイルは、ほぼ一種類だけになります。

『髷(まげ)』ですね!

江戸幕末までコレ一択です!(北朝鮮より自由ないですね…笑)

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あとスゲー面白いのは、子供の髪型です!

この時代の親達は、なんだか自由な発想すぎて、もうわけわかんないです…

(子供の髪型編でご紹介していきます。)

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喜多川歌麿 鏡に映る女性がお母さんなんでしょうね。この子供の髪型は一体どういうことなんでしょうか!?(笑)

 

女性の髪型は、随分バリエーションも豊かになってきましたね!唐輪髷や一束など相変わらず垂髪もされていました。その変化系の根結いの垂髪など結い髪になっていく、ちょうど過渡期でしたね。

 

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千姫にみてもヘアアクセサリー的なリボン?をするなど髪型に対して可愛く見られたいと気を使っていたのだろうと思います。

 

 

他には、『玉結び』(垂髪の下を輪っか状に結ぶ)

この輪っかの大きさでも身分が分かったそうです。

小さければ上流階級で、大きければ一般人、町民といったところでしょうか。まあ繊細に作れるのは上流、雑なのは下流ということなんですかね?

 

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あとは、前髪をポンパドールのようにし、顔がしっかり見える仕様のスタイルも当たり前になってきましたね。少し前の時代なら、いかに髪で顔を隠すかが重要だったのに、なんだか女性としての「あり方」が大きく変わったのを感じますね!

 

元々あった『唐輪髷』の変形で『兵庫髷』というスタイルもできました。

(諸説ありますが、現在の兵庫県で遊女が結ったところからスタートしたそうです。)このスタイルは江戸時代末期まで紆余曲折を経て大流行しました。

いつの時代も兵庫県の女性はオシャレです!

現在も神戸巻きという「巻き髪」スタイルが数年前に流行したほどです。(先ほどの千姫が兵庫髷の最初の形態ですね。)

 

 

さらに、この『兵庫髷』は後に『横兵庫』というスタイルに進化していきます。

その名の通り髷を横に倒して作ったスタイルになります。

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簡易的なスタイルとしては、『根結い垂髪』現在で言うポニーテールですね。

いろんな絵画を見ていると、結ぶ高さもそれぞれですので好みもあるとは思いますが、高めに結ぶと若く、年を重ねるごとに低めになっている気がします。

もちろん現代でもその感覚は残ってますよね!女性は全般的に、まだまだ髪は相当長かったのは間違い無いですね。

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当時の髪型の流行は、ほとんどが「遊女」から発信されていて、少し時間が経った頃に一般人にも浸透していく感じでした。

もちろん多少おとなし目にセットされています。派手すぎても恥ずかしいしねぇ〜。

意外と今と変わらない流行のあり方かなと思います。

f:id:camdentown2012:20190625123711j:plain喜多川歌麿

 

今現在も世の女性は、女優さんやモデルさんやミュージシャンのやっている髪型に憧れますし、オシャレで、カッコイイ女性になりたい!この根本はいつの時代も変わりませんね。

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Rina sawayama

 

特に異性を意識した職業というのは、髪型やメイクの最先端だったのでしょうしクオリティもどんどん上がっていきました。

新しい髪型を作り、他の女性よりも目立つように努力し、頭も良くなければいけないので、本当に大変なお仕事ですよね。美意識はすごく高かったんでしょうね〜!

江戸時代は、本当にたくさんの髪型があり、多くの結い髪が生まれていきます。

本当に勢いのあるすごい時代ですね。

 

主な江戸時代を代表する結い髪の種類は、大きく分けて4つ!

ざっくりですがご紹介していきます。

 

島田髷

最初は男性の髷をイメージすることから始まったとされています。

徐々に年月を追うごとに髱の部分がさがっていき、形態を変えどんどんせり出していくスタイルになっていきます。もちろんこちらのスタイルも最初は遊女発祥でいろんな部分の形を変え長く愛される髪型になっていきます。

今の和装結婚式でも使われていますね!

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島田髷(初期)

 

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篤姫 文金高島田(もはや初期の形とは別物)

 

勝山髷

こちらは勝山さんという遊女が始めたから勝山髷とされています。(この説が有力です。)この当時遊女界隈では大流行でした!しかし高さもありクオリティーも高めなためか若干派手すぎて庶民には手が届かず流行りはしなかったそうです。後にこちらも変化して『丸髷』という大ヒット作になったようです!まあ、攻めすぎても時代がついてこないんじゃあね~…

 

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懐月堂派 立美人図(こんなんどうやって造るんだよ〜…泣)

 

笄髷(こうがいまげ)

こちらは、最初は簡易的な結い髪だったようです。宮女や御殿女中など貴族的な女性が、行事などがないときに笄でクルッととめておくやつですね。すぐに垂髪にもどせるような感じで固めない感じ。

後にこれがまた、無造作でキメすぎない感じが良かったのか、庶民の間でも大流行していきました。

現代で言う「抜け感」ってやつですかね。

あと、この笄が後に「かんざし」に変わっていきます。

 

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そもそも全部似てますね!少しづつ髪型が進化していったのでしょうね。

 

兵庫髷

先ほど説明したこのスタイルは、時の流れとともに小振りになっていき、1600年代終わり頃には、廃れた髪型として扱われるようになっていきました。若い子たちの間ではおばさんくさいというようなイメージだったのでしょう。そりゃあ100年近くされた髪型ですしね!このころは「やっぱ島田だよねぇ~!」っていう感じだったのではないでしょうか。

 

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というように、とにかく結いの種類はとにかく多かった…

ここではご紹介できないほどの数の結い髪が存在しました。

江戸時代の結い髪の種類だけで一説には200種類以上もあるようです。

ちょっとした変化系ですが、似たようなスタイルでもちょっと名前変えて付けちゃえばいいだけですからね。(笑)

でも260年の歴史は長いね。

もちろん地方によっても独自の文化や流行もあったので、数として表すのは不可能でしょうけど、髪型もファッションも急激に発展した時代だったんだろうと思います!

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ちなみに現代でも、ほぼ同じ髪型なのにいろんな名前の髪型がありますね…

歴史は繰り返すといったところでしょうね。

 

 

 

政治と髪型と印象の深いつながり

みなさんは、いつも誰かの髪型を見ていますか?

おそらく大概の方は見ていないと思います(笑)

目には入ってはいるけど、「意識してみていない」という人がほとんどではないですかね。

むしろ目に入る髪型というのは、変わった髪型だったり、奇抜な色だったり、ボサボサだったりします。

なぜ、見ていないのかと言うと普段何気なく見ている髪型は、ほとんど場合その人に『似合っている』からなのです。

 

逆に、目につくようにするには…簡単です!

違和感を与えればいいのです。

昔から政治や芸能の世界では、その違和感というものを自在に操ってきました。

少しずつ、深層心理に訴えかける「微妙な変化」の積み重ねで「印象」というものが出来上がります。

 

過去の歴史を見ても髪型とは、いつの時代も権力の象徴です。

一番大事なのは、『ボリューム』、『見たことのない斬新なデザインの髪型』

 

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いつの時代も、世界中見渡しても、髪の量が多く見えることが、とても重要な事になってきます。

髪が多く見えるだけで、威厳や力強さや説得力を生みます。

喋り方や顔や表情、体型も重要ですが、パッと見の第一印象でその人がどんな人なのか?というのを脳は判断するそうです。

 

尚の事、国の代表者であれば、その見た目の印象だけで、たくさんの人の心を掴まなければいけないので、髪型で好感が持てるのか、ハゲているのかだけでも印象ってのは全然違ってきます。

 

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今回は、現在の政治家で権力者でもある方々にスポットをあてて髪型を解説していきたいと思います。

 

第一回は『金正恩氏』(安倍総理トランプ大統領はまた次回!)

 

国を代表する人にとって髪型は、人々にどういった印象を「与えたいか?」によって変えるものです。

印象を考え、与える影響を構築する敏腕プロデューサーがそれぞれに付いています。

ほとんどの代表者は、自分で髪型を決める事はないでしょう。

面白いもので髪型一つで善人にも悪人にもなれます。

(トランプさんはおそらく自分で決めていそうですね笑)

 

特に分かりやすい金正恩氏の髪型から解説していきます。相当プロデュースに長けた方が近くにいますね!

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一般的に金正恩氏の髪型でよく耳にするのは、『黒電話が乗っかっている変な髪型』…など、どちらかと言うと気味が悪い髪型というところでしょうかね。

 

しかし!!美容師のプロの目から見るとあの髪型は、とてもクオリティの高い髪型なのです。

 

例えば美容室に行って「金正恩の髪型にしてください!」と注文しても、大概の場合すぐには作れないので、「もう少し伸ばしましょう」と提案されるはずです。

逆に言うと、金正恩はあの髪型にするべく、何ヶ月も髪の毛を伸ばし、整え、そしてあの髪型をキープしているんですよね。

なので、元々ロングな髪の人じゃない限りは、なかなかできないんです。

 

時系列で追うと分かりやすいと思います。

 

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初期 まだ前髪は短いですね。

 

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半年後 前髪の長さは目か眉くらいまで長そうです。

 

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2年後くらい 完成しましたね。前髪は鼻位まで長いでしょうね。

 

2番目の写真あたりから、だいぶ出来上がってきている片鱗を見せていますね。

さらに横を伸ばし、ハチ周り付近にボリュームをもたせていき、前髪を伸ばして、トップをフラットに見せるように覆いかぶせるようにセットしています。

 

ボリュームの出し方は違いますが、リーゼントに似ているスタイルですね。

 

私自身この髪型を見たとき、「ヤラれた!!」と思ったのが率直な感想です!(笑)

美容師であり、クリエイティブなデザインを追求することを生業とする者として、このデザインはとても『不快』であり『斬新』でした。

 

日々の仕事をしている中で、人に好印象を抱かせる髪型を意識しているため、この髪型は、それとは対極でとても『悪印象』なのです。

 

髪型やデザインは、すべてバランスで出来ています。

良い印象を与えるカッコイイバランス、可愛いバランス、いろんなバランスが存在するなかで、この金正恩氏の髪型のバランスというものは、常に避けている悪い印象を与えるバランスなのです。

頭も顔も大きく見えるし、スタイリッシュでもない…

気味が悪い、怖い、変、すべての悪い言葉が当てはまる、この髪型こそが究極の『違和感』なのです。

 

そもそも金正恩氏自らがこの髪型を考案し、この髪型にしたい!と思ったかというと、おそらく「NO」だと思います。

印象学を緻密に研究し、国の意向と方向性を示すことのできる『フィクサー』がたくさんいるのではないでしょうか?

むしろあえて悪い印象を与えるためにこの髪型にしたんでしょうね。

 

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そして、先ほども申し上げましたが、この髪型は、とてもクオリティが高い。

そもそも誰でもこの髪型を切るって事は、なかなかできるものでもないんですよね。

左右対象で尚且つ、サイドの(黒電話のフチの部分)曲線のラインなんてとても絶妙ですしね。

そして写真や映像に映る、公の場に出る時のセットも、とにかくうまい!

彼の専属の美容師(理容師)さんはとても腕のいい人でしょうね!

おそらく平壌のトップスタイリストでもこの髪型を作るのは難しいんじゃないかなぁ〜。

韓国か日本か中国あたりの腕のいい人が担当してるんじゃないかなぁと思われます。

 

もし仮に私が専属の美容師だった場合に、ここまでの悪い印象を与えられる髪型を提案できなかったなぁ…とショックを受けました。

 

これこそが「私がやられた!」と感じた原因であります。

逆に金正恩氏は悪い印象を与えたい。誰もが不気味に感じる悪の権化の印象をわざと作り上げたのです。

何らかの理由のために、世界へ北朝鮮という脅威を発信したかったのでしょう。

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ここからは、私の妄想になりますが、彼をいろんな角度からプロデュースする役職の人達がいる事を考えると、彼はメディアに出るためのだけのマスコットであり、王様役の人なのだろうと思います。

北朝鮮」という大きな組織の歯車の一部であり、髪型や体型から考察するに時期を見計らった役作りをし、メディアの前にでる時には、笑顔を作ってみたり、時に不機嫌な表情を浮かべたりもする。

もちろん正統な王子かもしれないが、役者にならざる負えないのだろう。

そんな彼に、大きな決定権が与えられているようには見えずらい。

 

金正恩氏が実際はどんな方なのかはわかりませんが彼の学生時代は、スイスに留学していた普通の青年でした。

 

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人生何が起こるかわかりません。いろいろあるんでしょうね…

 

 

だいぶ脱線しましたが、髪型一つで与える影響ってのは大きく変わるって事ですね!

とは言え金正恩氏、自らこの髪型考えてたら、逆にすごいセンス良いと思います!

いつか聞いてみたい!(笑)

 

最後に、北朝鮮に住む男性達は、この金正恩氏の髪型か短髪の2〜3パターンからしか選べないそうです。

大変だ…もちろん違う髪型にしちゃったら禁固刑ものでしょうね…

 

 

髪型に自由を!!

 

安倍総理トランプ大統領については、また書きますね!

 

 

室町、安土桃山時代 4 キリスト教と髪型

室町時代以降、日本の宗教観は大きく変わりました。

西洋の宗教「キリスト教」が入ってきたのです。

1549年にフランシスコザビエルらが来日しキリスト教を広めました。

 

この髪型をご存知でしょうか?

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この髪型は、『トンスラ』といいます。えぇ。とても奇妙な髪型ですよね…

この絵のように、まるで鉢巻をするように髪を残して、頭頂部を剃って行きます。どうやらキリストが十字架で被せられた「いばらの冠」に見立てられていると伝えられています。

本場ヨーロッパのほうでは、13世紀以降は、聖職者(司祭、宣教師、上の位の人)は絶対しなければいけない髪型だったそうです。

 

キリスト教と言っても、大きく分けて「カトリック」と「プロテスタント」という2つの宗派に分けられます。(小さいのも入れればたくさんあります。)

この時期に、日本に入ってきたのは、主に「カトリック」の方ですね。(語弊が多々あるかもしれませんが、この記事でキリスト教と指すところは、カトリックです。)

日本で最初にキリスト教を伝えた言われているのは、ザビエルら一行です。

ザビエルらは1534年にカトリック内のグループ?小組織的な「イエズス会」を創設しています。

後の日本で広まったキリスト教の足跡と、このイエズス会の教えが、若干矛盾する部分があったりするので、実際のところは日本に広まった「キリスト教」というのは、わからない事が多いですね。

 

ザビエルといえば、トンスラのイメージありますよね?

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しかし、通常イエズス会では、トンスラをする風習はないらしいのです。

まだこの時期ザビエルを始めとする初期メンバーで設立したばかりなので、髪型をどうするかってのが、曖昧だったかもしれませんし、広めていた担当のキリスト教徒がイエズス会ではなかった可能性もありますしね。

まあ結構謎多いですわ。

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 ということで、その辺の謎に髪型という視点から考察していきたいと思います!

 

 

回りくどくなりましたが、こちらの絵をご覧ください。

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上杉九将図(上杉謙信と家臣たちですね。)

左下の方に描かれた「甘糟近江守」と一番下に描かれている「宇佐美駿河守」をアップで。

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完全にトンスラですね!おそらくこの二人はキリスト教徒だったのでしょう。

しかもトンスラにしているという事は、宣教師や司祭クラスのの上の立場だったのでしょうかね。

お年を召していますし、ハゲていただけじゃないの?と思われるかもしれませんが、ちがうんです!

人間のハゲ方には特徴があります。頭頂部から先に来るパターンとおでこから来るパターンがあります。

その後、トップとおでこのハゲがつながり「よくあるハゲてる頭」になるんですね。

 f:id:camdentown2012:20190602194757j:plain斎藤さん

逆に前髪だけ残るってのは、ありえないんですよ。大概の場合は、前髪から薄くなります。

よってキレーに前髪のラインだけが残るのは、わざとこの髪型にしていると考える方が自然なんですよね。

 

さらに上杉家について調べると、より核心に近づけることがわかりました。

上杉謙信、その後当主の上杉景勝も宗教や信仰に対してとても寛容だったようです。

もはや自由!それも相まってか、家臣や領民にキリスト教を信仰している人がたくさんいたそうです。

後の江戸時代に幕府から禁教令が出されても「当領内には一人のキリシタンも御座無く候」と領民たちを守ったと『日本切支丹宗門史(1629年)』に記されています。

いやぁ〜、当時のキリシタン討伐は本当に激しかったですからね…

長崎や島原の乱など有名ですが、全国的に虐殺は行われていました。

日本史上同国民による大虐殺劇だったのではないでしょうか。

 

そんな中、部下や民を守る優しいトップだったのでしょうね!

間違い無く「上司にしたい男性ランキング」があればNo.1だったのは言うまでもないでしょう。

ということで、甘糟近江守と宇佐美駿河守は、立場的に見ても熱狂的なキリスト教信者で「宣教師」であっても、なんら不思議じゃないという事ですね。

 

大河ドラマにもなった「天地人」の主人公「直江兼続」は、『愛』を兜にかかげていました。(愛の文字の下は雲になってます。)

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愛宕神社を信仰していたから愛を掲げていた。という説が有力ですが、雲の上の愛といえば、なんだか聖母マリアやキリストを連想してしまうのは僕だけでしょうか?

もしかしたら、もしかしたら!キリシタンだったのかもしれませんね。肖像画など詳しい情報は残ってはいませんが、上杉景勝の右腕でもある直江兼続キリシタンであれば、なおの事、超有能な部下を失いたくないですから、信仰の自由を尊重したでしょうし、意地でも幕府から守ってあげたかったのではないのかな〜なんて思いました。

いつか、直江兼続肖像画見つかれば是非とも髪型見てみたいですね!

 

他にも全国的にたくさんの有名な武将がキリスト教徒でした。キリシタン大名

 蒲生氏郷(蒲生・レオン)会津藩

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レオンさんの髪型よーく見たら変な髪型してますね!もみあげとキワのエッジがスゴイ!

 

有馬晴信(ドン・プロタジオ)肥前日野江藩主、徳川秀忠の代まで仕えました。

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とりあえず、秀忠の時代までは、キリスト教は許されていたのがわかりますね。

 

高山右近(ジュスト・ウコン)大阪

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高山さんは、家族全員フィリピンのマニラに島流しにされて、お亡くなりになられました…しかし、後に家族は日本に帰ってきているので、キリシタンだから島流しにされたわけではなさそうです。フィリピンはスペイン領でガチガチのカトリックの国なので、もはや旅行だったんじゃないか説(笑)…あると思います!

 

あとは、こちらも大河ドラマにもなった黒田官兵衛(シメオン)

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 軍師と呼ばれる人に多かったのかなぁ〜。

 

一説によると、当時日本中でキリスト教徒は50万人以上いたと言われています。

当時の江戸の人口100万人、大阪の人口50万人と言われているので、50万人以上という数字は相当な数に感じます。

 

バテレン追放令や禁教令など…語りたい事が山ほどあるのですが、髪のブログなので、そろそろやめておきます。(また江戸時代編で、軽く触れていきますね。)

 

 

とりあえず、まとめます!

 

1549年以降、圧倒的な勢いでキリスト教は広まっていきました。

天下人でもある織田信長豊臣秀吉徳川家康らもキリスト教への信仰を認めていて、キリシタン大名と呼ばれるたくさんの武将にも影響を与えました。

キリスト教内で位が高くなれば、「トンスラ」にしていたようです。

江戸時代の禁教令の影響もあってか、キリシタンに関する情報は少ないですね。

結構、近い過去の話なのにねぇ〜…残念です。

 

最後にザビエルを紹介していきます。

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ザビエルといえばこちらの絵が有名ですよね。

実はこの絵が描かれたのは、ザビエル帰国後?死後?の80年後の江戸時代に描かれたと言われています。なので完全に想像画なのです。
当時の画家が「キリスト教といえばこの髪型だよな!?」っていことで描いたと思われます。

キリスト教といえば「トンスラ」!

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マリア十五玄義図(下に描かれた黒服の男性はイエズス会創始者ロヨラとザビエル)

これも江戸時代あたりに描かれたようです。どちらが先かはわかりませんが、ザビエルは同じ感じですね。

 

しかし海外のサイトでザビエルを検索すると、髪型がなんとも曖昧なんですよね〜。

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こちらの絵もザビエルです。角度的に見えづらいですがトンスラではなさそうです。

海外の画家が描いた、たくさんのザビエルを見ましたが、トンスラじゃないザビエルが多いんですよね〜。

おそらく存命中に描いたザビエルはまだ見つかっていないんじゃないかな。

 

 では、仮にザビエルがトンスラでなかった場合に、なぜ江戸時代の人々の間でキリシタンのお偉いさんといえば「トンスラだ!」という認識があったかについては、イエズス会以外のカトリックグループも一大勢力になっていたという事ではないのかな〜と思います。

他には「フランシスコ会」と「ドミニコ会」というカトリックのグループが存在します。

この2つのグループもイエズス会の後から日本での活動を始めています。

答えはこれでした。

この2つのグループの宣教師たちはみんなトンスラなのです!面白いほどにみんなトンスラです!

フランシスコ会のルイス・ソテロは、徳川家康や秀忠と謁見し許可をもらったそうで、伊達政宗などとも交流があったらしく東北地方での布教活動もしていたそうです。

はい。上杉家や北日本とも繋がりましたね!

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左 支倉常長山形県米沢出身)  右 ルイス・ソテロ(トンスラになってますね。)

 

ドミニコ会 会士

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 ということで、一口に日本でキリスト教が流行ったと言っても会派によっても地域差もあったということですね。

そして、日本にこの2つのグループが入ってきて、わずか20年弱で「禁教令」が出されています。(1593年くらい〜1612年)

イエズス会が流行し始めてからは、30年は経っていたので、この2つのグループのどちらかが、もしくは2つのグループが幕府を脅かすような危険な思想があったのかもしれませんね。

 

よって、江戸時代に入っても特に目立っていたであろうフランシスコ会ドミニコ会の印象が強かったがために、江戸時代の人々の中では、キリスト教=トンスラだったのかもしれませんね。

 

なんかいろいろ謎が解けたような気がします。

私個人の結論としては、ザビエルはトンスラではなかったんじゃないか説!

 

江戸時代になって、鎖国になったとはいえ、中国やキリスト教の中でもプロテスタント国のオランダやイギリスとは国交は継続してありましたので、言うほど鎖国でもない気がしますよね。

結果的に、徳川幕府カトリック国との関係を切って、250年以上も続く天下泰平を勝ち取ったのでしょう。

 

とても長くなりましたが、これまでのすべての一件は、それぞれの正義のために戦い、ある意味では「平穏」という所に落ち着いた、信仰の通過点だったのかもしれませんね。

しかし、後の未来に訪れる「出来事」の伏線になったのは間違いないでしょう。

 

 

未来ってのは、明るくも暗くもないよな。

 

 

 

 

室町、安土桃山時代 3 織田信長編

この絵が誰かご存知でしょうか?

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あの有名な「織田信長」の肖像画なのです。

 

織田信長といえば、

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この肖像画が有名ですよね!

 

私もこの歴史の研究をして、初めて知った肖像画でした。

最初は、にわかには信じられませんでした…

まるで写真のようだし、この時代とはまるで結びつかない洋画風のタッチになっています。

しかも髪あるしっっ!!

 

それもそのはず、これを描いたのは、ルイス・フロイスという宣教師だったからです。(ポルトガル人)

ルイスさんは、自ら日本全国を周り、異国からみた「日本史」という本を後に出版しています。戦国時代の生活や社会、権力について事細かに記されています。

以前の記事にも書きましたが、ほとんどの人は亡くなった後に肖像画が描かれます。

なので武将の方なんかは、ほとんどハゲています。おじいちゃんですからね。

しかし信長は存命中に描かれたものが上の肖像画ですので、とても珍しく大変貴重な作品です。

新しいもの好きな信長だからこそですよね!

 

なんならこんな物もあります。

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デスマスクも作っていたようです。

これが本物だったとしたら、とんでもなく遊び心満載の男だったんでしょうね〜!

やっぱカリスマだわ!

 

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話は戻りまして、この絵を調べていたら、もっと驚くべき事に出会いました。

この絵がなんと山形県にあるというのです! 

えぇ!???地元!???(私の出身は山形県です。)

そんなバカな!!そんな話は一度も聞いた事ないYo!

しかも天童市にあると!(将棋の駒で有名な場所で、地元の隣の市)

はいぃぃ!?なんであの場所に織田信長!??

えぇ。全く一致しませんでした。

なんか、現在の愛知県とか岐阜県とかのイメージ強かったですし。

どうやら現在の天童市辺りは、織田信長の次男の信雄さんが治めていた織田藩だったそうです!

いや〜…こんな近くで知りませんでした…歴史好きだと思っていたのに、足元が全然見えていませんでした…

 

昨年山形に帰った時に、さっそく織田家ゆかりの場所に行ってみました!

 

こちらが、「 建勲神社

織田信長を祀った神社

京都府兵庫県にもあります。っていうか3つしかないって結構貴重ですね!)

 

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すごい急な山道でした。(写真見づらくてすいません。)

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中にこんな絵も飾られていました。浮世絵風?信長

 

そしてこちらが、先ほどの絵が保管されている織田家を祀るお寺「三宝寺」

三宝寺の仰徳殿

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すごく優しいお坊さん達でした。

 いやぁ〜…本当にあったね。

見るまで半信半疑でしたが、ありました!山形って意外とスゲーな〜!

もっと「織田信長」押しにすれば観光客来てくれるかもよっ!

 

 

ということで、この織田信長の髪型気になりません!?

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若かれし頃は、あたりまえですが髪の毛たくさんあったのはわかりました。

しかしこの分け目らしき部分は一体なんだろう?

分け目にしては随分幅が広いよね?

大げさに、分け目を描いた?

もしくは、わざとちょっと広めに剃ってる?…んん〜謎ですね。

最近の若者の間でも分け目をわざと広めに剃るの流行ってるけど、そういうこと!?

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なんか違う気がするんだよな〜。こんなに繊細に描かれているのに、分け目だけ雑に描く理由も見つからないし…

 

ということで、ポルトガルで15世紀〜16世紀あたりに描かれた絵を調べてみました!(ルイス・フロイスポルトガル人)

ポルトガル人特有のクセみたいなものかもしれないし!

ということで、それっぽい絵をリストアップしてみました!

1、

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分け目部分をアップにしてみると信長感でてますね。

2、

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女性ですが、センターの分け目がエッジ効いてますね。

3、

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真ん中は髪なのかな?なんか被ってる?被ってるにしても違和感ありですね。

1と2の人の分け目は、しっかり描かれていますね!

分け目が、はっきり描かれているので「わざと剃り込み」を入れているのでしょうね。

おそらく、この時代のポルトガルではこのスタイルが流行っていて、信長も面白そうだから「オレもやってみる!」と言ったと考える方が自然かもしれませんね!

 

遊び心の天才。

 

よって、信長の絵から読み取れる髪型としましては、うしろで「折り髷」を結っていることから、全体の髪は肩に付くくらいの長さはあった。

しかし、おでこのキワの部分から頭頂部付近まで、エグイ極太のラインを入れたということでしょうね!

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↑極太ラインこんな感じ

 

「なんかヨーロッパ界隈でこの髪型流行ってるらしいぞ!秀吉ぃ〜〜!」という声が聞こえてきそうですね。

 

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そして先ほどの建勲神社の中にあった絵も左側にも剃り込み入ってますね。

おそらくこの絵を描かれたのは、随分後でしょうけど。(たぶん江戸時代以降くらいかな〜…)

 江戸時代になっても、言い伝えか何かで、信長がだいぶエグイ剃り込みをいれていたっていうのは、有名な話だったんでしょうね〜。

80年代のヤンキーの剃り込みは、信長発祥だったのは驚きです。(笑)

もちろん、ここまでのライン状にハゲるってのはありえないので、わざとラインを入れていたと思って間違いないでしょう。

 

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映画 クローズZERO  鈴之助 

 

 

いや〜、ほんと信長はカッコイイ!!

柔軟でエゴイストで新しいもの好きでポジティブでしかも相当な自信家。

 

人は、そんな人間を『カリスマ』と呼ぶ。

 

きっとこの人は、歴史上一番人生楽しんだ人ではないでしょうか。

 

 

結局、人生楽しんだもの勝ちだよな。

室町、安土桃山時代 2 髪型、生活

この時代に、とても興味深い髪型をしていた女性がいました。

 

出雲阿国(いずものおくに)

 

この出雲阿国については、とても謎多き人物なのですが、1572年に出雲(島根県)に生まれ、出雲大社で巫女をしていたそうです。

もしかしたらご存知の方も多いかもしれませんが、現在の「歌舞伎」の発祥となった人物でもあります。

基本的に男性しか演じることができない歌舞伎は最初は、女性だったんですね〜。

 

この肖像画を見ていただきたいのですが…

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アップで!

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この髪型は完全に「レイヤースタイル」なっています!

記憶に新しいかもしれませんが、1990年代後半〜2000年代初期に流行ったスタイルです。

この時代には、とても珍しい髪型で独創的なスタイルだったことでしょう…

って言うか、この人以外ありえないですね!!

 

90年代の後半に一世を風靡したスタイルですので、彼女がレイヤースタイルの走りといって間違い無いでしょう!

すごく毛先の動き感もカッコいいですし、ちゃんと上手にカットされています!

しかし、自分で切ったのか?

誰かに切ってもらったのか?

もし誰かだとしたら、相当なやり手のカリスマ美容師がいたのでしょうね!

 

ちなみに現代の美容師が切ったレイヤースタイルはこちら!

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安土桃山の美容師 > 現代の美容師  やや負けたかな…チッ。

 

『傾奇者』の出雲阿国だからこその許される魅力であり、たくさんの人々を魅了する人気者だったのでしょう!

常に新しい髪型というものは、こういった独創的センスを持った「変わった人」「ありえない!」から生まれるものだと心から感じました。歴史に名を残す人間ってこう言うことなんでしょうね…

 

人の目なんて気にしてたらダメだよね。

 

 

 

お次はこちら!

 

国宝『洛中洛外図屏風 上杉本』

 

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こちらが1574年に織田信長から上杉謙信に送られた屏風になります。

当時最高峰の絵描きであった狩野永徳によって描かれました。

こんな感じの絵を見た事ある方も多いかと思います。

後に描かれた狩野派絵師の描いた洛中洛外もたくさんあります。その中でもかなり初期の作品になります。

この屏風には、京都の街が描かれていて、当時の生活風景やお祭り等の行事、四季、武士や商人、老若男女など様々な人間模様が描かれた一枚になっています。

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描かれた人の人数は、2000人以上を超える超大作になっています!本当にこの作品は一度は観て欲しいです!すごすぎます!

 

私自身が髪型を研究するにあたって、とても参考になった一枚でもあり、ここに描かれた2000人以上の人々を一人一人全員確認致しました。

2000以上のみんな違った顔、髪型をしています。完全にターニングポイントになりました。

当時のリアルな生活風景、人々の暮らしから見えてくる髪型は、紛れもなく自由でした。

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現在、この戦国時代の男性は、あえて『月代(さかやき)』にしていたと言われています。

しかし、「あえて」月代にしている人は誰もいませんでした。(また月代については詳しく書きますね。)

とりあえず、1574年時点では、まだ月代にしていないのが証明されたのではないでしょうか。

 

疑惑から確信に変わった瞬間でしたね!

 

本当にこの時代の京都行ってみたい!楽しそう。